月影の告白
夜空に星が輝いていた。
ガーゴイルとの戦いから数時間、竜車は雲海の上を飛び続けている。
飛竜は疲れを見せながらも、懸命に翼を羽ばたかせていた。
「そろそろ休もう」
黒ローブの男が提案する。
「飛竜も限界だ」
「どこで?」
悠斗が周囲を見回す。
雲海の上には休める場所など見当たらない。
「心配するな」
男は手を挙げた。
「あそこだ」
男が指差す先に、雲から突き出た岩山が見えた。
頂上は平らになっており、何かの遺跡のような建造物がある。
「あれは?」
カーミラが首を傾げる。
「天空の休憩所だ」
男は説明する。
「転生者の組織が作った拠点の一つ」
飛竜は指示に従って、岩山へと向かった。
次第に近づくと、頂上には確かに人工的な建物があった。
石造りの建物と、飛竜用の停泊施設が見える。
ゆっくりと降下し、竜車は停泊施設に着陸した。
飛竜は疲れた様子で地面に降り、いきなり横になった。
「相当疲れたようだな」
悠斗が飛竜を見る。
「ああ、こんな重い竜車を引っ張るのは大変なんだ」
男は飛竜の首を撫でた。
「よく頑張った」
飛竜は満足そうに鳴いた。
「さあ、中に入ろう」
男は建物へと一行を案内する。
内部は意外と広く、中央には暖炉があった。
周囲には簡素なベッドが複数置かれている。
「ここなら安全だ」
男は暖炉に火を灯す。
「記憶の番人も、この場所は知らない」
「記憶の番人って、一体何者なんだ?」
悠斗が尋ねる。
男は椅子に腰を下ろし、フードを完全に脱いだ。
傷痕の残る顔が、暖炉の光に照らされる。
「転生者を狩る者たちだ」
静かに説明を始める。
「転生のシステムは、本来閉じたものだった。前世の記憶を持ったまま転生することは、あってはならないことだった」
「でも、俺たちは……」
「そう、例外だ」
男の瞳に、悲しみが宿る。
「転生システムには、時々バグが起きる。前世の記憶を持ったまま生まれる者が出てくる」
「俺たちみたいに」
「ああ。そして、そのバグを修正するのが記憶の番人だ」
暖炉の火が弾ける。
「特に、お前のような不死身の者は危険視される。何故なら、転生の全記憶を蓄積できる可能性があるからだ」
「転生の……全記憶?」
「普通の転生者も、一度や二度は前世を思い出すことがある。でも、やがて忘れていく。新しい人生に埋もれていくんだ」
男は続ける。
「だが、不死身の者は違う。死なないということは、記憶が上書きされない。全ての転生の記憶を保持したまま、永遠に生き続ける可能性がある」
「それが、なぜ問題なんだ?」
「転生システムの全体像を知る者がいれば、システム自体を変えられるかもしれない。それを恐れているんだ」
セレナが質問する。
「転生システムって、誰が作ったんですか?」
「それは……」
男は口ごもった。
「龍の谷で、答えが見つかるかもしれない」
会話が途切れた時、カーミラが尋ねた。
「ところで、あなたは誰なの?」
「前世で私たちと関わりがあったって言ったけど」
男は沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「『月影』だ」
「月影?」
ルナリアが首を傾げる。
「チャットグループにはいなかったような……」
「グループには入っていなかった」
月影は悠斗を見つめた。
「私はブラックとだけ、個人的に話していた」
「俺と?」
悠斗は眉をひそめる。
「思い出せない」
「無理もない」
月影は苦笑した。
「お前が最も辛かった時期の記憶だからな」
「どういう意味だ?」
「最後の一ヶ月、毎晩のように話していた」
月影は続けた。
「ゲームで知り合って、個人的に相談を受けるようになった」
その言葉で、悠斗の中に朧げな記憶が蘇ってくる。
「待てよ……あの時の……」
深夜のチャット。
死にたいと呟く自分。
必死に止めようとする誰か。
「思い出したか」
「ああ……」
悠斗は頭を抱えた。
「あんたか、毎晩俺の愚痴を聞いてくれてたのは」
「聞くしかできなかった」
月影の表情が曇る。
「結局、お前を救えなかった」
「……」
悠斗も沈黙した。
前世最後の日々、彼は誰にも言えない思いを抱えていた。
そして、唯一それを吐き出せたのが「月影」だった。
「なんで思い出せなかったんだ?」
「過労で記憶自体が曖昧だったのかもしれない」
月影は静かに答える。
「それに、辛すぎる記憶は封印されやすい」
「あなたはどうやって転生したの?」
カーミラが質問する。
「俺たちより先に?」
「ああ、私はお前たちより半年ほど先に死んだ」
月影は遠い目をした。
「同じく過労死だ。ゲーム会社のデバッガーとして、何日も休まず働いていた」
ブリュンヒルデが口を開く。
「なぜ記憶の番人ではなく、組織に入った?」
「転生した当初は混乱していた」
月影は暖炉を見つめる。
「そんな時、今の組織に拾われた。彼らは転生者を保護し、前世の記憶と技術を活かした社会を密かに作っていた」
「記憶の番人と対立してるんだな」
「そうだ。私たちは転生の記憶は保存すべきだと考えている。記憶の番人は消すべきだと」
セレナが興味深そうに聞く。
