血の記憶
朝食の準備をする三人の姿は、だいぶ慣れたものになっていた。
ルナリアが手際よく料理を作り、セレナが薬草を煎じて飲み物を準備し、カーミラとブリュンヒルデが食器を並べる。
「今日の朝ごはんは野菜たっぷりのスープです〜」
セレナが嬉しそうに鍋の蓋を開けた。
「薬草も入れたので、栄養満点ですよ」
「ありがとう、セレナ」
悠斗が礼を言うと、セレナは頬を赤らめた。
「と、とんでもないです! ユート様のためなら……」
「まったく、相変わらずデレデレね」
カーミラが揶揄するように言う。
「ユートの血をもらってるくせに」
「カーミラさんだって朝から」
「何か言った?」
「いえ、なんでも」
賑やかな朝食が始まった。
わずか数日前とは、まるで違う光景だ。
一人きりで死に場所を探していた男の周りに、今は四人の少女たちがいる。
「そういえば」
食事の途中で、ルナリアが口を開いた。
「次はどこへ行くんですか?」
「そうだな……」
悠斗は考えた。
終焉の谷は失敗だった。今度こそ確実に死ねる場所を見つけなければ。
「それなら、いい場所があるわよ」
カーミラが手を挙げた。
「『吸血鬼の聖地』って呼ばれる古城があるの」
「吸血鬼の聖地?」
「ええ。私の遠い祖先が住んでいた場所。昔は強力な呪いがあるって聞いたけど……今はもうほとんど薄れてると思うわ」
それを聞いて、悠斗の目が輝きかけたが、すぐに曇った。
「薄れてる?」
「ごめんなさい。でも、一応行ってみる価値はあるかも」
「ただ……」
カーミラの表情が少し曇った。
「私にとっては、ちょっと……特別な場所なの」
「特別?」
「まあ、行けば分かるわ」
カーミラは寂しそうに微笑んだ。
その表情を見て、他の三人は顔を見合わせた。
「大丈夫ですか、カーミラさん」
セレナが心配そうに尋ねる。
「無理しなくても……」
「ううん、大丈夫。むしろ、一度行っておきたかったから」
カーミラは気を取り直したように笑った。
「それに、ユートのためだもの」
「カーミラ……」
悠斗は複雑な表情になった。
自分の死に場所探しに、みんなを付き合わせているのが申し訳なくなる。
「気にしないで」
カーミラが悠斗の手を取った。
「私たちは、ユートと一緒にいたいからついて行くの。それだけよ」
「そうですよ」
ルナリアも頷いた。
「ユート様がどこへ行こうと、私たちはついて行きます」
「運命共同体ですから〜」
セレナも同意する。
「主君のおられる場所が、我が戦場」
ブリュンヒルデも真面目な顔で宣言した。
四人の真剣な表情を見て、悠斗は小さく溜息をついた。
「……勝手にしろ」
いつもの決まり文句。でも、その声には温かみがあった。
* * *
半日ほど歩いて、一行は古い城に到着した。
黒く染まった石壁、崩れかけた尖塔、不気味な静寂。
まさに廃墟と呼ぶにふさわしい佇まいだった。
「これが、吸血鬼の聖地……」
ルナリアが呟いた。
「確かに、死の気配が濃いですね」
「すごい魔力を感じます」
セレナも緊張した面持ちで辺りを見回す。
「古い時代の、強力な呪いが残ってる……」
「警戒を怠るな」
ブリュンヒルデが聖魔剣を抜いた。
「何が出てきてもおかしくない」
カーミラだけが、複雑な表情で城を見上げていた。
「……久しぶり」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。
城門をくぐり、中庭に入る。
そこには、無数の墓石が並んでいた。
「これは……」
「吸血鬼の墓地よ」
カーミラが説明した。
「真祖の一族は、死を選んだ時ここに葬られるの」
「死を選ぶ?」
悠斗が聞き返した。
「吸血鬼は不老不死じゃないのか?」
「永遠に生きることはできるわ。でも……」
カーミラは寂しそうに微笑んだ。
「永遠は、とても長いの。愛する人を失い、友を失い、時代に取り残されて……最後には、生きることに疲れてしまう」
「……」
悠斗は何も言えなかった。
生きることに疲れる。その気持ちは、痛いほど分かるから。
カーミラは墓石の間を歩き始めた。
まるで、何かを探すように。
「カーミラさん?」
セレナが後を追う。
「どこへ行くんですか?」
「ちょっと……会いたい人がいるの」
カーミラの足が、一つの墓石の前で止まった。
それは他の墓石より少し古く、丁寧に手入れされていた。
『愛する娘へ — 母より』
シンプルな墓碑銘。
カーミラは震える手で、石に触れた。
「お母様……」
悠斗たちは、静かに後ろで見守った。
「200年ぶりね」
カーミラは墓石に語りかけた。
「あの時は、分からなかった。どうしてお母様が死を選んだのか」
彼女の声が震えた。
「でも今なら、少し分かる気がする。一人で生きていく孤独が、どんなに辛いか」
カーミラの瞳から、涙が零れた。
「お母様が逝ってから、私はずっと独りだった。血を分けてくれる人はいても、心を分かち合える人はいなかった」
風が吹き、カーミラの赤い髪が揺れた。
「でも、今は違う」
彼女は振り返った。
そこには、心配そうに見つめる仲間たちがいた。
「ユートと出会って、みんなと出会って……私は、もう独りじゃない」
カーミラは涙を拭った。
「だから、もう大丈夫。お母様が心配していた孤独な娘は、もういません」
悠斗が一歩前に出た。
「カーミラ」
「ごめんなさい、ユート。せっかく死に場所を探しに来たのに、私のわがままで」
「いや……」
悠斗は首を振った。
「こういう場所だったのか。知らなくてすまない」
「謝らないで」
カーミラは微笑んだ。
「むしろ、ありがとう。ユートと一緒だったから、ここに来る勇気が出た」
そして彼女は、悠斗の手を取った。
「ねえ、ユート。死にたい気持ちは分かる。きっとお母様も、同じ気持ちだったから」
「……」
「でも、急がないで。私たちがいるから」
カーミラの手は、冷たいけれど優しかった。
「一緒に生きていこう。たとえ明日が見えなくても、今日という日を」
その言葉に、ルナリアたちも頷いた。
「そうですよ、ユート様」
「みんなで一緒に」
「我らは常に共に」
四人の温かい眼差しに包まれて、悠斗は小さく息をついた。
「……ああ」
死に場所は、今日も見つからなかった。
でも、なぜだろう。
焦る気持ちが、少し薄れていた。
墓地を後にする時、カーミラがぽつりと呟いた。
「ねえ、不思議よね」
「何が?」
「こうしてみんなといると、なんだか前から知ってたような気がするの」
その言葉に、他の三人も反応した。
「あ、それ私も!」
セレナが声を上げた。
「初めて会った時から、懐かしい感じがして……」
「確かに」
ルナリアも同意する。
「ユート様も、他の皆さんも、どこかで会ったような……」
「奇妙な符合だ」
ブリュンヒルデも首を傾げた。
悠斗は四人を見渡した。
確かに、初対面にしては妙に息が合う。
まるで、ずっと前から知っていたかのように。
(まさか、本当に……)
ある考えが頭をよぎったが、悠斗は首を振った。
今は、考えても仕方ない。
「さあ、戻ろう」
悠斗が歩き出すと、四人もそれに続いた。
夕日に照らされた五人の影が、仲良く並んで伸びていく。
死に場所探しの旅は続く。
でも、その足取りは、いつの間にか軽くなっていた。