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首斬り源八郎と奇縁の亀若丸 ~刻まれる高貴な血~  作者: 橋本洋一


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「ああ、当たり前だ!」

 亀若丸に力強く応じると、目の前の見覚えのある武士が俺に刃を向けた。

 ずいぶんと警戒している――当たり前だ、切腹の邪魔をしているんだからな。

 花房が「やれやれ。頑迷な男を説得するのは骨が折れるな」と肩をすくめた。


「ここで亀若丸が死ぬ意味を、そなたは理解していない」

「そんなもん、分かってたまるかよ」

「徳川の世において、足利の血が広まる……それが世を乱すとは思わないのか?」

「はっ。思わないねえ。そんぐらいで泰平の世が乱れるはず――」

「現に喜連川藩は動いた。さらに幕府も動いた。その事実は何よりも勝る」


 おもむろに花房は立ち上がり、俺たちの目の前を通って障子を開けた。

 そこには丁寧に手入れされた石庭があった。蝉がうるさいほど鳴っている。


「わしは喜連川藩だけではなく、日の本全体のことを考えている。それにその子が野心を抱かなくても、他の者が神輿として担ぎ上げるかもしれない」

「憶測で物を言うんじゃねえ。全部、お前の想像じゃねえか!」

「政治とは常に最悪の結果をどう回避するかを想像する作業だ」


 俺は亀若丸の近くにいる武士から目を切らずに花房と問答する。


「その回避が亀若丸を殺すことか! 子供を追い詰めて殺すことが政治なのか!」

「そうだ……たった一人で大勢の血が流れないのならば、わしは迷わずそうする」

「頭がおかしいぜ……」

「わしから見れば、そなたのほうがおかしい。どうして亀若丸を守るんだ? 見ず知らずの子供だったのだろう? 介錯人のくせに情でも移ったのか? だとしたら滑稽だな」


 嘲笑されているのは分かる。

 以前の俺ならば同様な気持ちになっただろう。

 だけど、単純な感情じゃねえんだ。


「笑いたければ笑えよ。俺ぁこいつを守るって決めたんだ」

「ほう……」

「まずは約束だった。亀若丸を今まで守っていた、あの銀次郎の死に際の約束だったからだ」


 きっかけは死人との約束だ。

 気が進まなかったのは認めよう。

 それでも、俺は守るべき事柄だと思いたい。


「亀若丸を守る約束は大きくなっていった。三左衛門、周助、芸者のふでに桜田村の村長。そして俺自身が誓った。それを破るなんて――武士じゃねえ」

「…………」

「それによ、介錯人だって情が移ることはある。そもそも情が無ければ罪人を苦しみなく首を落とすなんて思わねえよ」


 思えば師匠である山田朝右衛門も情が深かった。

 俺みたいな不出来な弟子を見捨てずにいてくれた。


「お前には亀若丸を斬る理由は百ほどあるだろう。だけどな、俺が亀若丸を守る決意は――百の理由より勝るんだよ!」


 最後は怒鳴るように言って――刃を向けていた武士に斬りかかった。

 不意討ちに近い攻撃だ。躱すことなどできない――


「――他愛ない」


 虚を突いた攻撃だというのに――武士は軽々と止めた。

 それどころか、そのまま俺を跳ね飛ばす。


「……くっ! こいつは!」


 追撃することなく、その武士は刀を正眼に構えた。

 一分の隙もない、剣術を極めた立ち姿に俺は刀を握り直す。