「その組織、他にもたくさんの転生者が?」
「ああ。様々な時代、様々な世界から来た者たちがいる」
月影は少し表情を和らげた。
「前世の知識や技術を持ち寄って、この世界を少しずつ変えている」
「なるほど」
悠斗は竜車や強化ガラスを思い出した。
それらは転生者の技術なのだろう。
「そして私は、お前たちの記録を見つけた」
月影の声が真剣になる。
「ブラックこと黒崎悠斗の記録。前世で話していた相手の名前を見た時、すぐに分かったんだ」
「それで俺たちを探してくれた」
「ああ。しかし記憶の番人も動き出していた」
月影は立ち上がり、窓の外を見る。
「私はお前たちを守りたかった。特にお前を、ブラック」
「なぜ俺を?」
「最後に『死にたい』と言った相手を、今度こそ救いたかったからだ」
その言葉に、ルナリアが月影に近づいた。
「本当に、ありがとうございます」
真摯な声で礼を言う。
「私たちだけでは、ここまで来られなかったかもしれません」
「礼を言うのはこちらだ」
月影は微笑んだ。
その夜、全員は交代で見張りをしながら休息を取ることになった。
悠斗の番が来た時、外の停泊施設で飛竜を確認していると、月影が近づいてきた。
「眠れないのか?」
「ああ、いろいろ考えてたんだ」
月影は隣に立ち、空を見上げた。
「前世の最後の日、覚えているか?」
「ぼんやりと」
悠斗は答えた。
「オフィスで倒れて、そのまま……」
「その前にも、私にメッセージを送ってきたな」
「……ああ」
悠斗は思い出した。
「『もう限界だ。誰も俺の存在なんて気にしない。死んでも何も変わらない』」
「そして私は答えた」
月影の声が静かに響く。
「『いつか、きっと大切な人と出会える。だから、生きていて欲しい』」
「……」
「皮肉なことに、死んだ後に叶ったな」
月影は星空を指差した。
「チャット仲間と再会し、本当の絆を育んでいる」
悠斗も空を見上げる。
「この世界で、俺は四人に愛されてる」
「彼女たちは良い仲間だ」
月影は微笑んだ。
「特にルナリアは、死神として最も孤独なはずなのに、一番お前を気にかけている」
「カーミラも素直じゃないけど、本当は優しい」
「セレナは天然だが、誰よりも献身的だ」
「ブリュンヒルデはストーカーっぽいけど、命懸けで俺を守ってくれる」
二人は静かに笑った。
「不思議だな」
悠斗が呟く。
「死にたくて仕方なかったのに、今は変わってる」
「それが転生の意味かもしれない」
月影は真面目な表情になった。
「新しい始まり、新しい出会い」
「……ありがとう」
悠斗は素直に言った。
「あの時、話を聞いてくれて」
「救えなくて、すまなかった」
「いや、今は救われてる」
悠斗は微笑んだ。
「だから、あんたの借りは返したも同然だ」
「それは嬉しい」
月影も笑顔を見せた。
しばらく二人は星空を眺めていたが、やがて月影が口を開いた。
「そろそろ他の人たちの番だ。少し休め」
「ああ」
悠斗が建物に戻ろうとした時、月影が静かに言った。
「龍の谷では、覚悟しておけ」
「なんの?」
「真実を知ることの痛み」
それだけ言って、月影は暗闇の中へ消えていった。
翌朝、飛竜も休息を終え、一行は再び旅を続けた。
新しい竜車に乗り換え、より快適な移動手段を手に入れていた。
「これも転生者技術?」
悠斗が内装を見渡す。
前の竜車より広く、座席も柔らかい。
「ああ。前のは傷だらけだったからな」
月影が竜車を操作する。
「次は龍の谷まで一気に行く」
「どれくらいかかる?」
カーミラが尋ねる。
「今日の夕方には着けるだろう」
雲海を突き抜け、竜車は青空の中を進んでいく。
窓から景色を眺めていると、悠斗は奇妙な気分に襲われた。
どこか懐かしさを感じる、不思議な感覚。
「きれいな景色だね」
セレナが窓の外を指差す。
遠くに見える山々と森が、朝日に照らされて輝いている。
「前世では見られなかったものね」
カーミラも満足そうだ。
「ユート様」
ルナリアが隣に座る。
「何か気になることでも?」
「いや、なんとなく」
悠斗は首を振った。
「この先に何があるんだろうって」
「私たちがいる」
ブリュンヒルデが断言する。
「主君を一人にはしない」
「そうよ」
カーミラも頷く。
「これからも一緒」
「私たち、いつもユート様と一緒ですよ」
セレナが笑顔で言う。
悠斗は複雑な気持ちで、彼女たちを見つめた。
ヤンデレっぽいけど無害な四人。
前世のチャット仲間。
そして今は、彼の大切な仲間。
龍の谷で何が待っていようと、もう独りではない。
その事実が、心強かった。
時間が流れ、日が傾きはじめたころ——。
「見えてきた」
月影が前方を指し示す。
雲が晴れ、眼下に広大な峡谷が姿を現した。
まるで龍の背中のように、幾重にも連なる山々。
そして中央の平地には、巨大な骨のような建造物が見える。
「あれが……龍の谷」
悠斗は息を呑んだ。
「龍が眠る場所、そして」
月影の声が静かに響く。
「転生の秘密が隠された地」
竜車はゆっくりと高度を下げ、龍の谷へと近づいていく。
悠斗の不死身の謎、そして前世の真実が待っている場所へと——。