血を分けた契約
夕食を終えた三人は、焚き火を囲んで座っていた。
炎が静かに揺れる中、カーミラが満足そうに息をついた。
「ふぅ……美味しかったわ、ルナリア。まさか死神がこんなに料理上手だなんて」
「あら、ありがとうございます」
ルナリアは嬉しそうに微笑んだ。
「でも、吸血鬼も普通の食事をするんですね。血だけかと思ってました」
「失礼ね~」
カーミラは頬を膨らませた。
「確かに血は主食だけど、美味しいものは美味しいのよ。200年も生きてれば、グルメにもなるわ」
「200年……」
ルナリアが感心したように呟いた。
「私なんて、まだ50年ちょっとしか生きてないから、まだまだひよっこです」
「死神でも50年は若い方なの?」
悠斗が興味を持って尋ねた。
「はい。死神族は基本的に長寿ですから。純血なら1000年以上生きる方もいます」
「へぇ……」
悠斗は少し意外そうな顔をした。
考えてみれば、人外の存在と一緒にいるのだ。常識が通じないのは当然か。
「でも、ユートはもっと特別よね」
カーミラが悠斗をじっと見つめた。
「不死身の肉体……寿命が無限大……普通じゃ考えられないわ」
「別に望んだわけじゃない」
悠斗は苦々しく答えた。
「死にたいのに死ねないなんて、ただの呪いだ」
「でも……」
ルナリアが遠慮がちに口を開いた。
「私は、ユート様に出会えて嬉しいです。もしユート様が普通の人間だったら、きっと出会うこともなかったでしょうし」
「そうね」
カーミラも頷いた。
「それに、あの血の味……一度味わったら忘れられないもの」
そう言って、彼女は舌なめずりをした。
その仕草が妙に色っぽくて、悠斗は思わず視線を逸らした。
「明日も飲むつもりか?」
「もちろん」
カーミラは即答した。
「朝の一杯は欠かせないわ。ね、ルナリア?」
「え? あ、その……」
ルナリアは顔を赤くした。
「私は別に、血を吸う必要はないんですけど……でも、あの幸福感は……」
「正直になりなさいよ」
カーミラがからかうように言った。
「ユートの血が欲しいんでしょう?」
「そ、そんな言い方……!」
真っ赤になるルナリアを見て、カーミラは楽しそうに笑った。
悠斗は二人のやり取りを見ながら、複雑な気持ちになった。
前世では、こんな風に誰かと談笑することなんてなかった。
仕事が終われば真っ直ぐ家に帰り、コンビニ弁当を食べて寝るだけの生活。
(これは、これで……)
その考えを振り払うように、悠斗は立ち上がった。
「そろそろ寝るか」
「あ、ユート様」
ルナリアが慌てて立ち上がった。
「寝床の準備をしないと」
「俺は適当にその辺で——」
「ダメです!」
ルナリアの声が大きくなった。
「夜の森は危険です。魔物も出ますし、一人で寝るなんて」
「俺、不死身なんだが」
「それでもダメです!」
ルナリアは譲らなかった。
その必死な表情に、悠斗は諦めたように溜息をついた。
「分かった分かった」
「それなら、私も一緒に寝るわ」
カーミラがさらりと言った。
「朝起きたら、すぐに朝食がいただけるし」
「朝食って……」
悠斗が呆れたように言うと、カーミラは悪戯っぽく笑った。
「血のことよ。新鮮な朝の血は格別なの」
「カーミラさん!」
ルナリアが咎めるように言ったが、その声には笑いが混じっていた。
結局、三人で並んで寝ることになった。
悠斗を真ん中に、両側から二人が寄り添う形だ。
「狭くないですか、ユート様?」
「いや、大丈夫だ」
実際は窮屈だったが、文句を言っても仕方ない。
「じゃあ、おやすみなさい」
カーミラが悠斗の左腕を抱き枕のように抱えた。
「ちょ、カーミラさん!」
ルナリアが抗議の声を上げる。
「じゃあ、私も……」
そう言って、ルナリアも右腕を抱きしめた。
「おい、お前ら……」
「おやすみ、ユート」
