古の図書館
朝日が窓から差し込み、悠斗の目を覚ました。
組織の拠点での夜は、意外と安らかに過ごせた。
「朝か……」
悠斗は伸びをしながら起き上がった。
隣のベッドでは、ルナリアがまだ眠っている。
記憶消去の呪術を受けてから一晩経ったが、彼女の表情は穏やかだった。
前世の記憶も今世の記憶も、無事に守れたようだ。
悠斗は静かに部屋を出て、共同スペースへと向かった。
そこには、すでにカーミラとセレナがいた。
テーブルを囲んで朝食の準備をしている。
「おはよう」
悠斗が声をかけると、二人が振り返った。
「おはよう、ユート」
カーミラが紅茶を入れている。
「よく眠れた?」
「あんまり」
悠斗は正直に答えた。
「ルナリアのことが心配で」
「それは当然ね」
カーミラはテーブルに紅茶を置いた。
「私も心配だったわ」
「おはようございます〜」
セレナが朝食のパンを並べながら明るく挨拶した。
「ルナリアさんは?」
「まだ寝てる」
「そうですか……」
セレナの表情に心配の色が浮かんだ。
「でも、命に別状はないみたいだから」
カーミラが言う。
「少し休めば大丈夫よ」
「そうだといいけど」
その時、ブリュンヒルデが外から戻ってきた。
朝の見回りをしていたようだ。
「主君、おはようございます」
「お、おはよう」
ブリュンヒルデは一礼すると、報告を始めた。
「周囲に敵影はなし。安全は確保されている」
「ありがとう」
悠斗は椅子に腰掛けた。
「月影は?」
「書庫にいる」
ブリュンヒルデが答える。
「古の図書館について調べているようだ」
朝食を終えた後、悠斗たちは月影を探しに行った。
拠点内にある小さな書庫に、彼はいた。
大量の古文書と地図に囲まれ、熱心に研究している。
「おはよう」
悠斗が声をかけると、月影は顔を上げた。
「やあ、起きたか」
月影は目の下に隈があった。
一晩中調べていたのだろう。
「古の図書館の場所が分かった」
月影は地図を指さした。
「ここだ。山岳地帯の洞窟の中にある」
悠斗たちは地図を覗き込んだ。
かなりの辺境地のようだ。
「飛竜で行くには?」
カーミラが聞いた。
「半日ほどかかる」
月影は疲れた顔で言った。
「だが、問題がある」
「何?」
「図書館への入り口は狭い。飛竜では近くまでしか行けない」
セレナが不安そうに尋ねた。
「歩いて行くんですか?」
「そうだ。険しい山道を数時間歩くことになる」
ブリュンヒルデは腕を組んだ。
「問題ない。護衛は私が」
悠斗は考え込んでいた。
「ルナリアはどうする?」
「彼女の具合を見てからだな」
月影が答える。
「無理をさせるわけにはいかない」
その時、ドアが開いた。
「何の相談ですか?」
ルナリアが立っていた。
顔色は少し良くなっていたが、まだ完全に回復したとは言えない。
「ルナリア!」
悠斗は驚いて立ち上がった。
「大丈夫か?」
「はい」
ルナリアは微笑んだ。
「少し弱っていますが、歩けます」
「無理しないでください」
セレナが心配そうに言う。
「私の薬草茶を飲んで、もう少し休んだ方が……」
「大丈夫です」
ルナリアは静かに、しかし毅然とした声で言った。
「ユート様を一人にはしません」
その言葉に、カーミラが苦笑した。
「あなただけじゃないわよ」
「そうです!」
セレナも頷く。
「私も絶対についていきます!」
「主君の護衛は私の任務」
ブリュンヒルデも剣に手を置いた。
悠斗は彼女たちを見て、静かに息をついた。
「ヤンデレっぽいけど無害」な彼女たちは、本当に彼のことを思ってくれている。
「ありがとう、みんな」
悠斗は素直に感謝の言葉を口にした。
「でも、ルナリア、本当に大丈夫なのか?」
「はい」
ルナリアは頷いた。
「それに、古の図書館には、記憶に関する貴重な情報があるかもしれません」
月影も同意した。
「図書館には、記憶消去の呪術への対抗策も記されているかもしれない」
「そうですね」
ルナリアが静かに言う。
「万が一に備えて、知っておくべきです」
「分かった」
悠斗は決断した。
