「違う。お前を守るのは、武士としての責務だからだ」
「おいらは武蔵国の桜田村で暮らしていた。おっとうはいなくて、おっかあと二人っきりで毎日畑を耕してた」
ぽつりぽつりと話し始めた亀若丸に俺と三左衛門は口を挟まなかった。本当に百姓の子だったんだなとようやく知れた。亀若丸の言葉に嘘が混じっていないことぐらい顔で分かる。
「畑仕事は大変だけど、おっかあと一緒なら苦じゃなかった。美味しいご飯を作ってくれたし、村の子たちと遊ぶのも許してくれた。だけど、一番嬉しかったのは――褒めてくれたことだった」
亀若丸は命を狙われている状況なのに笑顔になった。
よほど輝いていた思い出なのだろう。
「よくやったね、亀若丸って言ってくれて。おいらの頭を撫でてくれて。なにより――おっかあの笑顔が好きだった」
それから亀若丸は笑みを消して「おっかあが倒れたのは今年の春で、医者でもどうしようもできない病だった」と続けた。
「おっかあは自分が死ぬと分かって、おいらに言った。銀次郎を頼りなさいって。それまで銀次郎は遊び相手になってくれてたけど、そこまで親しくはなかった。近所の優しいお兄さんだった」
村の中の付き合いだった銀次郎。
それがどうして亀若丸を守るために死んだのだろう。
「おっかあが死んで一人っきりになったおいらを銀次郎は良くしてくれた。周りの人や友達も優しくしてくれた。おっかあが死んで不安だったけど、なんとかなりそうだと思えた。養子に迎えてくれる話も出たんだ。だけど、ある日……あいつらが現れた」
あいつらとはあの武士たちのことだろうか?
亀若丸は少し黙った。どう話していいのか、悩んでいるようだった。
「……あいつらはおいらを見るなり刀を抜いて斬ろうとした。必死になって村の中を逃げた。あんなに怖い思いをしたのは初めてだった」
そして今も続いている。
目に涙を貯めた亀若丸は「助けてくれたのは銀次郎だった」と言う。
「銀次郎がおいらを守ってくれた。あいつらより早く見つけてくれた。もしあと少し遅かったら……殺されてたかもしれない」
「……話の腰を折りますが、どうして二人は江戸に来たんですか?」
三左衛門の疑問はもっともだった。
桜田村から出るのは分かるが、ただの百姓が江戸に来て助けを求めるのは違和感がある。何らかの伝手や頼れる人がいれば話は別だが。
「よく分からないけど、江戸に行けばなんとかなるって銀次郎は言ってた。おいらはついて行くしかできなかった。だって……おいら村の外知らないんだもん」
俺は「銀次郎は他に何か言わなかったか?」と訊ねた。
いくらなんでも江戸に行けばなんとかなるなんて大人は思わない。何かしらの目的があって江戸に来たはずだ。
「ううん。何も……おいら、本当に何も聞かされてないんだ。だから、これからどうしたらいいのか……まるで分からないんだよ……」
子供が一人っきりで見知らぬ土地にいるのは心細いのだろう。養子に出された俺自身を思い出す。
くそ、同情なんてするもんじゃないと分かっているが……こんな話聞かされて亀若丸を見捨てるなんて武士としてできるわけがない……
「なあ三左衛門。今は何も判然としない状況なわけだ。どうしたらこいつ――亀若丸を守れるんだ?」
「……そうですね。一番の近道は何故襲われたのかを知ることです。それさえ分かれば自ずと打開策が生まれます」
ま、一番の近道と言えば亀若丸を襲う首謀者を斬ることなんだが、三左衛門の言うとおりだろう。斬るには敵が誰だか見据える必要がある。
「どうしますか? 襲いかかってくる奴を捕まえて吐かせましょうか?」
「お前なあ……それやるの俺だろ? 自分ができるみたいに言うなよ」
「そんな風に言ったつもりはありませんよ。あくまでも提案です」
手がかりがない以上、それしか手はないか……けれども、嶋田のように何も聞かされていない場合もある。果たして真実を知る者はいるのだろうか。
