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死神の記憶

夕暮れ時。

 一行は小さな村の宿屋に到着していた。


 村の入り口に立った瞬間、悠斗の足が止まった。

 石畳の道、木造の家々、遠くに見える田園風景。

 それはまるで、前世の故郷を思い出させる光景だった。


 ――田舎の実家も、こんな感じだったな。


 脳裏に、忘れかけていた記憶が蘇る。

 日本の山間部にあった小さな村。夏休みに祖父母の家を訪れた時の思い出。

 縁側で食べたスイカの味。蝉の声。花火大会の夜。


 あの頃はまだ、死にたいなんて思ってなかった。

 むしろ、永遠に夏休みが続けばいいと願っていた。



「ユート様?」



 ルナリアの声で我に返る。



「大丈夫ですか?」


「ああ、なんでもない」



 悠斗は首を振った。

 過去を振り返っても仕方がない。

 あの無邪気な少年は、もういない。

 都会に出て、社会に揉まれ、すり減っていった末に過労死した男がここにいるだけだ。



「宿に行こう」



 宿屋の扉を開けると、懐かしい木の匂いがした。

 まるで祖母の家のような――



「いらっしゃいませ!」



 女将の明るい声が響く。

 人の良さそうな中年女性だ。これもまた、記憶の中の誰かに似ている。



「ユート様、どうかしましたか?」



 ルナリアが心配そうに覗き込んでくる。



「いや……この村、なんか懐かしい感じがして」


「前に来たことがあるんですか?」


「いや、そうじゃなくて……」



 悠斗は言葉を濁した。

 前世の記憶など、説明のしようがない。



「まあいい。とりあえず部屋を取ろう」



 部屋に荷物を置いた後、悠斗は一人で宿の外に出た。

 夕暮れの村を歩いていると、また記憶が蘇ってくる。


 ――「ゆうちゃん、またおいで」


 祖母の優しい声が聞こえるような気がした。

 最後に帰省したのは、いつだっただろう。

 仕事が忙しくて、結局葬式にも間に合わなかった。



「ユート様」



 いつの間にか、ルナリアが隣を歩いていた。



「一人でどこへ?」


「ただの散歩だ」


「なら、ご一緒します」



 二人は無言で歩いた。

 村はずれの丘に登ると、夕焼けに染まる田園が一望できた。



「綺麗ですね」



 ルナリアが呟く。



「ああ」



 悠斗は遠い目をした。

 子供の頃、よくこんな場所で夕日を眺めた。

 将来の夢を語り合った幼馴染は、今頃どうしているだろう。

 きっと結婚して、子供もいて、普通に幸せに暮らしているに違いない。


 自分だけが、あの頃の夢から脱線してしまった。



「ユート様」



 ルナリアが静かに言った。



「何か、思い出しているんですね」


「……まあな」


「お話ししてもらえませんか?」



 悠斗は少し迷ったが、口を開いた。



「前世で、こんな感じの村に住んでたことがある。子供の頃の話だけど」


「そうだったんですね」


「毎年夏休みは、田舎の祖父母の家で過ごしてた。虫捕りして、川で泳いで、花火して……」



 語りながら、胸が詰まった。

 あの頃は、こんな風に死にたいなんて思わなかった。



「楽しそうですね」


「ああ。でも、それも昔の話だ」



 悠斗は自嘲的に笑った。



「大人になって、都会に出て、仕事に追われて……気がついたら、何も残ってなかった」


「ユート様……」


「祖父母も死んで、実家も人手に渡って、故郷もなくなった。俺もいつの間にか、ただの社畜になってた」



 風が吹き、ルナリアの銀髪が揺れた。



「寂しかったんですね」


「さあな」



 悠斗は曖昧に答えたが、ルナリアの言葉は的を射ていた。

 そう、寂しかったのだ。

 いつの間にか独りぼっちになっていたことに、死ぬ直前まで気づかなかった。



「でも」



 ルナリアは悠斗の手を取った。



「今は、独りじゃありませんよ」


「……」


「私たちがいます。ずっと一緒にいます」



 その言葉に、悠斗は何か温かいものを感じた。

 そうだ。今は独りじゃない。

 うるさいくらいに賑やかな仲間たちがいる。



「ありがとうな」



 小さく呟いた言葉に、ルナリアは嬉しそうに微笑んだ。



