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第17話 話の始まり

「頼む、明人。お前は許可さえしてくれればいい。やることは全て俺がやる、だから――」


 テーブルの上に、固く握られた拳。その男は、磨かれた鋼のようにぎらついた目をしていた。


「――小林麻衣を、俺に殺させろ」


・・・・・・


「は――? 青木さん、何言ってるんです――?」


 自宅を訪ねて来た学生時代からの知己のただならぬ態度と言葉に、その家の主である小林明人(あきと)はたじろいだ。

 話の相手、青木拓也は高校生の頃、同じ剣道部のひとつ上の先輩だった。在学中はなにかと世話を焼かれ、卒業から11年――友人としての付き合いはまだ続いていた。


「自分の顔、鏡で見てみろ。その青白い顔、3年前からずっと変わらん」


 強い視線を送る青木から、明人は目を逸らした。


「大丈夫ですよ」

「それは何度も聞いた」


 青木はこの3年間、気遣いをしてやっても「大丈夫」としか答えない明人のことを身を切る思いで見ていた。

 初めは妬くほど仲良さげにしていた明人と麻衣。共に「小林」姓を名乗り、この家でふたり睦まじく暮らしていた。

 急にそれが冷めたのは結婚から2年ほど経った頃だった。


 明人はひたすら戸惑い、麻衣の気持ちを満たそうと尽くした。服もカバンも腕時計も、なんでも――不機嫌さを露わにしながら欲しがるそれらを、明人は全て買って差し出した。

 ふたりの暮らしのために、明人が毎日工場で働いて稼いだ金で。


 後に分かったことだが、これは麻衣が自分の財産にするため明人に買わせていたのだった。

 なぜそれが分かったかといえば、それは単純な話だった。離婚した後、さらに別の男と再婚してから、麻衣は自らSNSにそのことをどこか誇らしげに書いていたのだった。


「ルビーの指輪が40万で売れた――見覚えのある指輪の写真、上げてたな。あいつ」

「……」


 下を向いた明人の表情は、青木が歯を噛みしめるほどに惨めだった。

 麻衣は明人と分かち合った結婚指輪の片割れを、後に売り払っていた。


「お前、情けなくなったよ」

「そうですか」


 静かに答える明人の姿は、ひたすら惨めだった。

 力のあるいい顔をして、ハキハキとものを言っていた頃の勢いはない。3年前、麻衣から離婚届けを突き付けられてすぐの幽霊みたいな顔は直ったが、今も青白いのはそのままで、頬もこけたように思える。


「俺は小林麻衣を、この世から消したい。だがお前に断りもなしにやることはできない。……いや、やろうとは思ったがどうしてもお前の顔がちらつくんだ」

「俺は別に、大丈夫です」

「お前のためじゃない」


 また「大丈夫」と言った明人を見て歯を噛みしめる青木。ぎしり、と音が聞こえたように思った。


「これは俺の私怨だ。お前をそんな風にしたあいつが許せん。そういう事なんだ」


 結婚式では青木が新郎代表でスピーチをしてやった。末永くお幸せに、と結んだスピーチを思い出すたび虚しさがよぎった。

 過ぎたことは忘れて、他にいい人を見つけて一緒になればいい、そうすれば気も晴れてくる――そう言って聞かせたが明人は「やめておきます」と答えるだけだった。

 世の中そういう生き方をする人間だってたくさんいる、と言ってやっても「大丈夫です」としか返ってこなかった。


「青木さん――」


 意外にも明人が口を開いたので、青木は身を乗り出して聞こうとした。


「『小林麻衣』じゃないですよ、『安藤麻衣』です」


 再婚した麻衣の新しい姓は「安藤」であった。


「お前と話してて『安藤』なんて言えるかよ」


 しかし青木としては、その姓を口にすることはできなかった。青木はこれまでに一度たりとも、それを口にしていない。あえて名前を出す時は必ず「小林麻衣」としていた。


「とにかく、だ。お前は許可さえしてくれればいい、あいつをこの世から消すのを。何もする必要はない、俺がやるんだ。いいだろう?」

「だめです、許しません」


 明人はきっぱりと答えた。


「青木さん、自分が何言ってるか分かってます? それやったらあなた人殺しですよ」

「いけないか?」


 明人が「人殺し」を強調したにも関わらず、青木はむしろそれが当然であるかのように返事をする。


「それに俺の私怨でやるんだ、お前のためじゃなく」

「俺だって麻衣のために言ってるんじゃありません。青木さんのためです」


 青木のしようとしていることは殺人である。死刑になることもあり得るだろうし、そうでなくとも、ほぼ一生刑務所の中に閉じ込められるのは確実と思っていた。


「青木さんが殺人犯になるような話は、俺は許可しませんよ」

「クソ、強情張りやがって。……こうなるとお前絶対後に引かないからなあ、昔から。俺を困らせるなよ」


 青木はあくまで私怨と言っているが、高校時代を合わせると14年の付き合いである明人には本当の考えはおおよそ分かっていた。


 私怨といえばそうだろう、青木は麻衣を憎んでいるのだ。


 ただしそれは、明人を今のようにした麻衣を憎んでいるのであって、明人自身が麻衣を忘れて――幸せとまで行かなくとも、普通の暮らしができるようになればその憎しみは消える。

 そんなところだろう、と明人は受け止めていた。


 これは、青木でも麻衣でもなく、明人の問題である。


 明人が麻衣のことにキッパリけじめをつけさせすれば、この話に許可など出さなくとも丸く収まるのだから。


 ――しかし明人には、どうしてもそれができなかった。


 離婚してから3年。できるのならば、とっくにやれている。


 できないのだ、明人には。


 一番幸せだったのは麻衣と暮らした時間で、その後はただ人生の余った時間を歩むだけ。そう思って生きることにしていた。


・・・・・・


 この日は結局、麻衣の話はやめて、明人がこの間買ってきたばかりの新しいゲーム機で夜まで二人遊び倒した。

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