第9話 監視役
「なあ長谷部、どうだ? その、なんだ、そろそろ再婚とか、考えてみないのか」
そう須藤が聞いてみたのは、長谷部が妻と死別して5年経ってからだった。
「いえ、やめておきます」
「……そうか」
しかし微笑とも何ともいえない顔で答える長谷部に、それ以上なにか言うことはできなかった。
それから須藤は折を見ては控え目に勧めてはみたものの、長谷部はいつも同じ答えを返すだけで、それ以上話は進められなかった。
・・・・・・
「――別にいいだろう? なにも前の嫁さんを忘れろって訳じゃあない。ただ、生きて手を取ってくれる奴を探したっていい。世の中そんな生き方をする奴だってたくさんいるだろう」
半ば身を乗り出しそう言う須葉は、まるで上田に弁解するようであった。
……それとも長谷部か、あるいは自分自身に対してか。
須藤は背もたれに身体を預け、ため息をつく。
「それも、もうダメだ。再婚なんて考えられる歳じゃあなくなっちまった。俺にだってあんなスッカラカンな態度しかとらねえ。あいつはもう死ぬまで独りきりでいくつもりだ。……あるいは、死んだ嫁さんと、ふたりのつもりか」
そう言ってから須藤は、急に突き刺すような眼光を上田に向けた。
「お前も嫁さんがいるなら、あいつのことも少しくらいは分かるだろう? ……もし分からねえってんなら、あいつとこの事件の捜査はさせん。元々部署が違うんだ、長谷部は二課に返してもらう」
固く背筋を伸ばす上田に、須藤はぐっと顔を寄せた。
「どうなんだ? 分かるか、分からんか。ハッキリ言え」
「は、はい、よく分かります」
内心冷や汗をかきながら上田は答えたが、それは本当に正直な答えだった。
「……なら、いい」
そう言いつつも須藤は疑るような目をやめなかった。今ここでパッと答えただけの上田を、あまり信じることはできなかった。
しかし上田に「分かる」と答えられた以上、何度も聞き返すような不毛な真似もできない。渋々であったが、この先も長谷部を捜査に加えておくことは認めることにした。
ひとまず、伝えるべき肝心なところを上田に話す。
「俺はな、あいつを今度の事件に付き合わせたくないんだ。別にお前を虐めようって訳じゃねえよ、ただあいつが何を考えているか分からん――そこがな、正直なところ、怖いんだ」
「怖い、ですか――?」
「ああそうだ。元々何を考えてるかよく分からんような奴だが、今回はそれとは性質がちがう」
須藤は上田が椅子の脇に置いている鞄を指さし、「中のを貸せ」と言う。
上田が取り出したタブレットを受け取ると、須藤はその画面に視線を落とした。
「被疑者、小林明人か。そして被害者は、安藤麻衣――小林麻衣」
須藤があえて言い直した被害者の姓は、3年前まで彼女が使っていたもの――すなわちそれは、小林明人と送った結婚生活を示すもの。
「お前らはこの小林明人が犯人であると仮定して、アリバイ崩しをやろうとしている。そしてその仮定が正しいのなら、こいつはいちど縁を結んだ相手の命を自分の手で潰した奴ってことになる」
須藤は上田にタブレットを突っ返した。眉間に深いしわを刻んで、腕を組む。
「27年――長谷部が嫁さんを亡くして、やつれたまま過ごした年数だ。それだけの間ずっと大して何にも興味を持たんでいた奴が、今日どういう訳か、嫁殺しの事件に興味を持った。どうしてなのか、ガキの頃からの付き合いの俺でも分からん」
そう言ってまた、ぎらつく眼光を上田に向けた。
「だから怖いし、お前も危機感を持たなきゃいかん。あるいはあいつは、殺された被害者に死んだ嫁さんの姿でも重ねて見てるのかもしれん。あの顔の下で、小林を憎く思ってるかもしれん。ああいう奴が抱く憎しみは、深いぞ」
……上田には、長谷部のそんな姿は見た目からは想像がつかなかった。
しかしまた、上田はなんだか虚ろな顔をする長谷部の心中を見通せないでいる。須藤の言う通り、何を考えて捜査に協力することにしたのか分からない。
「……もしアリバイが崩れて小林が犯人だと決まったら、その時は、いきなり牙をむくって可能性もあるにはある。小林本人か、あるいは家族親族を勝手に調べ上げて制裁する。そういう事をな」
「制裁」――それは須藤の言いようからして、法律に基づいたものではなさそうだ。
「あいつはいつも無害そうな顔をしているが、実のところはあんまりそうじゃあない。特に今回の事件じゃあ、あいつがどうなるのか予測がつかない。だから――」
須藤はずいっと上田に顔を寄せた。その眉間に、二度と解けないと思わせるほど固いしわを刻む。
「いいか、今度の事件、お前には刑事としての役割はねえ。『監視役』だ、長谷部英行の」
低い声に、力が込められる。
「お前、あいつを見ておけ。よく見張っておけ。妙な気を起こしそうに見えたらすぐ止めろ。捜査なんかやめてここまで引きずってでも帰ってこい」




