前世の謎と新たな脅威
朝の陽光が、宿屋の食堂を明るく照らしていた。
昨日の衝撃的な発見から一夜明け、悠斗たちは朝食を囲んでいた。
前世でチャット仲間だったという事実は、まだ信じがたいものがある。
「それで、これからどうする?」
カーミラが紅茶を飲みながら問いかけた。
「龍の谷、でしたっけ?」
セレナが地図を広げる。
「次の死に場所候補は」
「いや、もう死に場所探しは……」
悠斗が言いかけたが、口をつぐんだ。
前世の仲間と再会できた今、死ぬ理由が薄れつつある。
「実は昨夜、少し調べてみたんです」
ルナリアが古びた本を取り出した。
「血の泉について、村の図書館で」
「へぇ、こんな田舎に図書館が?」
ブリュンヒルデが感心する。
「小さいですけどね。でも、興味深い記述を見つけました」
ルナリアは本のページを開いた。
「『英雄の血が流れし地には、記憶の欠片が宿る。龍の谷に続く道は、血の証を持つ者にのみ開かれる』」
「血の証?」
悠斗が眉をひそめる。
「俺の血のことか?」
「可能性はあるわ」
カーミラが身を乗り出す。
「昨夜の泉の反応を考えれば」
「龍の谷には何があるんでしょう?」
セレナが地図を見つめる。
「ここから北東にひと月の距離……かなり遠いですね」
「前世の謎を解く手がかりがあるかもしれない」
ブリュンヒルデが真剣な表情で言う。
「我々がなぜ転生したのか、主君が不死身な理由も」
話に夢中になっていた一行は、宿屋の食堂に他の客がいないことに気づいていなかった。
朝早い時間とはいえ、旅人の多いこの村では珍しいことだ。
その時、食堂の入り口の扉が開いた。
黒いローブに身を包んだ人物が、静かに入ってくる。
顔はフードで隠れていて見えない。
「失礼」
低い声が響いた。
男のようだが、年齢は分からない。
「この宿に、『不死身の者』が泊まっていると聞いたが」
空気が一瞬で張り詰めた。
悠斗は警戒しながら答える。
「誰だ、あんた」
「私の名は重要ではない」
ローブの人物は淡々と話す。
「ただ、確認したいことがある」
フードの奥から、鋭い視線を感じる。
「昨夜、血の泉が光ったそうだな」
「!」
全員が驚きの表情を浮かべた。
どうしてこの男がそれを知っているのか。
「何者だ」
ブリュンヒルデが腰の聖魔剣に手をかける。
「敵か、味方か」
「どちらでもない」
男は首を振った。
「ただ、忠告をしに来た」
「忠告?」
ルナリアが聞き返す。
「『記憶の番人』たちが動き始めた」
男の言葉に、全員が困惑する。
「彼らは、転生者を狩る者たちだ。特に、不死身の力を持つ者を」
「なぜ俺を?」
悠斗が問いかける。
「理由は簡単だ」
男はゆっくりと顔を上げた。
フードの下から、深い傷跡のある顔が見えた。
「不死身の血は、全ての記憶を呼び覚ます鍵だからだ」
その瞬間、宿屋の窓ガラスが割れた。
矢が飛び込んできて、壁に突き刺さる。
「もう来たか」
黒ローブの男が舌打ちをする。
「早すぎる」
「これは!」
カーミラが矢を見て驚く。
矢尻には、奇妙な紋章が刻まれていた。
「記憶封印の呪印……」
セレナが青ざめる。
「これに当たったら、前世の記憶が消されちゃう!」
「くそっ」
悠斗が立ち上がる。
「みんな、逃げるぞ」
「待て」
黒ローブの男が制した。
「龍の谷へ行くなら、私が道案内をしよう」
「なぜあんたが」
悠斗は疑いの目を向ける。
「私もまた、転生者だからだ」
男はフードを完全に脱いだ。
顔中に無数の傷跡。そして、瞳には悲しみが宿っていた。