「みんなで行こう。ただし、ルナリアの具合が悪くなったら、すぐに引き返すぞ」
「はい!」
全員が同意した。
準備を整え、一行は昼過ぎに拠点を出発した。
今回は新たな飛竜と竜車が用意されていた。
「以前のより性能がいいんだ」
月影が説明する。
「より速く、安全に飛べる」
飛竜は力強く羽ばたき、青空へと舞い上がった。
眼下には広大な森と、遠くに続く山脈が見える。
悠斗は窓の外を眺めながら、これまでの旅を振り返っていた。
死に場所を探していたはずが、こんなに多くの仲間と出会うとは。
「何か考え事?」
カーミラが隣に座った。
「ちょっとな」
「死ぬことについて?」
鋭い質問に、悠斗は少し驚いた。
「まあ……そんなところだ」
「変わったわね」
カーミラは微笑んだ。
「最初の頃は、死ぬことしか考えてなかったくせに」
「そうだな」
悠斗も認めた。
「最近は、死ぬより先のことを考えてる」
「それは良いことよ」
カーミラが嬉しそうに言った。
「私たちの血奴隷として、長生きしてもらわないと困るもの」
「血奴隷って……」
悠斗は苦笑した。
数時間の飛行の後、飛竜は山の斜面に着陸した。
周囲は岩だらけで、細い山道が見える。
「ここからは歩くしかない」
月影が説明する。
「洞窟の入り口まで約2時間」
全員が荷物を背負い、山道を登り始めた。
ブリュンヒルデが先頭に立ち、危険な場所を確認していく。
険しい道のりだったが、全員が黙々と進んだ。
時折、悠斗はルナリアの様子を確認した。
「大丈夫か?」
「はい」
ルナリアは弱々しく微笑んだ。
「心配しないでください」
セレナも彼女のそばにいて、時々薬草の飲み物を渡していた。
山道を2時間ほど登ると、巨大な岩壁が見えてきた。
その一角に、小さな洞窟の入り口があった。
「あれが図書館への入り口だ」
月影が指さす。
「かなり狭いね」
カーミラが顔をしかめた。
「一人ずつしか通れなさそう」
「正確には、一人がようやく通れるほどの大きさだ」
月影が説明する。
「この狭さが、図書館を守る一つの防御となっている」
入り口に近づくと、古代文字が刻まれた石板が見えた。
月影がそれを読み上げる。
「『記憶を求める者よ、己の記憶を証明せよ』」
「また証明か」
悠斗は龍の谷での経験を思い出した。
「血が必要なのか?」
「いや、違う」
月影は石板の下にある凹みを指さした。
「ここに、額を当てる」
「額を?」
「額には記憶の中心があるとされている」
月影は説明する。
「前世の記憶を持つ者だけが、ここを通れる」
悠斗は石板の前に立った。
凹みは確かに額に合うようなサイズだった。
「俺からやってみる」
悠斗が額を凹みに当てると、突然、石板が青白く光り始めた。
洞窟の入り口も同様に光る。
「開いた!」
セレナが声を上げた。
洞窟の入り口が、わずかに広がっていた。
一人がかがんで通るには十分なサイズになっている。
「では、入るぞ」
ブリュンヒルデが先頭に立つ。
「私が先導する」
一人ずつ洞窟に入っていく。
内部は暗く、月影が持っていた光る石が唯一の明かりだった。
狭い通路を数分進むと、突然、空間が広がった。
そこは信じられないほど広大な洞窟だった。
「こ、これは……」
悠斗は息を呑んだ。
洞窟全体が、巨大な図書館になっていた。
何層にも重なる書架が壁に沿って配置され、無数の本や巻物が並んでいる。
天井からは青白い光を放つ石が吊るされ、薄明かりで全体を照らしていた。
「古の図書館……」
ルナリアが感嘆の声を上げる。
「これほど膨大な知識が……」
「これはすごい」
セレナも目を輝かせた。
「全部読むには何年かかるのかしら」
「百年あっても足りないだろうな」
月影が答える。
「ここには、世界の始まりから現在までの記録がある」
彼は中央へと歩み出た。
そこには大きな石の台座があり、その上に巨大な水晶のような球体が置かれていた。
「これは何?」
カーミラが尋ねる。
「記憶の結晶」
月影が説明する。
「触れると、求める知識へと導かれる」
「じゃあ、これを使えば不死身について調べられる?」
