不死身の意味
目の前に広がる白い光が徐々に薄れていく。
悠斗は意識を取り戻しながら、腕の中のルナリアの存在を確かめた。
「ルナリア!」
彼女は青白い顔をして、ぐったりとしている。
背中の傷からは、黒い靄のようなものが漂っていた。
「大丈夫か? みんな無事か?」
意識が完全に戻り、周囲を見回す。
彼らは森の中の小さな空き地にいた。見覚えのない場所だ。
「どこだここは……」
カーミラが立ち上がり、周囲を確認する。
「あれ?月影は?」
セレナが不安そうに辺りを見回した。
「月影殿は残って時間を稼ぐと……」
ブリュンヒルデが警戒しながら言った。
「ルナリアが!」
悠斗は必死に叫んだ。
カーミラとセレナが駆け寄り、ブリュンヒルデが周囲を警戒する。
「黒い魔法を受けたわね」
カーミラがルナリアの背中を調べる。
「これは……記憶消去の術だわ」
「なんですって!?」
セレナが青ざめる。
「前世の記憶が消されてしまう!?」
「それだけじゃない」
森の奥から声が聞こえた。
振り返ると、木々の間から月影が現れた。
服は所々破れ、顔には傷があるが、命に別状はなさそうだ。
「月影!」
悠斗は驚いた。
「無事だったのか」
「ギリギリで転移できた」
月影は息を切らしながら近づいてきた。
「龍の力に守られて。だが…私が遅れたせいで、ルナリアが……」
月影はルナリアの傷を見て、表情を曇らせた。
「これは記憶消去の術。すべての記憶だ。今世の記憶も含めて」
「そんな……」
悠斗は愕然とした。
ルナリアが自分のことを忘れてしまう。
チャット仲間だった記憶も、死神として出会った記憶も、すべて。
「何か方法は?」
悠斗が月影に問う。
「あるはずだ」
月影は周囲を見回した。
「ここは私の組織の領域だ。近くに拠点がある。医療施設もある」
ブリュンヒルデがルナリアを背負った。
強靭な騎士の体には、軽い負担のようだ。
「では先導を」
月影が先頭に立ち、森の中を進んでいく。
しばらく歩くと、木々の間から小さな建物が見えてきた。
それは一見すると普通の山小屋だったが、近づくと金属製の扉と、複雑な鍵のシステムが見えた。
「転生者の組織の拠点の一つだ」
月影が説明する。
「隠れ家として使っている」
複雑な操作を終えると、扉が開いた。
中に入ると、外観からは想像できないほど広く、最新の設備が整っていた。
「ここって」
セレナが驚いた表情で見回す。
「前世の技術?」
「そうだ」
月影がルナリアを横たわらせるよう指示する。
「転生者たちの知識を結集したものだ」
壁には見慣れない機械が並んでいる。
悠斗は前世の記憶を頼りに、それが医療機器だと判断した。
「彼女を治せるのか?」
悠斗が不安げに問う。
「試してみる」
月影はルナリアの傍らに膝をつき、彼女の額に手を当てた。
「記憶消去の呪術は強力だ。でも、発動してから時間が経っていないのが幸いだ」
月影は壁の棚から小さな瓶を取り出す。
中には青白い液体が入っている。
「これは記憶保護の薬。転生者の組織が開発したものだ」
ルナリアの口に数滴たらす。
「これで進行は遅くなるが、根本的な治療にはならない」
「どうすれば……」
悠斗は拳を握りしめた。
セレナが小さく呟く。
「黒い靄を浄化できれば……」
「浄化?」
カーミラが振り返る。
「そうよ! セレナの魔法!」
悠斗も思い出した。
セレナは魔法で浄化が得意だった。
第2話でも、終焉の谷で浄化の魔法を使っていた。
「セレナ、できるか?」
「わ、私一人では無理です」
セレナは震える手で薬瓶を取り出す。
「でも、みんなの力があれば……」
ブリュンヒルデが聖魔剣を取り出した。
「私の剣の力も貸そう」
「私も血の魔法で」
カーミラも手を差し出す。
「でも、ユート様の力が一番必要です」
セレナが真剣な表情で言う。
「不死身の力には、強力な生命力があります。その力で、呪いを打ち消せるかもしれない」
「俺の力が?」
悠斗はルナリアを見つめた。
青白い顔をした死神。
今まで彼を見守ってくれた、最初の仲間。
「どうすればいい?」
「ユート様の血が必要です」
セレナが言う。
「あなたの血には特別な力がある」
「分かった」
悠斗はためらわず、自分の手首に小さな傷をつけた。
鮮やかな赤色の血が滴り落ちる。
セレナはその血を小さな瓶に受け、彼女の調合した薬と混ぜ合わせた。
液体が赤から紫へ、そして青白い光を放つ色へと変わっていく。
「これを傷口に」
ブリュンヒルデが注意深くルナリアの体を起こし、背中の傷を露わにした。
傷は黒く、まるで闇そのものが体内に入り込んだかのよう。
セレナが調合した液体を傷口に塗ると、シューッという音とともに煙が立ち上った。
黒い靄が少しずつ薄れていく。
「反応している!」
カーミラが声を上げる。
「でも、まだ足りない」
セレナが眉をひそめる。
「もっと強い力が……」
悠斗は迷わずルナリアの隣に膝をつき、彼女の手を取った。
「ルナリア、俺だ。聞こえるか?」
反応はない。
「お前が俺を守ってくれた。今度は俺がお前を守る番だ」
悠斗は自分の傷口を広げ、より多くの血をセレナの瓶に滴らせた。
そして、調合された液体を今度は自分の手に取り、直接ルナリアの傷に当てた。