「前世で、お前たちの事は知っている。『ブラック』」
「!」
悠斗の目が見開かれた。
前世のハンドルネームを知っているということは……。
「信用していいのか」
ブリュンヒルデが警戒を解かない。
「選択肢はない」
男は窓の外を見る。
「もうすぐ、大勢で押し寄せてくる」
確かに、遠くから足音が聞こえ始めていた。
「分かった」
悠斗が決断する。
「案内してくれ」
「賢明だ」
男は頷いた。
「裏口から出る。馬車を用意してある」
一行は急いで荷物をまとめ、裏口へ向かった。
外には、確かに大きな竜車が待っていた。
通常の馬車より一回り大きく、車体の両側に安定翼が付いている。
屋根の上には頑丈な鎖と革のハーネスが装着されており、その先に立派な翼を持つ飛竜が繋がれていた。
「これは……随分と特殊な作りだな」
悠斗が竜車を観察する。
「転生者の技術か?」
「察しがいいな」
黒ローブの男が頷く。
「これは我々の組織で開発されたものだ。一般には出回っていない」
飛竜は竜車の上空を飛びながら、吊り下げるように運ぶ仕組みのようだ。
「飛竜!?」
セレナが目を輝かせる。
「すごい、本物だ」
「急げ」
男が促す。
「時間がない」
全員が竜車に乗り込むと、飛竜は力強く翼を広げた。
車内は思ったより広く、向かい合わせの座席が設置されている。
天井には掴まり用の取っ手があり、窓には強化ガラスがはめ込まれていた。
「強化ガラス……?」
カーミラが窓を触る。
「これも転生者の技術?」
「ああ。通常のガラスでは、高空での気圧差に耐えられない」
黒ローブの男が説明する。
「詳しくは言えないが、我々にはこういった技術を管理する役目もある」
ドン!
飛竜は力強く翼を羽ばたかせ、竜車を吊り上げた。
鎖がピンと張り、車体がゆらりと浮き上がる。
そして一気に上昇を始めた。
「うわぁ」
悠斗は慌てて手すりを掴んだ。
前世でも飛行機は苦手だったが、これはレベルが違う。
「大丈夫ですよ」
ルナリアが優しく支える。
「私がついてます」
眼下では、黒い集団が宿屋を取り囲んでいるのが見えた。
間一髪で逃げ出せたようだ。
「あいつら、何者なんだ」
悠斗が黒ローブの男に聞く。
「記憶の番人。転生の秘密を守る者たちだ」
男は前を向いたまま答える。
「転生は、本来あってはならないこと。ましてや、前世の記憶を持ったままなど」
「でも、俺たちは……」
「そう、例外だ」
男は振り返った。
「特に君は、不死身という特異な存在。彼らにとっては脅威だ」
「なぜ?」
カーミラが質問する。
「不死身ということは、無限に記憶を蓄積できるということ」
男の表情が険しくなる。
「全ての転生の記憶を、永遠に保持できる可能性がある」
「それが、どうして脅威に?」
セレナが首を傾げる。
「転生のシステムそのものを、破壊しかねないからだ」
男の言葉は重かった。
飛竜は雲の上を飛び続ける。
下界は見えず、ただ白い雲海が広がっていた。
「ねぇ」
ルナリアが悠斗に囁く。
「あの人、信用できるのかな」
「分からない」
悠斗は正直に答えた。
「でも、今は頼るしかない」
「そうね」
カーミラも同意する。
「少なくとも、敵ではなさそう」
「でも、油断は禁物だ」
ブリュンヒルデは警戒を解かない。
そんな会話を聞いていたのか、黒ローブの男が口を開いた。
「疑うのは当然だ」
自嘲的な笑みを浮かべる。
「だが、私には君たちを守る理由がある」
「理由?」
「前世で、君たちには借りがあるんだ」
男は遠い目をした。
「特に、『ブラック』には」