悠斗が近づこうとした時、突然、水晶が強く輝き始めた。
「何だ?」
その光は徐々に強くなり、やがて洞窟全体を照らすほどになった。
水晶の中には、映像が浮かび上がり始めた。
それは……龍だった。
龍の谷で見た、あの巨大な龍だ。
『よく来たな、血の継承者よ』
龍の声が、洞窟内に響き渡った。
「龍!?」
悠斗は驚いた。
「どうして、ここに……」
『私の意識は多くの場所に存在する。ここにも、その一部がある』
龍の映像は水晶の中で動いていた。
『古の図書館へようこそ。ここには、汝の求める答えがある』
「俺の求める答え……」
悠斗は水晶に近づいた。
「不死身の力を、コントロールする方法か?」
『それもある。だが、もっと大切な知識がある』
龍の目が、まっすぐ悠斗を見つめた。
『汝らが転生した本当の理由だ』
「本当の理由?」
全員が顔を見合わせた。
『そう。単なる偶然ではない。汝らが同じ時代に、同じ場所に転生したのには、理由がある』
悠斗は緊張した面持ちで尋ねた。
「それは何だ?」
『古より存在する予言がある。「星の巡りが千年満ちる時、転生の環は崩れ、世界は終わりを迎える」』
龍の声は厳かだった。
『そして、「五人の魂が集いし時、新たなる運命の扉が開かれる」』
「五人って……」
セレナが小さな声で言った。
「私たち?」
『その通り。汝ら五人は、運命の選択を迫られる時が来る』
悠斗は思わず月影を見た。
月影も真剣な表情で龍を見つめていた。
「俺たちの選択って?」
『世界の再生か、滅びか』
龍の答えは、あまりにも重すぎた。
「冗談じゃない」
悠斗は怒りに似た感情を抱いた。
「俺たちはただ普通に生きたいだけだ。世界の運命なんて……」
『選ぶのは汝らだ。強制はしない』
龍の声は穏やかになった。
『だが、準備はしておくべきだろう。まずは、汝の力を理解することから始めよ』
水晶からの光が、一点に集中し始めた。
それは図書館の奥にある一冊の本を照らしていた。
「あの本か……」
月影が近づいていく。
書架から本を取り出すと、皆の前に持ってきた。
古びた革表紙の本。
表紙には「不死の力」と記されている。
「これを読めば、俺の力について分かるのか」
『そう。その本には、不死身の力の本質と使い方が記されている』
悠斗は本を手に取ろうとした時、水晶から警告が発せられた。
『だが、気をつけよ。知識には代償が伴う。真実を知れば、もう後戻りはできない』
「構わない」
悠斗はきっぱりと言った。
「俺は知りたい。この力の真実を」
月影が本を開いた。
中は古代文字で埋め尽くされていた。
「読めるか?」
「ああ、基本的な龍語は解読できる」
月影は真剣な表情で読み始めた。
しばらく沈黙の後、彼は顔を上げた。
その表情には、驚きと戸惑いが浮かんでいた。
「これは……」
「何だ?」
「不死身の力……それは、記憶を保存する器だ」
月影が説明する。
「肉体は不死だが、それは本質ではない。本当の目的は、魂の記憶を永遠に保存すること」
「記憶の……器?」
「そう。前世の記憶、今世の記憶、そして——過去の全ての転生での記憶」
月影は続けた。
「そして最終的には、世界の記憶そのものを保持する器になる」
「世界の記憶?」
悠斗は混乱した。
「そんな馬鹿な……」
『馬鹿げたことではない』
龍が再び話し始めた。
『世界も、一つの大きな生命体。その記憶は、世界の魂とも言える』
「じゃあ、私たちが集められたのは……」
ルナリアが震える声で言った。
『汝らは、それぞれ記憶の一端を担っている』
龍の声が続く。
『死神は終わりの記憶。吸血鬼は血の記憶。魔女は知恵の記憶。戦乙女は戦いの記憶』
「そして、不死身は……」
『すべてを繋ぐ者。記憶の器にして、新たな世界の種』
悠斗は言葉を失った。
あまりに大きすぎる話だった。
「信じられない」
カーミラが呟いた。
「私たちが世界の運命を左右するなんて」
「でも、もし本当なら……」
セレナが小さな声で言う。
「私たちの選択が、この世界の未来を決めるってこと?」