「おやすみなさい、ユート様」
二人はあっさりと目を閉じてしまった。
悠斗は天を仰いだ。
(こんなんで寝れるか……)
しかし、不思議なことに、二人の体温が心地良かった。
前世では考えられない状況だが、悪くない。
星空を見上げながら、悠斗はゆっくりと目を閉じた。
* * *
翌朝。
悠斗は首筋のくすぐったい感覚で目を覚ました。
「ん……?」
薄目を開けると、カーミラが首筋に顔を埋めていた。
その舌が、優しく肌を舐めている。
「起きた?」
カーミラは悪戯っぽく微笑んだ。
「おはよう、ユート」
「朝から何してるんだ……」
「朝ごはんの準備よ」
そう言って、彼女は小さく牙を立てた。
チクリとした痛みの後、血を吸われる感覚が広がる。
「んー……やっぱり朝の血は美味しい」
恍惚とした表情で血を吸うカーミラ。
その様子を見て、反対側でルナリアも目を覚ました。
「あ……ずるい!」
慌てて起き上がるルナリア。
寝起きで髪が少し乱れているが、それがまた可愛らしい。
「カーミラさん、独り占めはよくないです」
「あら、早い者勝ちよ」
カーミラは血を吸いながら答えた。
「でも、まあ……少しなら分けてあげてもいいわ」
「本当ですか?」
ルナリアの顔が明るくなった。
「ええ。仲間だもの」
カーミラは顔を上げると、満足そうに舌なめずりをした。
「はい、どうぞ」
「では、失礼します……」
ルナリアは遠慮がちに悠斗の首筋に顔を近づけた。
昨日とは違い、今日は躊躇いがない。
「いただきます」
小さく歯を立てて、血を吸い始める。
ルナリアの頬が、みるみる赤く染まっていく。
「ああ……やっぱりすごい……」
うっとりとした声が漏れる。
「力が溢れてきて……幸せな気持ちになって……」
「でしょう?」
カーミラが得意げに言った。
「ユートの血は特別なのよ」
「本当にそうですね……」
二人が仲良く血について語り合っている間、悠斗は複雑な表情をしていた。
(俺は人間じゃなくて、栄養ドリンクか何かか……)
でも、二人が嬉しそうにしているのを見ると、悪い気はしなかった。
むしろ、誰かの役に立っているという実感がある。
前世では、仕事をこなすだけの歯車だった。
誰からも必要とされず、ただ消耗していくだけの日々。
それが今は——
「ごちそうさまでした」
ルナリアが顔を上げた。
その表情は、とても幸せそうだった。
「ユート様、ありがとうございます」
「別に……」
悠斗は視線を逸らした。
感謝されると、どう反応していいか分からない。
「さて、朝食も済んだし」
カーミラが立ち上がった。
「今日はどこへ行くの?」
「そうだな……」
悠斗は考え込んだ。
もっと確実に死ねる場所を探さなければ。
「それなら、いい場所があるわ」
カーミラが手を挙げた。
「ここから東に半日ほど行ったところに、『終焉の谷』っていう場所があるの」
「終焉の谷?」
「ええ。呪われた土地で、生きとし生けるものは近づくだけで死ぬって言われてる」
それを聞いて、悠斗の目が輝いた。
「本当か!」
「ええ。ただ……」
カーミラは少し言いよどんだ。
「本当に危険な場所よ。私でも近づきたくないくらい」
「なら、なおさら行かないと」
悠斗は即座に決断した。
ルナリアは心配そうな表情を浮かべた。
「でも、ユート様……」
「心配するな。どうせ俺は死なない」
自嘲的に言う悠斗を見て、ルナリアとカーミラは顔を見合わせた。
そして、同時に頷いた。
「なら、一緒に行きます」
「当然よ」
二人の声は、決意に満ちていた。
「お前らは来なくていい」
「ダメです」
ルナリアはきっぱりと言った。
「ユート様を一人にはしません」
「そうよ。私たちは仲間でしょう?」
カーミラも同意する。
二人の真剣な表情を見て、悠斗は諦めたように溜息をついた。
「……勝手にしろ」