悠斗は記憶を探ったが、思い当たることはなかった。
チャット仲間以外にも、関わった人物がいたのだろうか。
「龍の谷まで、あとどれくらいだ?」
悠斗が話題を変える。
「この速度なら、明日の夕方には着く」
男が答える。
「通常ならひと月かかる道のりだが、飛竜なら二日で着く」
「龍の谷には、何があるんです?」
セレナが興味深そうに聞く。
「古の龍が眠ると言われる場所だ」
男の声が神妙になる。
「そして、転生の秘密が隠されているとも」
「転生の秘密……」
ルナリアが呟く。
「それを知れば、私たちの前世の謎も?」
「おそらくな」
男は頷いた。
「だが、危険も伴う。覚悟はあるか?」
「今更だよ」
悠斗が苦笑する。
「死に場所探してた奴が、危険を恐れるかよ」
「ふっ、確かに」
男も小さく笑った。
その時、後方から羽ばたき音が聞こえてきた。
「追手か!」
ブリュンヒルデが振り返る。
黒い翼を持つ生物が、数体追いかけてきていた。
「ガーゴイルか」
男が舌打ちする。
「しつこい連中だ」
「戦うしかないようね」
カーミラが身構える。
「空中戦は初めてだけど」
「危険だ」
男が制止する。
「落ちたら助からない」
「でも、このままじゃ」
セレナが心配そうに言う。
「俺に任せろ」
悠斗が立ち上がった。
「どうせ死なないんだ。囮になる」
「ダメです!」
ルナリアが止めようとする。
「落ちたら、もう会えなくなるかも」
「大丈夫」
悠斗は笑った。
「不死身だから」
しかし、次の瞬間――。
「「「「ダメ」」」」
四人の女性が同時に悠斗を押さえつけた。
「え?」
「主君は大人しくしていろ」
ブリュンヒルデが聖魔剣を抜く。
「私が迎撃する」
「血が欲しいなら、私が相手よ」
カーミラも牙を剥く。
「爆発薬なら任せて〜」
セレナが薬瓶を取り出す。
「空中でも使える特製です」
「みんなを守ります」
ルナリアも大鎌を実体化させた。
悠斗は、押さえつけられたまま呆然としていた。
「お前ら……」
「当然でしょ」
カーミラが振り返る。
「せっかく再会できたのに、失うなんて真っ平」
「そうです〜」
セレナも頷く。
「ユート様は私たちが守ります」
「前世でできなかった分も」
ルナリアが優しく微笑む。
「今度こそ、守り抜きます」
「……ありがとう」
悠斗は小さく呟いた。
前世では得られなかった絆。
今世では、それがここにある。
「感動的だが」
黒ローブの男が割って入る。
「今は戦闘に集中しろ」
ガーゴイルたちが、すぐそこまで迫っていた。
石造りの翼を持つ怪物たちは、鋭い爪を振りかざしながら竜車に襲いかかる。
「ふん」
ブリュンヒルデが窓から身を乗り出し、聖魔剣を振るった。
聖なる光と魔の闇が刃に宿り、ガーゴイルの一体を真っ二つに切り裂く。
「私の番ね」
カーミラが反対側の窓から顔を出す。
血のような赤い魔力が彼女を包み、鋭い爪が伸びた。
「石の味は好きじゃないけど」
飛びかかってきたガーゴイルの首を、一瞬で引き裂く。
「はい、これどうぞ〜」
セレナが薬瓶を投げた。
空中で破裂し、緑色の煙がガーゴイルを包む。
「ギィィィ!」
石の体が溶け始め、ガーゴイルは苦悶の声を上げながら墜落していく。
「私も」
ルナリアが大鎌を実体化させ、優雅に振るう。
死神の力が宿った刃は、ガーゴイルの魂そのものを切断した。
「すげぇ」
悠斗は呆然と見ていた。
前世ではただのチャット仲間だった彼女たちが、今は頼もしい戦士だ。
「油断するな」
黒ローブの男が警告する。
「まだ来る」
