「自分を大きく見せようとして――逆に小さく感じるぜ」
三左衛門の案内で連れてこられたのは、奉行所からほど近い武家屋敷だった。
いつ手を回したのか知らないが、奴の親戚に無理を言って亀若丸を預かってもらっているようだ。奉行所で別れた直後だというのだから、やはりできる男は仕事が早いのだろう。
「亀若丸は寝ています。昨夜のことがありうなされているようです」
屋敷に入り女中の先導で廊下を歩いていると、そんなことを三左衛門に耳打ちされた。
殺した俺が言える立場ではないが、人斬りはかなりの衝撃だったのだろう。
繊細さや豪胆さとは関係なく、子供には刺激的過ぎる。
部屋の障子を開けると、布団にくるまって寝ている亀若丸がいた。
あぶら汗が額にうっすら浮かんでいる。表情も苦しそうだ。
「それで、この子供を守れというのか」
「私が言ったわけではありません。源八郎さんの師匠様がおっしゃったんです」
「だとしても、俺にしてみれば気に入らない展開だ」
破門を取り消してもらうために子供を守る。
まるで自分のために利用しているような心地だった。
「いたいけな子供を守るのは嫌ですか?」
「見ず知らずの子供を守るのが嫌だ。俺はこいつのことを何も知らないんだ」
「おや。知り合いだったら守るんですか? おかしいですね、あの死んだ男は知り合いでも何でもないでしょう?」
痛いところを突く――しかし死にゆく者の約束は守るのは俺なりの責務だと思っている。
それに快く引き受けるのは武士として当たり前のことだと師匠から教えられた。
「それとこれとは話が違う。こいつは生きているじゃないか」
「でも苦しんでいる。だったら介錯しますか?」
「俺の務めを揶揄しているのか?」
「源八郎さんが頑固だから言いたくないことを言っているんです」
三左衛門は説教をしているわけではないが、そう受け取ってしまう俺がいた。
まるで聖人を相手にしているようだ。
自分が悪人だと卑下するつもりはないが、善人でもないので甘んじて受け入れるのも癪だった。
「ま、破門はされたくないからな……」
「素直じゃないですねえ……この子の素性、なんでしょうね? 単なる百姓の子とは思えません」
話を変えた――いや、本題に入ったのだろう。
今後動くにしても考えなければならない事柄だった。
「高利貸しか人買いが亀若丸を拐した……それをあの男――銀次郎が連れ戻そうとした」
「源八郎さんも覚えているでしょう。銀次郎は『亀若丸様』と呼んでいた。武士の身なりをしている男が、百姓の子をそう呼びますか?」
「亀若丸という幼名にしてもそうだ。武家の中でも高貴そうだと思う」
「なら、亀若丸は武家ですか? ならなんでこのような恰好をしているんでしょうか?」
俺はなんとなくアタリをつけていた。
疑問を口にしている三左衛門だけれど同じ考えを持っているに違いないだろう。
武家の子息が百姓の恰好をしている理由は――身分を隠す以外ありえない。
「うーん……あ、うう……」
ようやく亀若丸が目覚めようとしていた。
俺たちは枕元に座った。
「……ここは?」
「気がついたようだな」
俺が声をかけると亀若丸は「うわあああああああ!?」と布団を跳ね飛ばして起き上がった。
そしてそのまま立ち上がろうとして足がもつれて尻餅を突く。
「だ、誰だ!? な、なんだ、お前は!?」
「まあ落ち着け。お前に危害は加えない」
「源八郎さん。そんな言い方では怯えてしまいますよ」
三左衛門はなるべく安心させようと優しげな笑顔で「怖がらなくていいんですよ」と言う。
「私は三左衛門。こちらの方は源八郎さん。あなたを保護しています」
「保護……なんで? あ! 銀次郎は!?」
「あー、銀次郎さんは……」
困った顔で俺を見つめる三左衛門。
仕方ないなとため息をついて「よく聞け」と俺が答えた。