こうして、三人は『終焉の谷』を目指すことになった。
* * *
森を抜けて、開けた平原に出た。
見渡す限りの草原が広がり、心地よい風が吹いている。
「いい天気ね」
カーミラが日傘を差しながら言った。
黒いレースの日傘は、彼女のゴシックドレスとよく合っている。
「吸血鬼は日光が苦手なんですよね」
ルナリアが心配そうに尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう。でも平気よ」
カーミラは微笑んだ。
「真祖だから、日光くらいじゃ死なないわ。ただ、力が弱まるのと、肌が焼けるのが嫌なだけ」
「なるほど」
ルナリアは納得したように頷いた。
「でも、200年も生きてると、美容も大変でしょうね」
「そうなのよ~」
カーミラは大げさに溜息をついた。
「特に最近は、ユートの血のおかげで肌の調子はいいけど」
「確かに、カーミラさんの肌、すごく綺麗です」
ルナリアが羨ましそうに言った。
「ルナリアだって十分綺麗じゃない」
カーミラが褒め返すと、ルナリアは照れたように笑った。
「そんな……」
女性同士の会話を聞きながら、悠斗は少し先を歩いていた。
と、その時——
「ん?」
前方に何かが見えた。
目を凝らすと、それは倒れている人影だった。
「誰か倒れてる」
悠斗の言葉に、二人も気づいた。
「本当だ」
「助けに行きましょう」
ルナリアが駆け寄ろうとしたが、悠斗が制止した。
「待て」
「でも……」
「罠かもしれない」
悠斗は警戒していた。
こんな平原の真ん中で人が倒れているなんて、不自然だ。
「そうね。用心に越したことはないわ」
カーミラも同意した。
三人は慎重に近づいていく。
倒れているのは、紫髪の少女だった。
魔女のような恰好をしているが、ローブはボロボロで、大きな帽子も転がっている。
「う……うぅ……」
少女が苦しそうに呻いた。
「お腹……すいた……」
どうやら、単純に空腹で倒れているらしい。
「なんだ、ただの空腹か」
悠斗は拍子抜けしたように呟いた。
「でも、こんなところで餓死寸前なんて……」
ルナリアが心配そうに言った。
「助けてあげましょう」
「え?」
悠斗は戸惑った。
「いや、でも……」
「ユート様なら、助けますよね?」
ルナリアはにっこりと笑った。
その笑顔に、悠斗は言葉を失った。
「……チッ」
悠斗は舌打ちすると、荷物から保存食を取り出した。
干し肉とパンと水筒を少女の前に置く。
「ほら、食え」
「え……?」
少女は顔を上げた。
翠緑の瞳が、驚きに見開かれる。
「本当に……いいんですか?」
「早く食え。死なれても困る」
悠斗の素っ気ない言葉とは裏腹に、その行動は優しかった。
「あ、ありがとうございます!」
少女は保存食に飛びつき、涙を流しながら食べ始めた。
よほど空腹だったらしく、あっという間に平らげてしまった。
「はぁ……生き返りました……」
少女は深い息をついた。
そして、改めて悠斗たちを見上げた。
「本当にありがとうございました。私、セレナといいます」
彼女は立ち上がると、深々と頭を下げた。
「魔女をしているんですが、修行の旅の途中で食料が尽きてしまって……」
「魔女?」
カーミラが興味深そうに尋ねた。
「どんな魔法が使えるの?」
「えっと、薬草の知識とか、簡単な呪文とか……」
セレナは恥ずかしそうに答えた。
「まだ見習いなので、大したことはできませんが」
「呪文」
その言葉に、ルナリアが反応した。
「どんな呪文ですか?」
「回復とか、浄化とか、あとは……」
セレナは少し言いよどんだ。
「恋愛成就の呪いとか……」
「恋愛成就?」
二人の目が光った。
「それ、本当に効果あるの?」
「詳しく聞かせてください」
急に食いつく二人を見て、悠斗は呆れた。
