「助けるって、約束したからな」
あれは俺が初めて介錯をしたときだった。
今までの研鑽のおかげで痛みもなく、苦しみもなく、怖れもなく、首を落とせた。
我ながら見事な介錯だと自負する。
しかし、師匠はそんな俺を叱った。
得意げになっている俺の鼻を折るように、厳しく叱った。
介錯の出来を誇るなと。
訳が分からなかった。失敗したのならば叱られる理由となるだろう。
けれども苦痛を与えることもなく、務めを果たしたのだ。
褒められるべき成果だろう。
不満そうな俺に師匠は口調を和らげて、介錯とはなんだ? と問う。
今更ながらの質問に俺は師匠が常々言っていた、苦しみを和らげる行為ですと答えた。
だからこそ、上首尾に終わった介錯に苦言を言われるのは納得がいかなかった。
師匠は険しい顔となり、違う。介錯とは人を殺すことだと断言した。
苛烈な回答に俺は口を噤んでしまう。
そして、苦しみを和らげるのはあくまで務めであり、行為そのものを表していないと続けた。
良いか源八郎。介錯に出来不出来などあってはならぬ。常に最良の結果を残さなければならないという重圧を感じろ。そして結果を誇るな。当然のものとして受け入れろ。
このとき、俺は介錯という務めを軽く見ていたと思い知らされた。
人を殺すための修練を積んできた。
加えていかに苦痛なく首を斬れるようにと鍛錬を積んできた。
けれども、まだ心が足りてなかった。
さらに師匠は、先ほども言ったが介錯とは殺しだ。殺しに対して自分の腕前に喜びを感じてはならぬと言う。人間、殺しに快楽を持てば終わりである。首斬りに愉悦を覚えれば人間以下になり果ててしまう。そのことを肝に銘じておけと忠告してきた。
介錯という務めに達成感や満足感を覚える前に、師匠は諭してくれたのだと気づいた。
苦痛を与えないようにするのは当たり前。
出来不出来などなく、一定の成果を上げる。
務めに喜びや楽しさなど言語道断だ。
傲慢かもしれないが、俺は山田朝右衛門の門人の中でも優秀だった。
介錯という務めに適しているという自信があった。
それが思い上がりだと気づかされる。
介錯に適した人間などいない。
言い換えるなら殺しが得意な人間などいない。
人を斬るには修練が必要だし、実際に斬るためには鍛錬が必要だ。
だがいくら努力しても心が成長することはなかった。
山田朝右衛門としての心構えが足りなかった。
介錯人の名跡を継ぐという責任感を持てなかった。
だから俺は亀若丸を助けようとしているのだろう。
たった一人で喜連川藩に立ち向かおうとしているのだろう。
もし山田朝右衛門の名を継ごうとするのなら、亀若丸を助けようなど思わない。
俺が死ねば継ぐ者がいなくなるのだから。
だけど俺は助けに行く。
介錯人としてではなく、一人の人間として、立ち向かうのだ。
そして助けることができたのなら、素直に嬉しいと思う。
その点についても、介錯人失格である。
なにせ成果に喜びを覚えてしまうのだから――
◆◇◆◇
下野国、喜連川藩。
その城下町の中でも一等大きい、家老である花房主水の屋敷の前には多くの藩士がいた。
かなり警戒している様子で周囲を守っている。
その事実に俺は安堵する。
また亀若丸が殺されていないこと、そしてその屋敷に亀若丸がいることが分かったからだ。もし殺されてしまえば警戒する意味はない。
正面の門に藩士は五人。
裏門も同じ人数だろう。
だったら俺は堂々と正面から向かおう。
俺は歩みを進めた。
「……そこの者、止まれ!」
五人の藩士が一斉に刀を抜く。
俺はまだ、刀を抜かない。
「貴様、喜連川藩の者ではないな! 何者だ!」
喚く藩士に対し「何者、か……」と俺は足を止めた。
ふいに見上げてみた。
透き通るほどの青空に、心が軽くなる。
「俺は三輪源八郎吉昌。破門された介錯人だよ」
「三輪、源八郎……貴様が、あの首斬り源八郎か!」
切っ先が俺に向けられる。
俺は緩慢な動きで刀を抜いた。
「たった一人で何しに来た! 死ぬ気か!」
「俺がここに来た理由は――」