その瞬間、激しい光が二人を包み込んだ。
「ユート様!」
セレナが叫ぶ。
悠斗は強烈な痛みを感じた。
まるで自分の体から何かが引き剥がされるような感覚。
それでも、彼は手を離さない。
「ルナリア……戻ってこい」
その言葉が、悠斗の意識の底から湧き上がってきた。
不思議と、その瞬間、前世の記憶が鮮明によみがえる。
——チャットルームで交わした会話。
——「夜猫」と名乗る彼女との対話。
——癒しの言葉と、優しい慰め。
「ルナリア……夜猫……戻ってこい」
光の中で、悠斗は彼女の記憶を呼び戻そうとしていた。
すると、ルナリアの体からも微かな光が放たれ始めた。
黒い靄が次第に押し戻されていく。
それは悠斗の光と混ざり合い、紫がかった明るい光になっていった。
そして——。
「ユート……様」
かすかな声が聞こえた。
「ルナリア!」
光が収まり、悠斗は彼女の顔を見た。
ルナリアは薄目を開け、弱々しく微笑んでいた。
「覚えてる? 俺のこと」
「はい……忘れるわけ、ないじゃないですか」
かすれた声だったが、確かにルナリアだった。
悠斗は安堵のあまり、思わず彼女を抱きしめた。
「よかった……本当によかった」
「ユート様……」
ルナリアも弱々しく腕を回す。
「傷は?」
カーミラが背中を確認する。
「消えてる……」
背中の黒い傷は完全に消え、肌は元の白さを取り戻していた。
黒い靄も、完全に消えていた。
「すごい」
セレナが目を丸くする。
「ユート様の不死身の力と私の浄化の魔法、それにみんなの思いが……」
「いや、違う」
月影が静かに言った。
「不死身の力だけじゃない。転生の記憶、特に前世との強いつながりが、記憶消去の呪術を打ち消したんだ」
「前世との……つながり?」
悠斗が首を傾げる。
「そう」
月影は真剣な表情で続ける。
「龍が言っていただろう。不死身の力の本質は記憶にある。汝の魂に宿る全ての記憶こそが、力の源だと」
悠斗は思い出した。
龍の谷での会話。
不死身の力を失うには二つの道がある——。
全ての記憶を捨て去るか、全ての記憶を取り戻すか。
「俺は今、記憶を……」
「一部だけだ」
月影が頷く。
「前世のルナリアとのつながりを強く思い出した。その力で彼女の記憶も守ったんだ」
悠斗は自分の手を見つめた。
普通の手だが、その中に眠る力は特別なものだった。
「これが、不死身の意味なのか」
そう呟いた時、ルナリアが弱々しく笑った。
「ユート様は……特別な方です」
「何言ってるんだ。お前だって特別だろ」
悠斗は彼女の髪を優しく撫でた。
「俺を守るために、身を挺してくれた」
「それは……当然です」
ルナリアの目に涙が浮かぶ。
「ユート様は、私の大切な……」
彼女の言葉に、カーミラが咳払いをした。
「まあまあ、感動の再会はこの辺にして」
彼女は拗ねたように言う。
「私だって同じことしたわよ」
「私も絶対守ります!」
セレナが食い気味に言う。
「主君のために命を捧げるのは騎士の務め」
ブリュンヒルデも誇らしげに胸を張る。
悠斗は思わず笑った。
この感じ、本当に懐かしい。
小競り合いが始まった女性陣を見ながら、悠斗は月影に尋ねた。
「ここからどうすればいい?」
「ルナリアの体力が回復するまで、ここで休もう」
月影は慎重な表情で言う。
「記憶の番人たちも追ってくるだろうが、この拠点の場所は知らないはずだ」
「次はどこへ?」
「古の図書館」
月影の目が輝いた。
「そこには、転生の秘密についての古文書がある。特に、汝の不死身の力に関わる情報も」
「それは龍の谷にはなかったのか?」
「龍は始まりを知っている。しかし図書館には、その後の記録がある」
悠斗は考えていた。
本当に不死身の力を失いたいのか。
死にたいと思っていた自分は、いつの間にか変わりつつあった。
「もう少し、考える時間が欲しい」
悠斗の言葉に、月影は微笑んだ。
「もちろんだ。焦ることはない」
窓の外では、夕日が森の向こうに沈みつつあった。
一日の終わりを告げる美しい光景。
悠斗はルナリアのそばに座った。
彼女はすでに眠りについていた。
その顔は穏やかで、苦しみの影はない。
「よく頑張ったな」
悠斗は小さく囁いた。
その時、ルナリアの唇が動いた。
夢の中なのか、彼女は微かに呟いていた。
「ありがとう……ブラック」
前世のハンドルネームを聞いて、悠斗は胸が熱くなるのを感じた。
カーミラ、セレナ、ブリュンヒルデも、それぞれ疲れて眠りについていた。
剣を抱いたまま、薬瓶を握ったまま、本を開いたまま。
悠斗は彼女たちの寝顔を見て、静かに微笑んだ。
迷いはあるが、今は——。
"死にたい"という思いが、いつの間にか薄れていることに気づいた。
それどころか、この仲間たちと一緒にいる時間を、もっと大切にしたいと思うようになっていた。
死に場所を探し続けていた男は、今や生きる意味を見つけつつあった。
それが、不死身の本当の意味なのかもしれない——。
「ルナリア、みんな」
悠斗は小さく囁いた。
「ありがとう」
疲れた身体に眠気が押し寄せる。
しかし、それは心地よい疲労感だった。
彼は椅子に深く腰掛け、目を閉じた。
明日からまた、新たな旅が始まる。
前世の記憶と、今世の絆を胸に——。