「おい、話が脱線してるぞ」
「あ、すみません」
セレナは慌てて話を戻した。
「それで、本当にお礼がしたいんです。命の恩人ですから」
そう言って、彼女は悠斗の手を取った。
「何かお手伝いできることはありませんか?」
「いや、別に……」
悠斗が答えようとした時、セレナの瞳がキラキラと輝き始めた。
「あの……お名前は?」
「……ユート」
「ユート様……」
セレナは頬を赤らめた。
「なんて優しい方……見ず知らずの私に、食べ物を分けてくださるなんて」
「私、一生このご恩は忘れません!」
彼女の瞳が興奮で輝いている。
悠斗は嫌な予感がした。こんな光景は、もう見慣れてしまった。
「ユート様……きっとこれは運命の出会いです!」
「いや、ただの偶然だ」
悠斗は素っ気なく答えたが、セレナは聞いていなかった。
「私、決めました! ユート様についていきます!」
「は?」
予想通りの展開に、悠斗は頭を抱えた。
「別についてこなくていい」
「でも、恩返しをしないと……」
「必要ない」
「そんな!」
セレナは必死の表情で食い下がった。
「私、料理も得意ですし、呪文で傷の治療もできます。それに……」
彼女は少し声を落とした。
「この辺りの地理にも詳しいんです。危険な場所や安全な宿場町の情報とか」
それを聞いて、ルナリアとカーミラが興味を示した。
「料理が得意?」
「どんな料理を作れるんですか?」
二人の反応に、セレナは嬉しそうに答えた。
「薬草を使った体力回復スープとか、魔力を高めるお茶とか、あとは普通の料理も一通りできます」
「へぇ~」
ルナリアが感心したように言った。
「薬草料理なんて、私も習いたいです」
「良かったら、お教えしますよ」
セレナは満面の笑みを浮かべた。
「それに、私の呪文は恋愛成就だけじゃなくて、疲労回復や解毒にも効果があるんです」
「解毒?」
カーミラが眉を上げた。
「それは便利ね。この先、毒を使う魔物も多いし」
「はい! お役に立てると思います」
セレナは胸を張った。
二人がセレナと仲良く話している様子を見て、悠斗は諦めたように溜息をついた。
「……好きにしろ」
「本当ですか!?」
セレナは飛び上がって喜んだ。
「ありがとうございます、ユート様!」
そして、彼女は悠斗の腕に抱きついた。
「えへへ……これからよろしくお願いします」
「おい、離れろ」
「やだ~」
セレナは甘えた声を出した。
「命の恩人なんですから、少しくらいいいじゃないですか」
その様子を見て、ルナリアとカーミラは苦笑した。
「また一人増えましたね」
「賑やかになりそうね」
二人とも、特に嫉妬する様子はなかった。
むしろ、新しい仲間ができたことを素直に受け入れているようだ。
「あの、先輩方」
セレナが二人に向き直った。
「これからよろしくお願いします。邪魔にならないように頑張りますから」
「先輩?」
ルナリアが困ったように笑った。
「そんな堅苦しくしなくても」
「そうよ。対等な仲間として接しましょう」
カーミラも頷いた。
「ありがとうございます!」
セレナは嬉しそうに微笑んだ。
「でも、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「皆さんは、どういう関係なんですか?」
その質問に、ルナリアとカーミラは顔を見合わせた。
「それは……」
「まあ、色々あるのよ」
二人が言葉を濁していると、悠斗が口を開いた。
「単なる仲間だ」
「仲間……」
セレナは少し考え込むような表情を見せた。
「でも、皆さんユート様のことを特別に思ってるように見えますけど」
「それは……」
ルナリアが赤面した。
「まあ、そうね」
カーミラは開き直ったように言った。
「私たちはユートのことが好きよ。でも、別に争ってるわけじゃないわ」
