「いるさ。少なくとも俺は悲しい」
嶋崎周助の弟子たちが集まったのは真夜中のことだった。
農作業を終えて一段落した頃合いのようだ。米を育てるには朝から晩まで働かなければならないのだと今更ながら知った。だからこそ米には年貢としての価値があるのだろう。
俺と亀若丸は話し合いの席にはつかなかった。周助が説明したほうがいいと俺たちで決めたからだ。よそ者の俺がいくら言葉を尽くしても、命を懸けて周助を守ってくれるほど弟子たちは優しいと限らない。
「ごめんよ、寝てしまって。せっかくのご飯が冷めちゃった」
「いいんだ。お前は疲れている。ゆっくり休め」
これもまた優しさではない。
疲労が溜まって風邪でも引かれたら厄介なだけだ。しかし亀若丸は気づかないようで「ありがとう、源八郎」と感謝を述べた。
「上手くいくかなあ」
「話し合いのことか? それは分からん。願うしかないな」
「そっか……」
俺が切った漬物と麦飯を亀若丸は食べる。
以前の飯屋と違ってゆっくりだ。
どうやら食欲はあるようだが元気はないようだ。
「できたら……断ってほしいな」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味。おいらのせいで傷ついたり、死んだりするのは嫌なんだ」
言葉を補うのなら、今回の件に関係のない他人が被害に遭うのが嫌なんだろう。なかなか立派な考えだ。自分が命を狙われているのに見ず知らずの他人を慮るのはなかなかできることではない。
「だが断ればお前が死ぬかもしれない。分かっているよな?」
「でも、おいら一人だけなら――」
「それ以上言えば俺が斬るぞ」
思わず本気で凄むと亀若丸は驚いて言葉を止めた。
それは許されない言動だった。
「自己犠牲など何の足しにもならん。今まで守ってきた俺が馬鹿を見ることになる。それにお前が死ねば悲しむ者もいる」
「ごめん……でも、おいらが死んで悲しむ人、死んじゃった……」
箸を置いてしくしくと亀若丸は泣きだす。
俺は何も言わずに亀若丸の言葉を待った。
「おっかあが死んで一人っきりになった。おいらを守ってくれた銀次郎も殺された……多分、おいらが殺されても悲しんでくれる人なんて……」
「いるさ。少なくとも俺は悲しい」
俯いていた顔を上げた亀若丸は驚いていた。
俺もまた自分が言ったことに驚いていた。
どうして俺は亀若丸を慰めるようなことを口にしたのだろうか。先ほどの周助との会話の影響かもしれない。
「源八郎……」
「……忘れてくれ」
気恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
亀若丸は涙を流していたけど、少しずつ笑顔になった。
「都合良く忘れるなんてできないよ。だっておいら馬鹿だもん」
「ふん……話し合い、まだ続いているのか様子見てくる」
俺にだって気まずいと思う心はある。
立ち上がろうとしたとき、ふすまがすうっと開いた。周助と宮川久次郎だった。俺は「もう話し合いは終わったのか?」と訊ねる。
「まあな……あまり良い結果とは言えないが」
「断られたのか?」
周助は苦い顔をしているが、隣の久次郎は微笑んでいる。どうもちぐはぐだなと思っていると「先生、納得してくれましたよね」と久次郎は言う。
「その子を守る手助けをする代わりに――天然理心流宗家を継ぐと」
「一応は納得したが……兄弟子たちにどう言えばいいんだよ……」
「嶋崎先生の実力を示せば皆分かってくれますよ」
経緯を知らないのでどうして天然理心流とやらを周助が継ぎたがらないのか判然としない。
兄弟子を説得するのが煩わしいのか……それとも他に何か理由があるのだろう。
俺には関係のないことだが、亀若丸を守る契機になるのなら訊いておこう。
「その天然理心流は剣術の流派か? どうして継ぐのを嫌がるんだ?」
「俺は師匠から印可と指南免許をもらってないんだ」
「でも先生は剣術免許をもらっていますよね?」