「さ、戻りましょう。みんな待ってますよ」


「ああ」



 二人は丘を下りた。

 振り返ると、夕日はもう山の端に沈みかけていた。

 前世の記憶と、今この瞬間が重なって見えた。


 でも今度は、独りじゃない。

 その事実が、不思議と心を軽くした。



 宿に戻ると、食堂では既に他の三人が待っていた。



「遅いよ、二人とも!」



 セレナが頬を膨らませる。



「せっかくの料理が冷めちゃう」


「悪い悪い」



 席につくと、温かい料理が並んでいた。

 故郷の味にも似た、素朴な家庭料理。



「いただきます」



 全員で手を合わせる。

 こんな当たり前の光景も、前世では失っていたものだった。


 食事が進む中、悠斗はふとルナリアを見た。

 彼女は料理に手をつけているが、どこか上の空のようだ。



「ルナリア、どうした?」


「え? あ、いえ……」



 ルナリアは慌てたように首を振った。



「なんでもありません」


「そうか」



 しかし、悠斗には分かっていた。

 彼女が何か思い悩んでいることを。


 食事が終わり、それぞれが部屋に戻っていく。

 悠斗も自室に向かおうとしたとき、ルナリアに呼び止められた。



「ユート様、少しお時間いただけますか?」


「ん? ああ、いいぞ」



 二人は宿の裏庭に出た。

 月明かりが静かに地面を照らしている。



「それで、話って何だ?」


「その……」



 ルナリアは躊躇うように俯いた。

 普段の彼女らしくない様子に、悠斗は眉をひそめた。



「どうした。俺に言えないことでもあるのか?」


「いえ、そうではなくて……」



 ルナリアは顔を上げた。

 月光に照らされた紅い瞳が、潤んでいるように見えた。



「ユート様は、どうして死にたいんですか?」


「……」



 唐突な質問に、悠斗は言葉を失った。



「急にどうした」


「ずっと聞きたかったんです」



 ルナリアの声が震えている。



「でも、聞くのが怖くて……」


「怖い?」


「はい」



 ルナリアは悠斗の目を真っ直ぐ見つめた。



「もし、私のせいだったらどうしようって」


「お前のせい? 何を言ってるんだ」


「だって……」



 ルナリアの瞳から、一筋の涙が零れた。



「私、死神だから。死を運ぶ存在だから。もしかしたら、私と一緒にいるから死にたくなったんじゃないかって」


「違う」



 悠斗はきっぱりと否定した。



「俺が死にたいのは、お前と出会う前からだ」


「でも……」


「聞けよ」



 悠斗は溜息をついた。



「さっきも言ったけど、俺は前世で生きることに疲れてた。毎日同じことの繰り返しで、誰からも必要とされず、ただ消耗していくだけの日々だった」


「ユート様……」


「子供の頃は違った。将来に夢があって、毎日が楽しくて、生きてることが当たり前に幸せだった」



 悠斗は夜空を見上げた。



「でも、いつの間にかそれも失った。仕事に追われて、大切な人との時間も作れず、気がついたら何も残ってなかった」


「……」


「だから、死にたかった。いや、正確には生きる意味が分からなくなった」



 月が雲に隠れ、辺りが少し暗くなった。



「それは今も変わらない。不死身になって、余計に生きる意味が分からなくなった」


「……」



 ルナリアは黙って聞いていた。

 その表情が、どんどん悲しげになっていく。



「でも」



 悠斗は続けた。



「お前たちと出会ってから、少し違う。相変わらず死にたいけど、前ほど急いでない」


「え?」


「なんていうか……まあ、もう少しくらい生きててもいいかなって」



 悠斗は照れくさそうに頭を掻いた。



「変な話だけどな」



 ルナリアの瞳が大きく見開かれた。

 そして、また涙が溢れてきた。



「ユート様……」


「おい、なんで泣くんだよ」


「だって……」



 ルナリアは両手で顔を覆った。



「嬉しくて……怖くて……」


「?」


「私、ずっと後悔してたんです」



 ルナリアは顔を上げた。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、それでも真剣な表情で悠斗を見つめる。