「そうなんですか?」
「ええ。だって、ユートは一人しかいないけど、私たちの気持ちはそれぞれ本物だもの」
カーミラの言葉に、ルナリアも頷いた。
「そうです。大切なのは、ユート様を支えることですから」
「なるほど~」
セレナは納得したように頷いた。
「じゃあ、私も仲間に入れてもらってもいいですか?」
「もちろん」
「歓迎するわ」
こうして、あっさりと四人目の仲間が加わることになった。
悠斗は複雑な表情で四人を見ていた。
どうしてこうなるのか、自分でも理解できない。
しかし、彼女たちが楽しそうに話している姿を見ると、悪い気はしなかった。
(まあ、いいか……)
そう自分に言い聞かせて、悠斗は歩き始めた。
「そろそろ行くぞ」
「はい」
「分かったわ」
「待ってください~」
三人の少女たちが、慌てて後を追った。
* * *
四人での旅が始まって数時間。
セレナは道中で薬草を見つけては採取し、それぞれの効能を説明していた。
「これはルーンリーフ。傷の治りを早める効果があります」
「へぇ、勉強になります」
ルナリアが興味深そうに聞いている。
「こっちのはナイトシェードね。毒草だけど、薄めれば薬にもなるのよ」
カーミラも知識が豊富だった。
「さすがカーミラさん! よくご存じですね」
「200年も生きてればね」
女性陣が薬草談義に花を咲かせている間、悠斗は周囲を警戒していた。
そろそろ『終焉の谷』が近いはずだ。
「なあ、まだか?」
悠斗が尋ねると、セレナが前方を指差した。
「あと少しです。ほら、もう見えてきました」
彼女の指す方向を見ると、確かに谷らしき地形が見える。
そして、そこから不気味な瘴気が立ち上っているのが分かった。
「本当に危険そうね」
カーミラが眉をひそめた。
「あの瘴気、普通じゃないわ」
「私も嫌な感じがします」
ルナリアも不安そうだ。
「やめておいた方がいいんじゃないですか?」
セレナも心配そうに言った。
しかし、悠斗の表情は明るかった。
「いや、これは期待できる」
彼は速足で谷に向かって歩き始めた。
「ユート様!」
「ユート!」
「待ってください!」
三人は慌てて追いかけた。
谷の入り口に着くと、瘴気はさらに濃くなった。
普通の人間なら、呼吸するだけで危険なレベルだ。
「ゲホッ、ゲホッ」
セレナが咳き込み始めた。
「大丈夫か?」
悠斗が振り返ると、三人とも顔色が悪くなっていた。
「私たちは平気ですから……」
ルナリアが無理して笑顔を作る。
「でも、これは……」
カーミラも苦しそうだ。
すると、セレナが呪文を唱え始めた。
「風よ、清らかなる力を我らに……浄化の風壁!」
彼女の周りに薄い光の膜が現れ、それが四人を包み込んだ。
すると、瘴気の影響が和らいだ。
「楽になった……」
「すごいですね、セレナさん」
ルナリアとカーミラが感心した。
「えへへ、お役に立てて良かったです」
セレナは嬉しそうに笑った。
「でも、そんなに長くは持ちません。急ぎましょう」
四人は谷の奥へと進んでいった。
道は険しく、足場も悪い。
そして、瘴気は奥へ行くほど濃くなっていく。
「これは……」
ついに谷底に到達すると、そこには巨大な魔法陣が刻まれていた。
黒い光を放つその魔法陣は、明らかに危険な代物だった。
「古代の死の魔法陣!」
セレナが驚愕の声を上げた。
「こんなものがまだ残っていたなんて……」
「死の魔法陣?」
悠斗の目が輝いた。
「それって、触れたら死ぬのか?」
「はい。理論上は、どんな生物も即死するはずです」
「素晴らしい!」
悠斗は迷わず魔法陣に向かって走り出した。
「待って!」
「ユート!」
「ユート様!」
三人の声も届かず、悠斗は魔法陣の中心に飛び込んだ。
瞬間、黒い光が悠斗を包み込む。
禍々しい力が全身を貫いていく。
(これは……!)
