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「平気だったらお前に助けてもらおうとは思わない」

 長年江戸に住んでいるが、多摩に赴くことはなかった。師匠の跡を継ぐため修業を脇目も振らずにやっていた――そう言えば聞こえはいいだろう。実際は用がないのに行くところではないからだ。


 幕府の天領であり多くの農村といくつかの寺社しかないと言っても過言ではない。観光名所も無ければ風光明媚な建物もない。まさに百姓の土地なのだ。


 そんな場所に俺と亀若丸を匿ってくれる相手がいるらしい。名前は嶋崎周助という。一流の剣客と三左衛門は話していた。狙われている子供を刺客から守る義侠心あふれる人物ならばいいのだが……


「うわあ。桜田村より広いなあ……!」


 多摩に訪れたのは飯屋から一日経った後だ。亀若丸は多摩の広大さ――あるいは何も無さ――に感激していた。百姓の子からすればこれだけの農地は魅力的なのだろう。俺にはいまいち分からない。これが米になると考えれば実感が湧くかもしれない。しかし今は夏で青々とした稲が辺り一面を彩っていた。


「嶋崎周助って人、どこにいるの?」

「さあな。三左衛門曰くその辺の人に聞けばいいらしい」

「有名な人なんだね」

「こんな田舎だけだ。世間ではさほど有名ではない」


 というわけで俺たちは稲の世話をしている百姓に話を訊くことにした。せっせと農作業をしている若者に「少しいいか?」と声をかけた。


「はあ、お武家様。何の御用でございますか?」

「嶋崎周助という人を探している。心当たりはないか?」

「ああ、嶋崎先生ですか。あの人なら八坂神社におられます」


 京の八坂神社の分社だろう。

 俺は「よく所在が分かるな」と言う。


「たいがいあの人はそこで剣術の稽古しております。いないときは……芸者遊びしていますが、少し待てば来ますよ」

「ほう。石部金吉のような男を想像していたが、案外そうではなさそうだな」


 若者は「あの、不躾ながら嶋崎先生とは初対面でしょうか?」とおそるおそる訊ねてくる。


「ああ。そのとおりだ。何か問題でもあるのか?」

「いえ。問題などありません。気になったもので」

「気になったのは俺も同じだ。どうして嶋崎のことを先生と呼ぶ?」

「俺、先生に剣を習っているんです。まだまだ弱いですが」


 隣にいた亀若丸が「百姓なのに剣術習っているの?」と驚く。

 俺は「江戸には無宿人が多い」と説明する。


「自衛のために百姓が剣術を習うのはよくあることだ」

「へえ。そうなんだ」

「しかし嶋崎が師範とは聞いていなかったな」


 俺の呟きに若者は「嶋崎先生は……師範ではありません」と微妙な顔で訂正する。


「少し込み入った事情がありまして、先生は師範でも道場主でもないんです」

「ま、込み入った事情は聞かないでおこう」


 興味があまりないのもそうだが、これ以上巻き込まれるのはごめんだった。

 百姓の若者に八坂神社の場所を聞き、礼を述べて別れる。

 亀若丸は「いい人だといいね」と頭の後ろに両手を置く。


「三左衛門のお墨付きだ。きっといい奴なんだろう」


 そうは言いつつ、あいつは変わり者を友人にするのが好きな変人なのであてにできないと思っていた。まともなのは俺ぐらいなもんだ。


 しばらく歩いて到着した八坂神社は年季の入ったところで、建物自体は大きくないが広い土地を有していた。

 さて、嶋崎周助はどこにいるのだろうか――と思った矢先、聞き覚えのある音が微かに聞こえた。


 びゅん、びゅん、という風を切る音だ。

 俺自身、馴染みのある音――剣を振るっている。


「向こうで素振りをしているな……行こう」

「えっ? どうして分かるの?」

「稽古の音がしているんだ」


 亀若丸には聞こえていないようで不思議そうな顔だった。

 音を頼りに歩くと、やはり素振りをしている男がいた。


 大柄で上着をはだけているため、筋肉が隆起しているのが分かった。

 木刀を振っているが、かなり太かった。珍しいと言っていいだろう。腕だけではなく足腰まで使わないと振れない代物だった――恐ろしいほどの膂力を持っている。