「わしがこうまで余裕なのは、そこに佐伯真二郎がいるからだ。喜連川藩随一の剣士……そなたが勝てる道理はない」

「そうか……お前の切り札ってやつだな」


 それを聞いた俺は少しだけ安堵した。

 ふーっと息を吐き出して、気合を入れ直す。


「それじゃ、こいつを倒せばお前の目論見を崩せるんだな。亀若丸を助けられるんだな」

「そうなるな。しかし、それは無理な話だ」


 花房は余裕をもって「佐伯、分かっているな」と告げた。


「その男……三輪源八郎吉昌を殺せ。二度と立ち向かえないように首を刎ねてしまえ」

「承知いたしました」


 佐伯から殺気が発せられる。

 亀若丸を見ると蒼白な顔になっていた。


「亀若丸、安心しろ。必ず助けてやる」

「……おいら、待っているから」


 亀若丸はもう泣かなかった。

 強くなったなと心から思える。


「絶対に、勝つって信じているから!」

「ああ、当たり前だ!」


 返答した瞬間、佐伯が俺に斬りかかってくる。

 その斬撃は鋭く、素早かった。

 今までの俺ならば躱したり受けたりするのは難しかっただろう。

 下手をすれば一撃で殺されたに違いない。

 しかし、今まで戦ってきた経験が俺を助けてくれた。


 がぎん! という刀と刀が衝突する音が部屋中に響いた。

 もしも嶋田四之助との死闘を経ていなければ――危うかった。


「この……! うおぉおおおおおおお!」


 佐伯と鍔迫り合いしつつ、石庭のほうへ走っていく。

 花房はいない――おそらく佐伯の邪魔にならないところへ下がったのだろう。

 広々とした空間に出た俺たちは油断なく相手の手の内を探る。

 足元の石は滑りやすいが、俺は草履で、佐伯は足袋のままだった。どちらが有利かは判断付かない。


「佐伯真二郎……覚悟しやがれ!」


 俺は上段に構えて間合いの外から一足飛びに佐伯に迫った。

 実力がどうであれ、攻め続けなければ勝てない。


「勇み足だな」


 佐伯のそんな声が聞こえた瞬間、ゾクっとした悪寒が降りかかった。

 攻撃の途中で下がる――普段ならできないことだが、闘志が漲っている今、身体がそのとおりに動けた。


 佐伯が目にも止まらない速さで胴を薙いできた。

 もしあと一歩でも間合いに踏み込んでいたら真っ二つに斬られていただろう。

 それだけの威力と殺意が斬撃に込められていた。


「ほう。躱せるとは思わなかった」


 佐伯は刀を納めた。

 戦いをやめたわけじゃねえ……あれは居合抜きの構えだ。

 納刀していないのにあの速さなのは脅威だ。

 次は躱せるだろうか……


「なあ。どうしてお前は花房の命令を聞くんだ?」

「ご家老様の命令を聞かぬ藩士はいない」

「それでも、抵抗はできるだろう」


 佐伯は鍔に指を置き、静かに「抵抗する意味はない」と答えた。


「あの子供を死ななければならない」

「喜連川藩のためか?」

「それと泰平の世のためでもある」

「お前ら、間違っているよ。亀若丸が戦乱のきっかけになるわけねえだろ」

「可能性が零じゃない以上、私は命令を聞くしかない」


 どうしてそこまで――訊ねようとしたとき、佐伯が「私は喜連川藩が好きだ」と言う。


「五千石しかないが、領民は藩主様のことを心から慕っている。それに一揆が今まで起こらなかったのは、善政を敷いているからだ。それが誇らしい。武士としてその政治に参画できることは誉れである」