確かに、今までにない強力な力だった。
普通の人間なら、一瞬で魂まで消滅するだろう。
しかし――
光が収まると、悠斗は無傷で立っていた。
「……またダメか」
落胆の声が漏れた。
期待したほどの効果はなかった。
「ユート様!」
三人が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「無事で良かった……」
「心配しました……」
三人とも心の底から安堵している様子だった。
その時、異変が起きた。
魔法陣が急に赤く光り始めたのだ。
「まずい!」
セレナが叫んだ。
「魔法陣が暴走してる! 多分、ユート様の不死身の力と干渉して……」
地面が激しく揺れ始めた。
谷の岩壁が崩れ、巨大な岩が降ってくる。
「逃げるぞ!」
悠斗は即座に判断した。
三人を抱えると、全速力で谷の外を目指した。
「きゃあ!」
「ちょ、ユート!」
「ユート様~!」
三人の悲鳴を聞きながら、悠斗は必死に走った。
不死身の肉体は、こういう時に役に立つ。
常人の何倍もの速度で駆け抜けていく。
間一髪で谷を脱出したところで、背後で大爆発が起こった。
『終焉の谷』は完全に崩壊し、巨大な穴だけが残った。
「はあ……はあ……」
全員が地面に倒れ込んだ。
激しい運動と緊張で、息が上がっている。
「大丈夫か、みんな」
悠斗が尋ねると、三人は顔を上げた。
「は、はい……」
「な、なんとか……」
「生きてます……」
そして、三人は同時に悠斗を見つめた。
「ユート様が……」
「私たちを……」
「助けてくれた……」
その瞳には、感動と、そして何か別の感情が宿っていた。
「別に大したことじゃない」
悠斗は視線を逸らした。
自分でも、なぜ彼女たちを助けたのか分からない。
死にたいはずなのに、彼女たちが危険に晒されると体が勝手に動いてしまう。
「ユート様……」
ルナリアが潤んだ瞳で見つめてくる。
「やっぱり優しいのね」
カーミラも微笑んだ。
「素敵です~」
セレナは完全に恋する乙女の表情だった。
その時、空から声が響いた。
「おい! そこの者たち!」
見上げると、金髪の女騎士が翼を広げて飛んでいた。
鎧ドレスを身に纏い、腰には聖魔剣を下げている。
片目は青、もう片目は赤という特徴的なオッドアイだった。
「何者だ!」
彼女は地上に降り立つと、悠斗たちを睨みつけた。
「『終焉の谷』を破壊したのはお前たちか?」
「ああ、そうだけど」
悠斗があっさり認めると、女騎士の表情が険しくなった。
「なんてことを……あそこは古代の封印が施された場所だったのに」
「封印?」
「そうだ。邪悪な存在を封じ込めていた聖地だったんだ」
女騎士は剣を抜いた。
「責任を取ってもらう」
「面倒だな」
悠斗は興味なさそうに呟いた。
すると、ふと思いついたように女騎士を見た。
「なあ、お前強いんだろ?」
「当然だ」
女騎士は胸を張った。
「私はブリュンヒルデ。天使と悪魔の血を引くネフィリムの戦乙女だ」
「へぇ」
悠斗の目が輝いた。
「じゃあ、頼みがある」
「何だ?」
「俺を殺してくれ」
その言葉に、ブリュンヒルデは困惑した。
「は? 何を言っている」
「全力で攻撃してくれ。遠慮はいらない」
悠斗は真剣な表情だった。
「……正気か?」
「ああ。頼む」
ブリュンヒルデは暫く悠斗を見つめていたが、やがて不敵な笑みを浮かべた。
「面白い。いいだろう」
彼女は聖魔剣を構えた。
刃が光を放ち始める。
「後悔するなよ」
「望むところだ」
ブリュンヒルデは大きく剣を振りかぶった。
「行くぞ! 聖魔合一斬!」
光と闇が融合した斬撃が放たれた。
それは空間さえも切り裂きそうな威力で、悠斗に直撃した。