「ねえ。どうしてあんたたちは、おいらを守ってくれるの?」
思考を巡らせていると、亀若丸が不安そうに訊ねてくる――当たり前だ、知り合って間もない大人を信用するなんて無理な話だ。ましてや命を狙われているのだから。
「俺は師匠に破門されてな。その破門を解いてもらう条件でお前を守れといわれた」
「師匠って……何の師匠?」
「介錯が家業のお人だ」
「そ、それって……」
不安だけではなく、怖れまで入り混じっている表情だ。
ま、人殺しと思われても仕方がない。
「師匠がお前を守れと言った理由は分からん。しかし――俺はお前を守る」
「それこそ分からないよ! 破門を取り消してもらうために、命がけになるなんて――」
「違う。お前を守るのは、武士としての責務だからだ」
百姓の子だから俺の言っていることは分からないだろう。現に不可解という顔をしている。
「理不尽に命を狙われる子供を助けるのは、武士として当たり前なことだ。覚えておけ」
「…………」
「あはは。源八郎さん、それでは説明不足ですよ。素直に情が移ったから助けてやるで良いじゃないですか」
「そんな単純な話ではない」
複雑にしているのは俺自身なのだが、三左衛門の言ったことは認めたくはない。
情けで子供を助けるなど口が裂けても言えない。介錯人を生業とする俺が今更善人ぶるなんて許されないだろう。
「ありがとう、源八郎」
亀若丸はすっと頭を下げた。
存外、百姓には似合わない愁傷な仕草だった。
「別に感謝されることではない。それにまだ、守れたとは言い難いしな」
「これまた素直ではありませんね」
「うるせえ。それよりもだ、さっさと良案を言え三左衛門。お前のことだ、思いついているだろ」
聞いた亀若丸はきょとんとした。
「奴らに話を訊くんじゃないの?」
「白状するとは限らない。それにいつ襲ってくるかも分からない。そんな受け身の状態じゃ命がいくつあっても足りねえ」
それなりの付き合いだから、既に三左衛門が腹案しているのは分かっていた。
何の策もないのに落ち着いて飯を食わせるほど三左衛門は馬鹿ではない。
「お見事ですね。ええ、既に思いついてはいます」
「もったいぶるんじゃねえ」
「はいはい。私が考えるに二手に分かれて行動するべきです。亀若丸を守るのと理由を探る。効率がいいでしょう」
確かに守りながら探るのは難しい。
それに守ることに専念できれば煩わしくない。
「私が亀若丸のことを探ります。源八郎さんは亀若丸を連れて逃げてください」
「いいだろう。期限はいつまでだ?」
「五日もあれば調べられると思います。はっきりしなくても落ち合いましょう」
たった五日で調べ終わるとは思えないが、三左衛門に従おう。
俺は「落ち合う場所は?」と訊ねる。
「江戸は狭い小路が多いので襲われる可能性が高くなります。郊外に逃げるべきです」
「当てはあるのか?」
「多摩に知り合いがいます。一筆書きますよ。あの人なら匿ってくれるでしょう」
「その人の名は?」
三左衛門は背筋を正した。
まるでその人物に対して敬意を払うようだった。
「嶋崎周助。多摩随一の剣客です。あの方なら力を貸してくださるでしょう」
聞いたことがない名だ。
三左衛門は俺と関わるぐらいだから、相手の身分など関係ないのだろう。
とにもかくにも多摩に向かおう。
「亀若丸。お前も異存ないな?」
「うん……源八郎と一緒なら行くよ」
妙な言い方をすると思って亀若丸の顔を見る。
少しだけ安心した顔になっていた。
やるべきことが決まったからだと俺は思った。先行き不安よりも目の前に目標があったほうがいいのだろう。
「決まりですね。ではしばらくはこちらで凌いでください」
三左衛門から路銀を渡された。
着の身着のままで来たのでほとんど金を持っていなかった。
「助かったぜ。それじゃ行くか、亀若丸」
「うん。三左衛門も気をつけて」
「ええ。互いに気をつけましょう」