「実は私……死神として、一度大きな失敗をしたことがあるんです」


「失敗?」


「はい」



 ルナリアは震える声で語り始めた。



「まだ死神になって間もない頃でした。ある村で、一人の男の子の魂を導くことになったんです」


「……」


「その子は、まだ10歳でした。病気で苦しんでいて、もう助かる見込みはなかった」



 ルナリアの声が詰まった。



「でも、その子は死ぬことを望んでいました。『もう痛いのは嫌だ』『楽になりたい』って」


「……」


「私は、規則通りに魂を導こうとしました。でも……」



 ルナリアは拳を握りしめた。



「その子のお母さんが現れて、『もう少しだけ』『もう少しだけ一緒にいさせて』って泣きながら頼むんです」


「それで?」


「私は……迷いました。規則では、定められた時間に魂を導かなければならない。でも、あの母子の姿を見ていたら……」



 ルナリアの肩が震えた。



「結局、私は時間を延ばしました。ほんの少しだけ、母子の時間を作ったんです」


「優しいじゃないか」


「違うんです!」



 ルナリアは首を振った。



「その間に、男の子の苦痛は増していきました。死ねない苦しみが、どんどん大きくなって……」


「……」


「最後に魂を導いた時、その子は言いました。『どうして早く連れて行ってくれなかったの』って」



 ルナリアは泣き崩れた。



「私の甘い判断のせいで、あの子により多くの苦痛を与えてしまった。死にたがっていた子を、生き地獄に閉じ込めてしまったんです」


「ルナリア……」


「それ以来、私は迷わないと決めました。定められた時間に、定められた方法で、粛々と魂を導く。感情を入れない。それが死神の務めだと」



 ルナリアは涙を拭った。



「でも、ユート様と出会って……また迷い始めました」


「?」


「ユート様は死にたがっている。でも私は、ユート様に死んでほしくない。あの時と同じような過ちを、また繰り返そうとしている」



 ルナリアは悠斗の手を取った。



「でも、でも……! やっぱり嫌なんです。ユート様がいなくなるなんて、考えたくない」


「ルナリア」


「こんな私は、死神失格ですよね。でも、もう割り切れない。ユート様のことが好きだから」



 月光の下、銀髪の死神は涙を流しながら告白した。



「永遠に一緒にいたい。それが私の本当の願いです。たとえユート様を苦しめることになっても……」


「なあ、ルナリア」



 悠斗は優しく問いかけた。



「その男の子は、最後どんな顔してた?」


「え?」


「魂を導かれる時、どんな表情だった?」



 ルナリアは記憶を辿るように目を閉じた。



「苦しそうで……でも、どこか安らかで……」


「そうか」



 悠斗は微笑んだ。



「なら、お前は間違ってない」


「でも、私のせいで苦しみが……」


「違う」



 悠斗は首を振った。



「その子は、母親との最後の時間を過ごせたんだろ? それは、お前がくれた贈り物だ」


「贈り物……?」


「ああ。規則を破ってでも、人の心を大切にした。それの何が悪い」



 悠斗はルナリアの頭を優しく撫でた。



「お前は優しい死神だ。それでいい」


「ユート様……」


「それに」



 悠斗は苦笑した。



「俺の場合は違う。俺は本当に死なないんだから、お前が悩む必要はない」


「でも、死にたがっているのに……」


「まあ、それはそれとして」



 悠斗は夜空を見上げた。



「最近思うんだ。死ぬのは簡単だけど、生きるのは難しいって。…まぁ、俺が死ぬのは難しいけど」


「え?」


「お前たちといると、生きるのも悪くないって、たまに思う」



 悠斗は照れくさそうに言った。



「子供の頃みたいに、無邪気に生きることはもうできない。でも、別の形で生きる意味を見つけられるかもしれない」


「ユート様……」


「だから、もう少し付き合ってくれ。俺の我儘に」


「ユート様!」



 ルナリアは悠斗に抱きついた。



「はい! 永遠に付き合います! ずっと、ずっと一緒にいます!」


「永遠は勘弁してくれ」



 悠斗は苦笑したが、抱きしめ返した。


 月明かりの下、銀髪の死神は幸せそうに微笑んでいた。

 過去の後悔を乗り越えて、新しい一歩を踏み出した瞬間だった。



 翌朝。

 いつものように、悠斗は首筋の感覚で目覚めた。



「ん……」


「おはようございます、ユート様」



 ルナリアが幸せそうに微笑んでいる。

 今日は血を吸っているのではなく、ただ寄り添っているだけだった。



「血は吸わないのか」


「今日は、ただこうしていたくて」



 ルナリアは悠斗にしがみついた。



「ダメですか?」


「……好きにしろ」



 悠斗は諦めたように言ったが、その表情は穏やかだった。



「あら、今日は大人しいのね」



 カーミラが起き上がった。



「じゃあ、私がいただくわ」


「どうぞどうぞ」



 ルナリアが譲ると、カーミラは首を傾げた。



「なんか調子狂うわね」


「たまにはいいじゃないですか」



 ルナリアは幸せそうに笑った。



「ユート様と一緒にいられるだけで、十分ですから」


「ふーん」



 カーミラは何か察したような顔をしたが、それ以上は聞かなかった。



「二人とも、朝ごはんですよ~」



 セレナが顔を出した。



「今日は私が作ったんです」


「では、身支度を整えて参ります」



 ブリュンヒルデも起きてきた。


 賑やかな朝が始まる。

 悠斗は窓の外を見ながら思った。


 死に場所を探す旅は続いている。

 でも、急ぐ必要はない。

 この賑やかな日々を、もう少し楽しんでもいい。


 子供の頃のような無邪気さは取り戻せない。

 でも、新しい形の幸せなら、見つけられるかもしれない。


 ルナリアが幸せそうに微笑んでいるのを見て、悠斗も小さく笑った。


 生きることは、まだよく分からない。

 でも、誰かの笑顔を見るのは、悪くない。


 新しい一日が、始まろうとしていた。

初めての投稿で右も左もわからないですが、気軽に感想や誤字脱字等いただけると助かります。

話の矛盾や表現がおかしい等もあれば嬉しいです。

もちろんモチベーションにもなるので、応援コメントなんかもあると小太りします。(祝い酒)

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