確かに、後方からさらに多くのガーゴイルが追ってきていた。
数は倍以上に増えている。
「キリがないわね」
カーミラが舌打ちする。
「逃げ切れるか?」
悠斗が男に聞く。
「難しい」
男は首を振った。
「竜も疲れてきている」
確かに、飛竜の羽ばたきが重くなってきていた。
重い竜車を吊り下げての高速飛行は、相当な負担のようだ。
「なら」
悠斗が決意を固める。
「俺が囮になる」
「ダメです!」
ルナリアが即座に反対する。
「もうそんなこと言わないでください」
「でも、このままじゃ全員が」
「大丈夫よ」
カーミラが不敵に笑う。
「私たちを信じて」
「そうです〜」
セレナも頷く。
「ユート様は見ててください」
「ここは任せろ」
ブリュンヒルデが聖魔剣を構え直す。
四人は悠斗を守るように陣形を組んだ。
「お前たち……」
悠斗は言葉を失った。
前世では、誰も助けてくれなかった。
独りで戦い、独りで倒れた。
でも今は違う。
「……頼む」
悠斗は素直に頭を下げた。
「みんなに任せる」
「はい!」
四人が同時に返事をする。
そして、本気の戦闘が始まった。
ルナリアの大鎌が死の旋風を巻き起こし、複数のガーゴイルを同時に切り裂く。
カーミラは血の魔法を使い、赤い槍を無数に放って敵を貫く。
セレナの投げる薬瓶は次々と爆発し、ガーゴイルたちを溶かしていく。
ブリュンヒルデは聖魔剣で結界を張り、竜車を守りながら反撃する。
「見事だ」
黒ローブの男が感心する。
「これほどの連携を……」
「当然よ」
カーミラが振り返る。
「私たちは仲間だもの」
「前世でも、今世でも」
ルナリアが微笑む。
「ずっと一緒です」
セレナが楽しそうに言う。
「主君を守るのが我らの使命」
ブリュンヒルデが宣言する。
激しい戦いは続いたが、次第にガーゴイルの数が減っていく。
そして最後の一体が、セレナの爆発薬で粉々になった。
「やった〜!」
セレナが歓声を上げる。
「ふぅ、疲れたわ」
カーミラが額の汗を拭う。
「でも、勝ちましたね」
ルナリアが安堵の息をつく。
「うむ、完勝だ」
ブリュンヒルデも満足そうだ。
「ありがとう、みんな」
悠斗が心から礼を言う。
「本当に、ありがとう」
「礼なんていらないわよ」
カーミラが照れくさそうに言う。
「当然のことをしただけ」
「でも、嬉しい」
悠斗は笑った。
前世では得られなかった絆。
それが今、確かにここにある。
「追手は振り切った」
黒ローブの男が前方を見据える。
「しばらくは安全だろう」
「よかった」
悠斗がほっとする。
「じゃあ、龍の谷まで」
「ああ、このまま向かう」
男は頷いた。
「明日の夜には到着するはずだ」
竜車は再び、雲海の上を進み始めた。
夕日が西の空を赤く染めている。
「綺麗ね」
ルナリアが窓の外を眺める。
「前世では、こんな景色見られなかった」
「確かに」
カーミラも同意する。
「ブラック企業じゃ、夕日なんて見る暇もなかったわ」
「私も研究室に籠りっきりでした〜」
セレナが苦笑する。
「訓練ばかりだった」
ブリュンヒルデも遠い目をする。
「でも、今は違う」
悠斗が呟く。
「みんなで、こうして旅ができる」
「ええ」
四人が優しく微笑む。
「今度こそ、幸せになりましょう」
ルナリアの言葉に、全員が頷いた。
前世の孤独と苦しみを超えて、新しい人生が始まっている。
死に場所を探していた男は、生きる理由を見つけつつあった。
夕暮れの空を、竜車はゆっくりと進んでいく。
龍の谷への道のりは、まだ長い。
だが、独りではない。
大切な仲間たちと共に――。