第11話 次の行き先
「ほら、早く飯食えよ。昼休みなくなるぞ」
「……そうだった」
片桐に言われて、上田は鞄からそっと黒い弁当箱を取り出した。
それはいつも周りから冷やかされるので、あまり見られたくないと思っているもの。今日はみな既に昼食を済ませ思い思いに過ごしているので、その心配はほとんどない。
……ただ一人、片桐がすぐ隣にいるのを除いて。
二段弁当の蓋を取ると、下段にはきれいに詰められた白米。上段には色とりどりのおかずが可愛らしく並んでいる。
「ふっ。愛妻弁当だな、今日も」
片桐はいたずら小僧のような笑みを浮かべる。
「で、子供はいつ産まれんの?」
「早い早い」
上田が結婚したのは昨年秋である。4年前に知り合ったその女性と、仲睦まじい暮らしを始めたばかりだった。
ただ仲がいいだけではなくて、一緒にいるとなんだか気が落ち着くのが上田にとっての彼女の魅力である。
新妻の指先で詰められた弁当を口に運びながら、上田はちょっと仕返ししてやろうと思い言ってみる。
「お前こそ、いつ結婚するんだ?」
「早い早い」
「いや、早くはないと思うよ。もう」
2人とも今年には30歳になる。高校時代の同級生たちが次々にSNSに結婚報告を上げていて、置き去り気味な感を拭えない。もう子供がいる者も多いのだ。
容姿からいえば片桐の方が数段上のばずだがどうして、と上田は思う。節度をわきまえつつも間違ったことは違うとハッキリ言い、嫌味な感じは全くない。いい男だろうに。
「……なんだよ?」
「別に」
片桐に付き合っているひとがいるのかどうか、上田は知らない。それを聞いても片桐はいつもはぐらかしてばかりだった。
知り合ってからもう長くなるが、意外にシャイなやつなんだろうか――
・・・・・・
食後、程よくぬるくなったコーヒーに口をつける。
先にカップを置いた片桐が、机に片肘をついて言った。
「それで? あの人と捜査をするにしてもこれからどうするんだ? 午後の予定は」
「聞いてない。長谷部さん、午前中もそういうの何も言わずに出かけたし」
片桐は「おい……」と言い首を振る。
「そもそも、午前はどこ行ってたんだ? 俺まだ聞いてないぞ」
「築丘だよ。駅と神社」
顎に手を当て、少し考える片桐。
「まあ……順当なところか。現場はあそこだもんな。途中で切り上げてきたのか?」
「いや。ひと通り見てきたし、長谷部さん神社を出たらあっけなくこっちまで帰ってきちゃったし。築丘で見るものはもうなさそうかな」
上田はそう言ったが、ひとつ思い出したことがあって付け足した。
「いや……そういえば神社で宮司さんに言ってた。『今日もう一度だけ来るかもしれません』って」
「なんだよそれ」
ちょっと肩をすくめてみせる片桐。
もう一度行くつもりなのかそうでないのか、上田にもよく分からない。
「『かもしれない』か。断定ではないんなら……」
そう言った片桐は、上田の顔を見てから続ける。
「築丘以外を考えているか、もう外へは行かないつもりか。ここで資料を当たってみる、あるいは小林の取り調べをしてみるとか」
「たぶん外へ出る」
その上田の即答に片桐は少し首を傾げる。
「どうして?」
「長谷部さんに聞いてみたんだよ。どうして築丘に行ったのか。現場の資料ならこっちにたくさんあるのに、って」
上田は昼に警察本部に帰ってきた時にそう尋ねていた。
「なんて言ってた?」
「『ちょっと現地の空気を吸いに行っただけ』って」
……。
「なんだそれ」
「さあ」
どういう意図でそう言ったのかは上田にも分からない。ただその言葉と、これまでの長谷部の姿勢から多少は推察できる。
「とりあえず、ここで資料を見直すとか取り調べをするとかはないんじゃなさそう」
「そうなのかな」
片桐は中指でトントンと机を叩いて、それから言った。
「なら……まだ行ってない場所か? 候補になるのは梅ノ台、あるいは菜原くらいか」
梅ノ台は被疑者小林の自宅があり、事件当日の夜に近くのコンビニの防犯カメラがその姿を捉えた場所である。菜原は、当日に小林が電車を降り、友人の青木の車に乗り換えた場所だった。
「そんな感じかなあ」
そう答えた上田に、片桐は少し悪戯っぽい笑みを向ける。
「お前は運転手役か。ご苦労様」
「運転手?」
「お前が運転してくんだろ?」
片桐は二人がバスと電車で移動していたことを知らない。当然、年少者の上田が車を運転してるものと思っていた。
そのことを聞かされた片桐は「マジか」と言って首を振った。
上田は、長谷部が最初にバスに乗り込む時、事も無げにICカードを使っていたのを思い返す。
「長谷部さん、だいぶ慣れてる感じだったな」
「お前は慣れてなさそうだけどな」
「……そんなことはない」
片桐の軽口に、上田はむっとする。
「ふーん」
「なんだよ」
にやつく片桐に、不機嫌な視線を送る上田。それを見て、また口角を上げる片桐。
「お前、交通系のICカード持ってないよな。小銭足りたか?」
「両替した」
実は千円札が1枚しかなくて、バスの運賃箱の前で少し冷や汗をかいたのだが黙っておいた。
「お前、いまクレジットカード持ってる?」
「――? 持ってるけど」
急に話題を変えられた上田は戸惑いつつ答える。
「タッチできるやつ?」
「うん」
上田の答えを聞いて、片桐は一度うなづいて言った。
「ならそれ使え。砂鉄バス、タッチ決済使えるから」
「クレカで? どうやるの?」
「ICとほぼ同じ。現金よりいいだろ。お前整理券取り忘れそうだから」
馬鹿にするなと言いかけて、午前中整理券を取り忘れたのを思い出した上田は返事が遅れた。
「……ふっ」
「笑うな」
そう言ってもなお面白そうに笑う片桐。
「ま、せいぜい頑張れ。なにか聞きたいこととか、こっちで調べてほしいこととかあったら連絡しろよ。いつでも出れるようにしておく」
・・・・・・
13時少し過ぎ――
二課の机が並ぶその場所へ、上田はやってきた。
「長谷部さん、すみません。遅くなりました」
その場のヌシが、ゆっくり振り返る。
「いいえ。須藤さんが長く引き止めていましたからね。もういいんですか、昼休みは。もう少し休んでからでもいいですよ」
どこにも力が入っていない声で話す長谷部。
これからもう一度、共に捜査に出る。多少の疑念と、捉えどころのないなにかを感じつつ。
「……大丈夫です。長谷部さん、この後の捜査はどうするつもりですか」
「まずは菜原に行こうと思います。それから大きく回り道をして……」
ゆらり、と立ち上がる長谷部。
「最終的には、梅ノ台に着くでしょう」
・・・・・・
正面玄関の扉を開けると、ほの暖かい風が吹きこんできた。
やわらかな陽の光が心地よく照っている。午後も天気はよさそうだ。
「さあ、行きましょう」
歩み出す長谷部の背中を追って、上田も足を踏み出す。
少し低くした声で、長谷部はつぶやいた。
「犯人と、同じ道を……ね」