轟音と共に、激しい爆発が起こる。
砂煙が舞い上がり、視界を遮った。
「ユート様!」
「ユート!」
「きゃあ!」
三人の悲鳴が響く。
しかし、煙が晴れると――
悠斗は無傷で立っていた。
服すら破れていない。
「……やっぱりダメか」
悠斗は落胆した様子で呟いた。
一方、ブリュンヒルデは愕然としていた。
「馬鹿な……」
彼女の必殺技が、全く効いていない。
それどころか、傷一つない。
「私の聖魔合一斬が……効かないだと?」
ブリュンヒルデは震える声で呟いた。
そして、悠斗をまじまじと見つめる。
「お前……一体何者だ?」
「ただの人間だ」
悠斗は素っ気なく答えた。
「ただし、死ねない呪いがかかってるだけで」
「死ねない……?」
ブリュンヒルデの瞳に、何か別の感情が宿り始めた。
それは驚きと、畏敬と、そして――
「素晴らしい……」
彼女は呟いた。
「なんという強さ……私の全力を受けて無傷だなんて……」
ブリュンヒルデは聖魔剣を鞘に収めると、その場に膝をついた。
「私の完敗だ」
「は?」
今度は悠斗が困惑する番だった。
「何をしてるんだ」
「強き戦士よ、名を聞かせてもらえるか」
ブリュンヒルデは顔を上げた。
その瞳は、崇拝の光に満ちていた。
「……ユート・ブラックハート」
「ユート・ブラックハート」
彼女はその名を噛みしめるように繰り返した。
「私を、あなたの守護騎士にしてください」
「はあ!?」
また予想外の展開に、悠斗は頭を抱えた。
「なんで守護騎士なんだ」
「私は誓いを立てている」
ブリュンヒルデは真剣な表情で言った。
「最強の者に仕えると。そして今、私は真の強者を見つけた」
「いや、俺は別に強くない。ただ死なないだけで」
「それこそが究極の強さです」
ブリュンヒルデは立ち上がり、悠斗の手を取った。
「お願いします。私に、あなたを守らせてください」
「守る? 俺は死にたいんだぞ」
「それでも守ります」
ブリュンヒルデの決意は固かった。
「たとえあなたが死を望んでも、私はあなたを生かし続ける。それが守護騎士の務めですから」
「……」
悠斗は深い溜息をついた。
また面倒な人間が増えた。
しかも、今度も明らかに普通じゃない。
「勝手にしろ」
諦めたように言うと、ブリュンヒルデの顔が明るくなった。
「ありがとうございます!」
彼女は嬉しそうに悠斗の手を握った。
その力は、見た目以上に強い。
「これからは24時間、私があなたを守り抜きます」
「それストーカーじゃ……」
「守護騎士の誇りにかけて」
真顔で言い切られた。
そんな様子を見ていた三人が、歩み寄ってきた。
「また新しい仲間ですね」
ルナリアが微笑んだ。
「賑やかになるわね」
カーミラも楽しそうだ。
「よろしくお願いします~」
セレナは人懐っこく挨拶した。
ブリュンヒルデは三人を見て、少し驚いた様子を見せた。
「君たちは……」
「私たちもユート様の仲間です」
ルナリアが説明した。
「みんなでユート様を支えているんです」
「そうか」
ブリュンヒルデは納得したように頷いた。
「では、共に主君を守ろう」
「はい」
「ええ」
「頑張りましょう!」
四人の少女たちは、あっさりと意気投合した。
まるで昔からの友人のように、自然に打ち解けている。
悠斗は呆れたように空を見上げた。
「……なんなんだ、こいつら」
しかし、口元には微かな笑みが浮かんでいた。
賑やかな仲間たちに囲まれて、悪い気はしなかった。
こうして、仲間が四人に増えた。
死を求める男と、彼を守ろうとする少女たち。
奇妙な一行の旅は、まだ始まったばかりだった。
5/14 聖剣→聖魔剣へ修正