表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/16

「……それでも俺は継ぐ。山田朝右衛門の名を」

「話は聞かせてもらったが……にわかに信じがたいな。どうして百姓の子が武士連中に狙われる?」

「それが分かれば苦労は要らない。今すぐにでも首謀者に直談判しに行くさ」


 それから半刻後。

 八坂神社から離れて俺と亀若丸は周助の家にいた。

 俺たち三人以外、誰もいなかった。周助は一人暮らしで奥方とは別れたと言う。それでも意外と清潔で物も整頓されていた。


「三左衛門殿も人が悪い。手紙に詳細を書いてくれればいいのに」

「時間がなかったんだろ。そこは奴の代わりに謝る」

「謝罪が欲しいわけじゃない。ある程度対策が必要だと思ったんだ」


 周助の言い分はもっともだ。

 三左衛門は言葉足らずなところがあった。

 それなのに俳諧では見事な句を詠むのだからおかしな話だ。


「えっと。周助はおいらを守ってくれるの?」


 どうしたものかと亀若丸が訊ねた。

 内心、断られるのが不安なのだろう。

 けれども周助は「当たり前だ」と力強く頷いた。


「子供を見捨てるなんてみっともないことできるか」

「周助……ありがとう!」

「構わんよ。とりあえず俺の弟子……みたいな者たちを呼んでおく。それならしばらく大丈夫だろう。交代で見張ればそいつらも手出ししない。それで約束の五日間は凌げる」


 頼りになるものだ。これで俺の肩の荷も下りたな。弟子がどれだけ強いのかは分からないが、守りが堅いとなれば奴らも俺たちを無理に襲わないだろう。


「先生、失礼します……おや、先ほどの方ですか」


 今は夏で障子やふすまが開けっ放しだった。

 そこへ先ほど周助のことを聞いた百姓の若者がやってきた。

 がっしりとした体格で口が異様に大きい。百姓にしては鍛えられている印象だ。


「なんだ久次郎か。というより源八郎殿と知り合いだったのか?」

「知り合いではない。お前の所在を訊ねただけだ」


 俺の言葉に「左様でございます」と若者――久次郎は頷いた。


「そういえば名乗りませんでしたね。俺は宮川久次郎といいます。嶋崎先生の門人やっています」

「おいおい。門人って言うなよ。俺は師匠の跡を継いでいない」

「前々から気になっていましたが、どうして天然理心流を継がないんですか?」


 周助は俺をちらりと見てから「俺にも事情があるんだよ」と歯切れの悪い言い方をする。


「席を外そうか?」

「いや。それには及ばない。こら久次郎。余計なことを言うな」

「しかし、あの近藤三助先生が亡くなってもうすぐ十年経とうとしています。皆さん待っていますよ」


 なおもしつこく言おうとしたのを「今はやめておけ」と周助は注意した。

 亀若丸のこともあり、これ以上余計な面倒に首を突っ込みたくないので「この者が守ってくれるのか?」と話を進める。


「うん? ああ、そうだな。久次郎、皆を集めてきてくれ。大事な話がある」

「ええ、構いません。すぐに呼んできますよ」

「あ。お前の用件はなんだ?」


 周助が訊ねると「実は変な人たちが村にいましてね」と久次郎が神妙な顔で言う。


「お武家様だとは思いますが、どうも役人でもないようで……」

「……周助。多分、俺たちの追っ手だ」


 やはり枯れ木の武士だけではなかったか。


「それを含め、皆を集めて話す。至急頼む。それと怪しい輩には近づくなよ」

「分かりました……先生もお気をつけて」


 久次郎は足早に去っていく。

 緊張感が漂う中、周助が背筋を伸ばしつつ空気を変えようとする。


「もうすぐ日が暮れる。飯の準備をしつつ待とう」

「手伝おう。亀若丸は少し休んでろ。疲れているだろう?」

「うん……でもいいの?」

「子供が気を遣うな」


 俺は周助の後に続いて台所に立つ。

 ここもまた綺麗に片付いていた。

 案外、まめな性格なのかもしれない。


「そこの包丁で漬物を切ってくれ……というか、作れるのか?」