「久次郎、それだけでは不十分だとあの場でも言っただろう」
確かに印可や指南免許がない者が宗家を継ぐのはあまり感心しない。
「ああ。そういえばさっき近藤……という人が亡くなったと言っていたな。それが師匠のことか?」
「ああそうだ。近藤三助先生は誰にも与えずに亡くなってしまった」
「ならばその近藤の兄弟弟子を当たるのはどうだ?」
俺の提案に「どういう意味ですか?」と疑問に思った久次郎が問う。
「近藤の先代ならば他にも印可などを与えているのではないか? その者もまた後継者に与えているかもしれない……」
「な、なるほど。それなら嶋崎先生が宗家を継げるかも!」
久次郎は喜んでいるが、当の周助は気が進まないらしい。
あからさまに渋い顔になっていた。
だから俺は後押しするようなことを言う。
「ま、そこまでしなくとも天然理心流を継ぐと宣言すれば誰も文句を言うまい」
「へえ。その心は?」
気のない返事をする周助に「誰も継がない流派ならば、誰が継いでもいいだろう」と単純明快な考えを示す。
「複雑に考えすぎなのだ。お前の弟子たちが継いでほしいのなら、それを受け入れるべきだ」
「そうは言ってもなあ……筋道は必要だろう?」
「筋道だと? お前はうだうだ言うが、既に継ぐことは決定しているのだ。弟子たちが亀若丸を守ると了承したのはそういうことだろう」
「そいつを言われちゃぐうの音も出ねえけど……」
「ごめんよ、周助。おいらのせいで嫌なことをさせてしまって」
俺たちの話を聞いていた亀若丸が申し訳なさそうに頭を下げる。
子供のあどけない顔で言われたら大人は言葉を飲み込んでしまう。
現に周助は何か言おうとしたが、口をもごもごするだけだった。
「良いんだよ、亀若丸。むしろ俺らにしてみればいい機会を得たんだから」
代わりに久次郎が笑って言うものだから周助は「勝手に言ってろ」と顔を背けてしまった。
とりあえず周助の弟子たちが守ってくれると確約してくれたのはありがたい。
このまま何事もなく五日間を過ごせればいい――
「――先生、嶋崎先生! 外に怪しい輩がいます!」
大声で喚いている――俺は素早く刀を掴んで外に飛び出す。
「久次郎! 亀若丸を頼んだ!」
「了解しました。任せてください!」
後ろに聞きながら家の外に出ると、殺気立った武士の集団が弟子たちと向かい合っていた。
数えると武士たちは六人、弟子たちは四人だった。武士のほうは刀を構えているが、弟子たちは百姓なので木刀を構えていた。
「亀若丸を出してもらおうか!」
俺の顔を見るなり武士の一人が怒鳴りつけてくる。
刀を抜いて正眼に構えた。
「亀若丸をどうするつもりなんだ?」
「馬鹿言え。素直に教えるか!」
「それこそ馬鹿言えだな……そんな輩に亀若丸を出せるか!」
弟子たちの実力は分からないが、ここは拮抗状態になっているみたいだ。
武士たちはじりじりと俺に迫っているが、具体的に攻撃に移ろうとはしない。
俺の実力を怖れているのか、あるいはこの前と同じく仲間が集まるのを待っているのか。
「あんたらよ……恥ずかしくないのか? 寄ってたかって子供を殺そうとするなんて」
周助が木刀の先を向けつつ、挑発するように言った。
「あの子が何をした? 別に悪事を働いたわけじゃねえだろ」
「……何をしなくとも、あれが生きているだけで困るのだ」
生きているだけで困る?
「意味が分からねえ。亀若丸は百姓の子だろうが!」
「お前らに説明したところで分かるはずもない。あれの存在が――」
武士に一人が言いかけたとき、他の者が「余計なことを言うな!」と遮った。
ようやく事情を知った者がいる。俺は口の軽そうな男に狙いを絞った。
「周助。俺はあいつを生け捕る。他の奴らは任せていいか?」
「任せてくれ……皆の者、毎日の修業の成果、見せる時だぞ!」
周助の激励に弟子たちは一斉に「応!」と答えた。
百姓が一端の武士のように見える。頼もしい限りだ。
「よーし! 全員、ぶっ飛ばせ!」