「だから記憶の番人は、私たちを狙っているのね」
カーミラが理解を示した。
「転生の秩序を崩したくないから」
「組織もだ」
月影が補足する。
「新しい世界への可能性を信じている」
悠斗は本を手に取り、ページをめくった。
龍語は読めないが、挿絵からある程度の内容は推測できた。
世界の終わり。そして新たな始まり。
それが繰り返されてきた長い歴史。
「俺は……ただ死にたかっただけなのに」
悠斗の声は弱々しかった。
「こんな大それた役割なんて……」
突然、洞窟が揺れ始めた。
「何だ!?」
ブリュンヒルデが剣を抜く。
「敵襲か!?」
『記憶の番人だ』
龍が警告する。
『彼らはついに図書館の場所を特定した』
「どうすればいい?」
悠斗が問う。
『本を持って逃げろ。水晶はここに残す』
龍の映像が薄れ始めた。
『私は彼らを足止めする。だが、長くは持たない』
「逃げるぞ!」
月影が叫ぶ。
「入り口とは別の出口がある!こっちだ!」
全員が月影に続いて走り出した。
悠斗は本を抱え、ルナリアの手を取った。
「大丈夫か?」
「はい……」
ルナリアは弱々しく頷いた。
図書館の奥へと進むと、小さな通路が見えた。
そこを通ると、山の反対側に出られるらしい。
通路を走るうち、後方から爆発音が聞こえ始めた。
激しい揺れと共に、岩が崩れ落ちる音も。
「早く!」
月影が先頭で叫ぶ。
全員で必死に走った。
通路は狭く、暗く、時折崩れそうになる。
やがて、前方に光が見えてきた。
「出口だ!」
出口に飛び出した時、後方で大きな音がした。
通路が崩れ落ちたようだ。
「危なかった……」
全員が息を切らせながら外の空気を吸った。
彼らが出てきたのは、山の東側の斜面だった。
幸い、敵の姿は見えない。
「これからどうする?」
カーミラが月影に尋ねた。
「拠点には戻れないだろう。記憶の番人に見つかっているかもしれない」
「新しい隠れ家へ行こう」
月影が言う。
「龍の谷とは反対方向の、海岸近くにある」
「海?」
セレナが目を輝かせた。
「行ったことないです」
「すぐに飛竜を呼ぶ」
月影が笛のような道具を取り出した。
「バックアップの通信手段だ」
笛を吹くと、不思議な音が辺りに響いた。
人間の耳には微かにしか聞こえないが、飛竜には届くらしい。
「あとは待つだけだ」
悠斗は本を見つめていた。
この中には、自分の力についての全てが記されているのだろうか。
「驚いたか?」
月影が隣に座った。
「ああ」
悠斗は正直に答えた。
「こんな大それた話だとは思わなかった」
「私も最初は信じられなかった」
月影が静かに言う。
「だが、徐々に真実だと理解してきた」
「でも、俺たちが世界の運命を左右するって……」
「選ぶのは君たちだ」
月影は優しく言った。
「強制されることではない」
悠斗は四人のヒロインたちを見た。
彼女たちも、同じように混乱しているようだった。
「なあ、ルナリア」
悠斗が声をかけた。
「どう思う?」
「私は……」
ルナリアは少し考えてから答えた。
「ユート様の選択に従います。どんな選択でも」
「私も」
カーミラが頷いた。
「あなたと一緒なら、どんな運命でも受け入れる」
「私の知恵が役に立つなら」
セレナも笑顔を見せた。
「主君の盾となる」
ブリュンヒルデもきっぱりと言った。
彼女たちの言葉に、悠斗は胸が熱くなった。
どんな状況でも、彼を見捨てない。
「みんな……ありがとう」
その時、空から飛竜の鳴き声が聞こえてきた。
助けが来たのだ。
「行くぞ」
月影が立ち上がる。
「新たな隠れ家で、次の一手を考えよう」
悠斗は本を大切に抱え、頷いた。
不死身の力の秘密。世界の運命。そして自分たちの役割。
死に場所を探していたはずが、今や世界の命運を握るとは。
人生とは、本当に皮肉なものだと感じた。
飛竜に乗り込みながら、悠斗は空を見上げた。
これから先、どんな運命が待っているのか。
ただ一つだけ確かなことは、もう一人ではないということ。
大切な仲間たちと共に、未来へ進んでいくのだ。