記憶の統合
「元の世界で、君たちの体に異変が——」
記録者の警告は、光に飲み込まれた。
しかし、その恐怖に満ちた声が、悠斗の心に深く刻まれる。
異変?
植物状態の俺たちの体に、何が起きているんだ?
強烈な光が五人を包み込んでいく。
意識が混濁し、記憶が渦を巻く。
そして——
『記憶の統合 開始』
システムメッセージのような声が響いた。
それは記録者でも記憶の番人でもない、もっと古い存在の声だった。
『対象:ブラック システム管理者 悠斗』
『対象:夜猫 人事部 瑠奈』
『対象:紅月 コンサルタント 香澄』
『対象:薬草師 研究開発 芹奈』
『対象:盾役騎士 セキュリティ 真琴』
『対象:月影 システム管理者 玄』
『統合率 10%』
悠斗の頭に激痛が走った。
まるで頭蓋骨を内側から叩き割られるような痛み。
「あああああ!」
悠斗が頭を抱える。
他人の記憶が、無理やり押し込まれてくる感覚。
——瑠奈の視点。
深夜3時のオフィス。誰もいない人事部。
『ブラックさん、また徹夜ですか?』
チャットに打ち込む指が震えている。
画面の向こうの見えない相手への心配。
『このままじゃ、あの人死んじゃう』
『でも、私にできることは……』
『せめて話を聞いてあげることだけ』
——瑠奈の感情が津波のように押し寄せる。
愛情、執着、心配、恐怖。
すべてが悠斗の心に流れ込んでくる。
「これは……ルナリアの……」
悠斗が震え声で呟く。
彼女がどれほど自分を心配していたかを、身をもって理解した。
『統合率 25%』
今度は香澄の記憶が襲ってくる。
——会議室。
香澄が必死にプレゼンしている。
『この改善案なら、残業時間を半分に削減できます』
『社員の健康も守れて、効率も上がります』
しかし、役員たちの反応は冷たい。
『理想論だな』
『現実を見ろ』
『所詮、外部の人間にはわからない』
会議後、廊下で一人泣き崩れる香澄。
そこに声をかけてきたのが——
『香澄さん、プレゼン見てました』
悠斗だった。
『俺、あなたの案を技術面でサポートできます』
『本気で会社を変えたいなら、一緒にやりましょう』
その時の香澄の感情。
絶望から希望への転換。
初めて理解してもらえた喜び。
そして——愛情。
「ううう……」
悠斗が苦しそうに呻く。
香澄の想いが、あまりにも重い。
『統合率 40%』
芹奈の記憶が続く。
——研究開発部の実験室。
夜遅くまで栄養剤の開発に没頭する芹奈。
『みんな、疲れてる……』
『私の作ったもので、少しでも楽になってもらいたい』
『でも、この成分……本当に大丈夫かな?』
データを見つめる芹奈の不安。
しかし、同僚たちの疲労を見ると、リスクを冒してでも……
『きっと大丈夫』
『みんなのためだから』
——そして、結果的に引き起こされた集団幻覚。
芹奈の罪悪感と自責の念が、悠斗を押し潰す。
「セレナ……」
悠斗の瞳に涙が浮かぶ。
彼女がどれほど自分を責めていたかを知った。
『統合率 60%』
真琴の記憶。
——セキュリティ部門の監視室。
モニターに映る同僚たちの疲れ切った姿を見つめる真琴。
『このままではいけない』
『でも、私一人では……』
会社の不正を発見しても、告発する勇気がない。
上司への恐怖と、同僚を守りたい想いの板挟み。
そして、悠斗が倒れた日——
『私が守らなければならなかった』
『私の責任だ』
『私が無力だから……』
——真琴の後悔と自責が、悠斗の心を引き裂く。
「みんな……俺のせいで……」
悠斗が呟く。
四人の想いがあまりにも重く、苦しい。
『統合率 80%』
最後に、玄の記憶。
——システム管理室。
サーバーに映る勤務記録を見つめる玄。
『このままじゃ、本当にみんな死ぬ』
『でも、どうすれば……』
労基への内部告発を決意する玄。
しかし、その前に仲間たちを休ませようと提案した時——
『ブラック:やっぱり会社に行く』
『ブラック:みんなには迷惑かけられない』
止められなかった後悔。
そして、悠斗が倒れた後の絶望。
『俺が止められていれば……』