 顔はまん丸で大猿を想起させる。美男子とは言えないが愛嬌がある。

 一心不乱に振っていて、俺たちが来たことも気づいていないようだった。

 年齢は――三十半ばか。


「――あ? 見ない顔だ」


 じろじろ見ていたせいで気づかれたようだ。

 俺は「お前が嶋崎周助か」と訊ねる。

 亀若丸は俺の背中に隠れている。警戒しているのだ。


「いかにもそうだが……川路三左衛門殿の手紙に書かれていたお方か?」


 手紙は届いていたらしい。

 俺が頷くと「そっちの子が亀若丸かな」と嶋崎殿は木刀を肩に置く。


「そのとおりだ。俺は三輪源八郎。三左衛門の手紙に書いているだろう」

「なるほどな。事情がありそうだが……二人だけだよな?」


 俺と亀若丸のことを指していると思ったので「ああ。二人だけだ」と答えた。


「――おーい、隠れている奴、出てこいよ」


 嶋崎殿が気軽そうに言う――俺は驚いて後ろを振り向く。

 すると木陰から一人の武士が出てきた。まるで枯れ木のように痩せている。

 いつの間に……


「何故、隠れていると分かった?」


 武士の剣呑な空気を孕んだ声に「殺気を隠しても視線は感じる」と嶋崎殿は言う。


「気配を完全に隠すなんて土台無理な話ってことだ」

「……我々の目的は亀若丸だ。引き渡せば見逃してやる」

「我々? じゃあ複数いるってことか?」


 嶋崎殿は木刀を片手で振って――超人的な筋力だ――その切っ先を武士に向けた。

 そして真剣な顔で「寄ってたかって子供を捕まえようとしているのか」と吐き捨てる。


「最低だな、お前ら」

「……見逃してやる、と言ったが撤回しよう。お前とそこの者は確実に殺す」


 そこの者、というのは俺のことだ。

 すらりと刀を抜く武士に合わせて俺も抜刀した。


「物騒だな……子供が見ているんだぞ?」

「ほざくな。お前も刀を抜け」

「俺はこれで十分だ」


 木刀を見せびらかす嶋崎殿に「愚か者め」と枯れ木の武士は八双の構えになる。

 俺は亀若丸を庇うように前に出た。


「ちょっと待ってくれ。源八郎さん、俺にやらせてくれないか?」

「おいおい。知り合ったばかりのお前にやらせるわけにはいかねえよ」

「修業の成果が分かりたいんだ。譲ってくれ」


 剣客というより剣術馬鹿だなと思いつつ「いいだろう」と刀を納めた。

 枯れ木の武士はじりじりと嶋崎殿に迫る――


「いやああああああああああ!」


 気合の雄叫びを発して――細身のわりに大声だった――勢いそのまま一足飛びで嶋崎殿に近づく。それはかなりの速度で凡人ならば受けることも躱すこともできないだろう。


「――陰勇剣」


 嶋崎殿は相手の八双の構えに対し、斬り降ろされる前に肩を木刀で叩きつける。

 その動きは速いというよりも素早いと言うべきで、達人の熟練した技をまざまざと見せつけられた印象だ。


「ぐぎゃあ、ああ……」


 凄まじい衝撃で肩の骨が折れたのか、その場にうずくまってしまう枯れ木の武士。

 嶋崎殿は油断なく間合いを取った。まだ左手は使えるからだ。


「一撃で倒すとは。剣客として一流だな」

「お褒めに預かり感謝する」


 俺は刀を抜いて「訊ねたいことがある」と枯れ木の武士に告げた。


「何故、亀若丸を狙う? 答えねば――」


 最後まで言い切れなかった。

 枯れ木の武士が脇差を抜いて喉に刺したからだ。


「な、なにを――」


 嶋崎殿が驚愕する中、俺は間に合わないと思いつつ枯れ木の武士に近づく。

 急所を的確に刺していて、もう助からなかった。

 後ろで亀若丸が悲鳴を上げて尻餅を突く音がした。


「なんて奴だ……あっさり自害するなんて」

「なあ嶋崎殿――」

「周助でいいよ。それよりあんたら大丈夫か? こんなのに狙われて平気なのか?」

「平気だったらお前に助けてもらおうとは思わない」


 俺は改めて「助けてくれるか?」と訊ねる。

 周助は「ああ。乗りかかった舟だもんな」と死体を見つめる。


「とりあえず俺の家まで来てくれ」

「ああ……亀若丸、立てるか一人で」

「……ごめん、無理そう」

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