「……浪人の俺には分からねえ話だが、お前の喜連川藩に対する思いは伝わったよ」

「あの子供は、その善政を崩し泰平の世を壊す。だから殺す」


 佐伯の殺気が場に充満していくのが分かる。

 こいつは家老の命令だけじゃない。自分の信念のために戦っている。

 強いのは当たり前か。


「お前が亀若丸を危惧する気持ちはよく分かった……でもな! 子供一人の命で維持する善政や泰平の世なんて――くそくらえだ!」


 俺は敢えて上段に構えた。

 先ほど脇を斬られかけたことを鑑みれば悪手だろう。

 だが敢えて――自分を死地に置いた。


「俺は亀若丸を守る! 今まで不幸な目に遭ったんだ! 最後はめでたしめでたしで終わらねえと締まらないだろうが!」

「……もはや言葉は不要だな」


 お互いの気が充実したのを感じて――俺は挑んだ。


「行くぞ……佐伯!」

「来い……源八郎!」


 俺は上段から斬撃を放つ。

 今までの修練や鍛錬のすべてを込めた、袈裟斬りだった。


「きええええええい!」


 佐伯の居合切りが俺を襲う。

 まさに流星の如く煌めいた一撃は、俺の胴を真っ二つに斬らんと迫ってくる。


 軌道は予想ついていた。

 後は拍子だけ合えばいい。

 刀同士が激しくぶつかる音がした――



◆◇◆◇



「ば、馬鹿な! あの佐伯が……!」


 一部始終を見ていた花房が驚愕の表情でこちらを見ていた。

 荒い呼吸の中、俺は折れた刀を眺めていた。

 その持ち主である佐伯は目の前でうずくまっている――


 俺が放った上段は佐伯を斬らなかった。

 それどころか掠りもしなかった。

 何故ならばそれこそが目的だったからだ。


 佐伯は疑問に思ったことだろう。

 どうして間合いから外れた袈裟斬りを俺がしたのか。

 しかし疑問が解消する前に佐伯は放ってしまった。

 一撃必殺の居合切りを。


 あの上段は居合切りの拍子を崩すためだった。

 それでいて、俺が狙っていたのは佐伯ではなく、佐伯の刀だった。


 まず上段で佐伯の虚を突いた。

 そして刀同士が衝突する位置まで刀を潜り込ませた後――素早く斬り上げたのだ。

 あの嶋田四之助の奥義を模倣した。とは言ってもあいつほど素早く斬り上げられないが。


 佐伯の居合切りは目にも止まらないほど速かった。

 けれどもどこを狙っているのか分かれば拍子を合わせることはできた。

 やや上昇気味に抜く居合切りならば斬り上げることであらぬ方向へ行ってしまう。

 刀が折れてしまったのは予想もしなかったが……


「私の、負けだな」


 佐伯の呟きに俺は頷いた。

 刀は折れ、脇差しかない今、俺に勝てる道理はない。


「ああ。俺の勝ちだ」

「もはや言い訳などせぬ。務めを果たせなかった以上、私は腹を斬る」


 上着を脱ごうとした佐伯に「斬らなくていい」と俺は言う。


「もう亀若丸を狙わないでくれ。それさえ約束してくれればいい」

「…………」

「藩のために全力を尽くしたお前は、絶対に罪人じゃねえ。俺が斬るのはお門違いだ」


 そう言い残して俺は花房の元へ向かう。

 慌てて逃げようとするが――白装束の亀若丸が両手を伸ばして待ったをかけた。


「今更逃げるなんて、おいら許さないよ!」

「な、なにぃ!?」

「今までいろんな人を動かして、殺したりしたんでしょ! それなのに責任も取らずに逃げるなんて――卑怯すぎるよ!」


 花房はもごもご何を言おうとして、亀若丸から二歩ほど下がった。

 その間に俺は追いついた。


「さあ。お前にも誓ってもらおうか」

「ぐ、なにをだ!」

「亀若丸を――二度と狙わねえってことだよ!」


 言ったと同時に俺は花房を殴った。

 ふすまごと吹き飛んだ花房は頬を押さえつつ「だ、誰か、おらぬか!」と喚く。


「この者を斬れ、斬れ!」

「情けねえ。自分で斬ってみろ!」


 こんな奴にかき乱されていたのかと思うと疲れがどっと襲ってくる。


「もう斬った張ったはやめましょう」


 その声と共に三左衛門が幕府の役人と藩士を連れてやってきた。

 双方とも怪我を負っているが、無事な様だった。


「三左衛門……そいつらは?」

「話したら分かってくれましたよ。それと花房殿、あなたにお会いしたいという方を連れてきました」


 痛がっていた花房が三左衛門の言葉に「な、なんだと……?」と反応する。


「このようなときに、誰だ!」

「おやおや。そんな口は利かないほうがいいですよ」


 三左衛門が丁寧に座ると他の者たちも道を開けるように座った。

 その道を歩く者がいた。


 高貴そうな顔立ちのわりに質素な服を着た男だった。

 俺よりも若く、三左衛門と同世代かもしれない。


「ああ、あなた様は!」


 花房は慌てて平伏した。

 家老のこいつがそんな態度になるってことは――


「ご紹介しましょう。この方は喜連川藩主の――」

「良い。余が自ら名乗ろう」


 近くに寄ってきた亀若丸の手を俺は握った。

 その方は無表情のままで名乗った。


「余は喜連川(きつれがわ)左馬頭(さまのかみ)煕氏(ひろうじ)。亀若丸の叔父である」

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