「まあな。俺の師匠は夜中に飯を作れとわがままを言う人で、俺を含めた弟子たちは叩き起こされて作らされたものさ」


 とんとんとんと小気味よく漬物の大根を切っていく。

 周助は「師匠って剣術のか?」と作り置きした汁物に火を点けた。


「剣の達人だが、そうじゃない。道場主でもないしな」

「じゃあ何の師匠なんだ?」

「俺の師匠の名は――山田朝右衛門さ」


 周助はお玉で鍋をかき回していた手を止めた。

 それから驚いた顔で「あの御様御用のか?」と訊いてくる。


「そのとおりだ。でも俺は今、破門の身だけどな」

「亀若丸のことしか聞いていなかったが、あんたもいろいろ事情がありそうだな」

「簡単に言えば破門を取り消してもらうために、亀若丸を守っているんだ」


 切った漬物を皿にのせる。

 みずみずしくて美味しそうだ。


「師匠の跡、継ぎたいのか?」

「四十過ぎまでそのために生きてきたんだ。継ぎたいに決まっているだろ」

「介錯人ということは、人を殺めるんだろう?」

「それが公儀から申し渡された務めだからな」


 汁物を椀によそう周助は「余計なことを言うが」と断りを入れた。


「人を殺めるのに罪悪感はないのか?」

「剣客がおかしなことを言う。あると分かっているだろ」

「ならなんで継ごうとするんだ?」


 何故不思議に思われているのかまるで分からないが、俺は至極当たり前に答えた。


「それしか道がないからだ」

「そうじゃない。罪悪感があるのに継ごうとする気持ちが分からないんだ」

「……もし、腕が確かではない者が介錯をしたならば、仕損じて苦痛を与えるかもしれない」


 師匠の受け入りだが話さないよりはマシだろう。


「俺が行なえば痛みもなく安らかに逝ける。誰かがやるべきことを成す。ただそれだけだ」

「…………」

「お前は人を斬ったことあるんだろう?」


 疑問ではなく確信をもって言ったのは先ほどの戦いを見たからだ。

 人を斬った者でなければあのような容赦のない攻撃はできない。


「夜盗を殺したことはある。しかし功名心で斬ったわけではない。あくまでも自衛のためだ」

「功名だろうが自衛だろうが、人を斬ったことには違いない」

「何のために斬ったのかは重要だろう。それが無ければ辻斬りと変わらないことになる。俺も、あんたも」


 本質的には何の違いもないだろう。

 人が人を殺すのはとても罪深いことだ。やってはならないことだ。

 しかし自衛のためや苦しめないための殺しは正当化される。

 やむを得ず殺さなければならない状況は泰平の世にもある。

 とても悲しいが――事実としてある。


「御様御用は幕府に必要な務めだ。たとえ人殺しと非難されても続けなければならない」

「そのための人柱になるのか?」

「自己犠牲のつもりはない。幕府の要請に従うのは武士の責務だ」


 話は以上だと俺は漬物の皿をもって亀若丸のところへ持っていく。

 余程疲れたのか、床に転がって眠っていた。

 とりあえずちゃぶ台の上に漬物を置き、腹が冷えないようにその辺の手拭いを被せる。


「……優しいんだな」

「勘違いするな。風邪をひかれたら面倒になるだけだ」


 亀若丸の寝顔は穏やかなものだった。

 出会ったばかりのとき、うなされていたのが嘘のようだ。

 このまま守り通せればいいのだが。


 唐突に周助は「俺は人を斬ったことを後悔している」と言う。

 軟弱とは思わない。

 俺も最初はそうだった。


「度胸がついて技量が上がったが……斬らなかったほうが良かったと思っている」


 剣客は人を斬って一人前になる。

 逆に言えば人を斬らねば半人前ということだ。

 それはいつの時代でも変わらない。


「あんたは後悔していないのかい?」


 周助は問う。

 俺の心に、俺の性根に、俺の信念に――問う。


 だけど、俺の答えは決まっていた。

 養子に出されたときから――決まっていたのだ。


「……それでも俺は継ぐ。山田朝右衛門の名を」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