上段に構えたのは五人を威圧するためだった。
気迫で負けてしまえばどうしようもない。
現に藩士たちは一歩下がった。
「――亀若丸を助けるためだ、くそったれ」
ああ。俺はここで死ぬのだなと、身体を巡る血が冷えてきたので分かった。
だがそれでいい。
俺一人じゃどうにもならないけど、どうにかなるまで戦おう――
「なに恰好つけているんですか――源八郎さん!」
今まさに戦おうとしたときだった。
後ろから聞き覚えのある声がした。
藩士から後ろに離れてその声の主を見る――
「どうして、お前がここに……?」
「後味、悪いじゃないですか。子供を見捨てるどころか、殺す手伝いするなんて。一生後悔するところでした」
そう冷笑するのは――川路三左衛門だった。
しかも一人じゃない、幕府の役人を十数名引き連れている。
「幕府の上層部を説得するのは骨が折れましたが。いやあ、間に合って良かった」
いつもの屈託のない笑みを見せる三左衛門に俺は言葉が無かった。
「それにしても、死ぬ気だったんですか? いけませんねえ、嶋崎殿と約束したんでしょう? また会おうって」
「……周助から聞いたのか?」
「ええまあ。江戸でいろいろありました。ふでという芸者さんにも小言言われちゃいましたし」
周助とふでも協力してくれたのか。
胸が熱くなる思いをしつつ「出どころを心得ているよな、お前は」と俺は顔を背けた。
「これでチャラになるわけねえよな」
「そりゃあそうでしょう。私だってそう思いません」
「なら払ってもらうぜ――お代は変わらぬ友情ってのはどうだ?」
「あははは! 相変わらず欲がないことで!」
藩士の一人が「き、貴様ら!」と大声で叫ぶ。
他の面々も理解が及ばないという顔をしている。
「いったい、貴様らは何者なんだ!」
「はん。俺はさっき答えたからな。三左衛門、言ってやれ」
「はいはい。私は幕府の勘定吟味役を仰せつかっている――そうじゃありませんね」
三左衛門は慣れない動きで刀を抜いて、藩士たちに笑みを見せた。
優男なりに堂が入っている。
「三輪源八郎さんの友人です。ゆえに助太刀します――行きますよ、皆さん!」
幕府の役人たちは一斉に「応!」と答えて刀を抜く。
藩士たちは真っ青になって震え出す。
「源八郎さん。ここは私が仕切ります。早く屋敷の中へ!」
「ああ、任せたぜ」
もはや抵抗する気のない藩士たちの横を通り、俺は屋敷の中へ踏み込んだ。
門を入り、戸を開けると二人の藩士がいた。
ほんのわずか驚いた顔になったが、すぐに「表の奴らは何をしているんだ!」と刀を抜く。
「このくせ者――」
「――遅せえよ」
一人が構える前に脇の下を斬り上げる。
びしゅ、という血飛沫にもう一人が怯む――顔の横に刀を添えた。
「斬られたくねえよな?」
「ぐ! こ、この……」
「亀若丸はどこだ? さっさと言えよ」
斬られて血を流してうずくまる藩士を見て恐れが勝ったのか「奥の間だ!」と喚く。
「そうか。じゃあ寝てろ」
刀の峰でこめかみを叩くと、そのまま崩れ落ちてしまう。
他に見張りはいなさそうだが、今の物音で気づかれたかもしれない。
早足で奥の間に向かう。
ふすまや障子を次々と開く。
亀若丸、待っていろよ。
人の話し声のするふすま――俺は勢いよく開けた。
「おやおや。ここまで辿り着くとは。素晴らしいな」
ふすまを開けた先には。
白装束に身を包んだ亀若丸がいた。
短刀を前に置かれて、後ろには見覚えのある武士。
刀を構えている。
その横には家老の花房主水がいた。
他には誰もいない。
「これは、お前、まさか……!」
「介錯人なら分かるだろう」
花房はいやらしい笑顔で言う。
「高貴な血を刻むためにね。亀若丸は切腹するんだよ」
子供相手にこの野郎……!
そのとき、俺は亀若丸を見た。
涙を流している亀若丸は俺を見た。
「源八郎、来てくれたんだ……!」
こんな状況だってのに、安心したようだ。
俺は口元を歪ませた。
笑おうとして笑えなかった。
「当たり前じゃねえか」
俺は改めて刀を握り直す――
「助けるって、約束したからな」