『俺がもっと強く言っていれば……』
——玄の無力感と責任感が、悠斗を包み込む。
『統合率 95%』
「うわああああああ!」
悠斗が絶叫する。
五人分の記憶、感情、想いがすべて混ざり合い、渦を巻いている。
愛情、執着、後悔、自責、絶望、希望。
すべてが一度に押し寄せて、悠斗の精神を押し潰そうとする。
「ぐっ……もう……」
悠斗が頭を抱えて蹲る。
他の四人も、同じように苦しんでいた。
「ユート様……」
ルナリアが震え声で呟く。
彼女もまた、他の四人の記憶に押し潰されそうになっている。
——悠斗の記憶。
深夜のオフィスで、一人デスクに向かう姿。
チャットで支えてくれる仲間たちへの感謝。
そして、最後の日に抱いた想い。
『みんなに迷惑をかけられない』
『俺一人が我慢すれば……』
——その孤独感と自己犠牲の精神が、ルナリアの心を震わせる。
「だから……だから私は……」
ルナリアが涙を流す。
悠斗を守りたい想いの原点を、完全に理解した。
カーミラも、セレナも、ブリュンヒルデも、同じように苦しんでいる。
五人の記憶と感情が入り乱れ、境界が曖昧になっていく。
『統合率 99%』
その時、記録者の声が響いた。
『苦しいだろう』
『しかし、それでも受け入れるのか?』
『他人の記憶を、感情を、すべてを』
悠斗は苦しみながらも答えた。
「ああ……」
震え声だったが、意志は強い。
「俺たちは……仲間だから……」
『それでは——』
『統合完了 新たな存在として覚醒します』
光が収まった時、五人は新たな力を感じていた。
それぞれの記憶が完全に共有され、絆がさらに深くなっている。
「これが……記憶の統合……」
悠斗が呟く。
もはや五人の境界は曖昧になっていた。
「ユート様の苦しみが、今ならよくわかります」
ルナリアが涙を浮かべる。
「深夜2時、3時……いつも最後までオフィスに残ってたんですね」
「ふん、私の提案を真面目に聞いてくれたのは貴方だけだったわ」
カーミラが照れ隠しに髪をかき上げる。
「今度こそ、一緒に理想の職場を作りましょう」
「私の栄養剤、本当はみんなを助けたかっただけなのに〜」
セレナが泣きそうな顔をする。
「でも、結果的にみんなと繋がれたから……複雑です〜」
「貴殿を守れなかった無念、今も忘れていない」
ブリュンヒルデが拳を握りしめる。
「だが今度は違う。この剣と命に懸けて、必ず守り抜く」
「俺たちは……もう一つだ」
悠斗が実感する。
五つの魂が完全に融合した、唯一無二の存在。
しかし、その時——
ドォォォン!
真実の書庫の壁が完全に崩壊した。
無数の記憶の番人が、黒い靄と共に侵入してくる。
「来たか……」
月影が身構える。
しかし、記憶の番人の数は想像以上だった。
天井を埋め尽くすほどの黒いローブ。
それぞれが禍々しいオーラを放っている。
「記憶の器よ」
番人の中でも特に大きな存在が前に出てきた。
「お前たちの統合は予想外だった」
「だが、計画に支障はない」
別の番人が続ける。
「元の世界で、お前たちの肉体を使った実験が完了した」
「実験?」
悠斗の血の気が引いた。
記録者が言いかけた異変とは、これのことか。
「見せてやろう」
記憶の番人たちが手を翳すと、空中に映像が現れた。
それは、病院の集中治療室。
しかし、そこにいる五人の姿は、もはや人間とは呼べないものだった。
「な……何だ、あれは……」
月影が震え声で呟く。
映像の中の五人の体は、黒い触手のようなもので覆われていた。
——いや、それは触手ではない。
記憶の番人たちが、血管のように体内を這い回っているのだ。
目は真っ黒に染まり、口からは暗黒の靄が漏れている。
時折、体がビクンと痙攣し、人間離れした動きを見せた。
「俺たちの体を……乗っ取ったのか……」
悠斗が愕然とする。
「そうだ。そして今、その体たちが動き出している」
新たな映像が現れる。
——病院の廊下。
看護師が悠斗そっくりの男に声をかけている。
「患者さん! どちらへ——」
振り返った男の顔。
それは悠斗でありながら、悠斗ではなかった。