「銀次郎は死んだ。おそらくお前を守るために傷を負ったのが原因だ」
「そ、そん、な……うっぐ、えっぐ……」
大粒の涙を流す亀若丸に多少の鬱陶しさを覚えてしまう。
三左衛門が「もう少し言い方を考えましょうよ」と呆れていた。
「知り合い……かどうかは知りませんけど、とにかく知っている大人が死んだんですから」
「誤魔化すよりいいだろ。なあ亀若丸……それがお前の名か?」
「ぐす、う、うん。そうだよ……」
亀若丸は袖で涙を拭いつつ答えた。
心が弱っているのだろう。今なら答えづらいことも言うかもしれない。
「お前は百姓の子か? それとも武家の子か?」
「……百姓だよ。おっかあと暮らしてた」
「お前の母親はどこにいる?」
ますます暗い顔になった亀若丸は「おっかあは死んだ」と短く返した。
「流行り病で……ひと月前のこと……」
「気の毒だな。しかしならば何故、お前はあの男たちに――」
そのとき、外で誰かが怒鳴る声がした。
ビクッと亀若丸は驚き、三左衛門は「少し様子を見てきます」と席を立った。
「な、なんだろう……」
「さあな。それより本題だ。俺はお前を守らなければならない」
「どういうこと?」
俺は頬を掻きながら「言葉通りの意味だ」と応じた。
「銀次郎という男の頼みだというのもあるが、俺の破門を取り消してもらうためにお前を守らないといけなくなった」
「よく分からないけど」
「俺だってよう分からん。詳しくはさっきの三左衛門に聞け」
廊下をドタドタ走る音がして障子が開く。
三左衛門が焦った顔で「不味いです、源八郎さん」と早口で言った。
「浪人風情の男が五人、この屋敷の前にいます。亀若丸がここにいるの見破られたようです」
「二人はここで待ってろ。俺が行く」
刀を持って出て行こうとすると「穏便に話し合ってくださいよ」と三左衛門が懇願してきた。
「借りた屋敷で血生臭いことしないでください」
「保証はできん。もしそうなったら――代わりに謝っておいてくれ」
◆◇◆◇
外に出ると三左衛門が言ったとおり五人の男がこちらを威圧している。
そのうちの一人は見覚えがある――昨夜逃げた男だ。
「その面……どうやらここにいるらしいな」
男も気づいたようで全員の殺気が高まる。
空気が徐々に乾いていくのも感じた。
「なあ。場所を変えねえか? ここじゃ屋敷の主人に迷惑かかる」
「ふざけるなよ! てめえが亀若丸を出せばいい話だろうが!」
声を張り上げて恫喝する男たち。
昔、師匠に言われたことを思い出した。
「そんな大声上げて、みっともねえな」
「なんだと!?」
「自分を大きく見せようとして――逆に小さく感じるぜ」
俺は刀を素早く抜いた。
五人は動揺したが、各々刀を抜く。
「迷惑をかけるって意味は、お前らの血で玄関を汚しちまうことだ……」
「ほざくなよ……! やっちまえ!」
五人のうち二人が一斉に襲い掛かった。
刀をくるりと回して、俺は迫ってくる左の男の脇を峰打ちにした――右の男にぶつかってから倒れてしまう。
「こ、この――」
悪態をつく暇があるなら俺を斬ればいい。
そう思いつつ、体勢を崩した男の顔面目掛けて前蹴りをした。
鼻血を出した――鼻柱が折れたようだ――そのまま気絶する。
「斬ると後々面倒だからよ。このままにしておくぜ」
残された三人は逡巡した挙句、刀を構えたまま固まってしまった。
逃げるでもなく、襲い掛かるでもないか……何とも中途半端な対応だった。
「逃がしてやるからさっさと帰れ」
面倒になった俺はそのまま屋敷に入る。
奴らの歯の根が鳴っているのが聞こえていたので別にどうだって良かった。
さて。事情を訊くのは後回しだ。あんな連中が次々と来る前にこの屋敷から出なくてはならない。三左衛門の親戚である、屋敷の主人に迷惑をかけないためにも。