ニタリと、人間には不可能な角度で口が裂ける。
「記憶ヲ……集メニ……」
男が看護師の頭に手を置く。
すると、看護師の目が虚ろになった。
「ワタシハ……記憶ヲ失ッタ……」
看護師が機械的に呟く。
そして、同じように他の職員に手を置き始める。
「やめろ!」
悠斗が叫ぶ。
しかし、映像は続く。
——病院の外。
街に出た五体が、通行人に次々と手を置いている。
触れられた人々は、みな同じように記憶を失い、操り人形のようになっていく。
「目的は何だ!」
ブリュンヒルデが剣を抜く。
その刃が、今までにない光を放っていた。
「お前たちの世界に、我らの軍団を送り込む」
記憶の番人が不気味に笑う。
「記憶を失った人間たちを増やし、支配するのだ」
「一日で街の半分が支配下に入った」
別の番人が報告する。
「一週間もあれば、全世界を制圧できるだろう」
「阻止する」
悠斗が決意を込めて言った。
「例え俺たちの体がどうなろうと、世界を守る」
「その意気だ」
記録者の声が響く。
彼は書庫の奥から現れ、杖を構えていた。
「君たちの記憶の統合は成功した」
「記録者さん!」
セレナが驚く。
「でも、敵の数が多すぎます〜」
「そうだ」
記録者が頷く。
「正面から戦えば、勝ち目はない」
「では、どうするんだ?」
月影が尋ねる。
「君たちの新たな力を使う」
記録者が微笑む。
「『記憶共鳴』だ」
「記憶共鳴?」
カーミラが尋ねる。
「五人の心を一つにすることで、計り知れない力を発揮する」
記録者が説明する。
「ただし、一つ条件がある」
「条件?」
「全てを受け入れることだ」
記録者の表情が厳しくなる。
「君たちの記憶だけでなく、この世界で出会った全ての人の記憶も」
その時、悠斗は感じた。
書庫に響く、無数の声を。
それは、この世界で出会った人々の記憶だった。
村人たち、商人、司書、すべての記憶が渦巻いている。
「これを……全部受け入れるのか……」
悠斗が震える。
五人の記憶だけでも精神が崩壊しそうだったのに。
「でも、やるしかない」
ルナリアが悠斗の手を取る。
「世界を救うために」
「そうよ」
カーミラも手を重ねる。
「私たちなら、きっとできる」
「みんなで一緒なら〜」
セレナも加わる。
「無理なことなんてありません〜」
「我らは一心同体だ」
ブリュンヒルデが最後に手を重ねる。
五人の手が重なった瞬間、光の鎖が現れた。
それは記憶の絆を可視化したものだった。
「では、始めよう」
記録者が杖を高く上げる。
「記憶共鳴——発動!」
五人の体から、虹色の光が立ち上る。
それぞれの色——紅、金、翠、青、黒——が混ざり合い、純白の光となって爆発した。
しかし、その瞬間——
「あ、ああああああ!」
五人が同時に絶叫する。
世界中の記憶が一度に流れ込んできたのだ。
幸せな記憶、悲しい記憶、怒りの記憶、愛の記憶。
すべてが混ざり合い、五人の精神を襲う。
「くっ……もう限界だ……」
悠斗が膝をつく。
しかし、ルナリアの手がしっかりと握られている。
「一人じゃありません」
ルナリアが涙を流しながら言う。
「みんなで分かち合いましょう」
その言葉で、悠斗は気づいた。
記憶を一人で抱え込む必要はない。
五人で分けて持てばいいのだ。
「そうか……分かち合うんだ……」
悠斗が立ち上がる。
すると、記憶の重さが軽くなった。
五人で支え合えば、どんな重い記憶も耐えられる。
「記憶の番人よ」
悠斗の声が変わった。
五人分の想いが込められた、重厚な響きがある。
「お前たちの支配は、ここで終わりだ」
「馬鹿な……」
記憶の番人たちが動揺する。
「お前たちは所詮、不完全な転生者」
「違うな」
悠斗が静かに首を振る。
「不完全なのはお前たちの方だ」
「馬鹿な! 我らは完璧な——」
「完璧? 記憶を奪うことしかできない存在が?」
悠斗の声に確信が宿る。
「お前たちは他人の記憶に寄生する偽りの存在。でも俺たちは——」
光の鎖がさらに輝きを増す。
「記憶を分かち合い、新たな絆を生み出す。それが俺たちだ」
ドゴォォォォン!
衝撃波が書庫を揺るがす。
純白の光が書庫全体を包み込む。
「ギャアアアアア!」
記憶の番人たちが断末魔の叫びを上げる。
黒い靄が光に触れた瞬間、塵のように消滅していく。
「不可能だ! たかが人間の記憶が——」
番人たちの叫びも、光の奔流に飲み込まれていった。
「これが……俺たちの答えだ」
悠斗が宣言する。
「記憶は消すものじゃない。分かち合うものだ」
光の中で、記憶の番人たちが次々と消滅していく。
彼らの存在は、五人の絆の前では無力だった。
しかし、戦いはまだ終わらない。
元の世界では、乗っ取られた五人の体が、恐ろしい計画を実行しようとしていた。
「急がなければ」
記録者が焦った様子を見せる。
「このままでは、君たちの世界が……」
「どうすればいい?」
月影が尋ねる。
「一つだけ方法がある」
記録者が重い口調で答える。
「君たちが元の世界に戻り、自分たちの体を取り戻すのだ」
「でも、それじゃあ……」
ルナリアが不安そうに言う。
その瞳に涙が浮かんでいる。
「この世界での記憶は?」
「消える」
記録者が頷く。
「君たちは元の人生に戻ることになる」
五人は顔を見合わせた。
この世界での絆、愛情、すべてを失うということか。
「ユート様……」
ルナリアが震え声で言う。
「やっと……やっと愛する人を見つけたのに……」
彼女の瞳から、大粒の涙が流れ落ちる。
「忘れてしまうなんて……嫌です……」
「私もよ」
カーミラも泣いている。
「初めて認めてもらえた記憶を失うなんて……」
彼女の高飛車な仮面が完全に剥がれ落ちていた。
「私……私……」
セレナも泣き崩れている。
「やっと償いができると思ったのに〜。みんなを助けられると思ったのに〜」
「主君……」
ブリュンヒルデも涙を流している。
「守るべき人を忘れるなど……騎士として……」
四人の嗚咽が響く中、悠斗は静かに立ち上がった。
「でも、やるしかない」
悠斗の声は穏やかだった。
「世界を救うためなら」
「ユート様……」
四人が悲しそうな表情を浮かべる。
せっかく一つになったのに、また離ればなれになってしまうのか。
「大丈夫」
悠斗が優しく微笑む。
「記憶は消えても、絆は消えない」
「本当ですか?」
セレナが涙声で尋ねる。
「ああ。俺たちは前世でも繋がっていた」
悠斗が四人の手を取る。
「今度は、現実世界で関係を築き直そう」
「でも……」
カーミラが複雑な表情で言う。
「今度は普通の関係になってしまうのね」
「それも悪くないさ」
ブリュンヒルデが笑う。
「今度は、みんなで健全な職場を作ろう」
月影も頷いた。
「そうだな。今度こそ、みんなを守れるような環境を」
「では、送り出そう」
記録者が最後の魔法を準備する。
「君たちの勇気に敬意を表して」
新たな光の扉が現れた。
それは、元の世界への帰還ゲートだった。
「行こう」
悠斗が先頭に立つ。
四人が後に続く。
しかし、扉をくぐる直前、ルナリアが振り返った。
「ユート様」
「何だ?」
「もし、元の世界で記憶を失っても……」
ルナリアの瞳に涙が浮かぶ。
「また、愛してもいいですか?」
悠斗は微笑んで答えた。
「もちろんだ。今度は、もっと健全な愛し方で」
五人は笑いながら、光の扉をくぐっていく。
異世界での冒険は終わりを告げ、新たな現実世界での物語が始まろうとしていた。
しかし、果たして彼らは無事に自分たちの体を取り戻すことができるのか。
そして、記憶を失った状態で、再び絆を築くことができるのか。
最後の戦いが、今始まろうとしていた。