「おい。この期に及んで喋らないのは無しだぜ」
「ここが……桜田村か」
「うん。おいらの故郷だよ……!」
周助たちと別れたその日のうちに、俺と亀若丸は目的地である桜田村に着いた。昼過ぎのことだった。多摩よりも小さく賑わいのない農村だったが、武士の俺でも不思議と親しみを感じる。村の中では蝉と人の声が入り混じっていた。
「意外と人の往来があるな」
「近くに大きな神社があって、参拝する人が多いんだよ」
「いわゆる門前町というやつか」
観光名所があれば銭を落とす者が大勢いる。その恩恵を受けているから豊かに暮らせるのだろう。
暮らしに余裕があれば心もおおらかになる。だから行き交う者たちの表情に険しさがない。
「それで桜田村の村長の家はどこだ?」
「奥の大きな家。すぐそこだよ」
亀若丸にしてみれば勝手知ったる村なので、俺の袖を取って案内し始めた。引っ張る強さから焦る気持ちが十二分に伝わってきた。それを咎めることなく、歩調を合わせてついて行く。
「なあ亀若丸。いいのか?」
「えっ? 何が?」
「このまま村長の家に行けば、お前の秘密が分かる。その前にやり残したことはないか?」
俺の言葉に亀若丸は立ち止まる。
そしてまんまるな目で「やり残したことってなに?」と訊ねる。
「そうだな。たとえば友達と会ってくるとか――」
「……会いたいけど、会えないよ」
「何故だ?」
「だって、巻き込むかもしれないから」
一連の騒動に巻き込む可能性は低いと思うが、亀若丸は何よりも恐れているようだった。
「考えすぎだと思うが……」
「だって、銀次郎は……」
亀若丸は俯いて泣きそうになる。
銀次郎は亀若丸が助けを求めたから死んだ。
そういう見方もあるのは否定しきれない。
それでも――
「それもまた考えすぎだ」
俺は亀若丸と見つめ合う。
なるべく優しい表情を心がけた。
「友達と会うのにごちゃごちゃ考えるな。お前は他人を慮るところがあるが……」
「やっぱり、全部終わってから会うことにするよ!」
無理をしているのだろう。やけに明るい声で亀若丸は言う。
まるで道中で見た、田んぼにぽつんと置かれた一人っきりのかかしのような寂しさを含んでいた。
「やり残したことをするより、前を向かなきゃ!」
「おいおい。俺はそういう意味で言ったわけじゃないぞ」
「ううん。良いんだ。源八郎の気持ち、分かっているから」
亀若丸は乾いた笑顔を見ると切なくなる。
たくさんの死人を越えてこの場にいることを思えば尚更だった。
「大丈夫だよ。おいら、強くなるから」
「…………」
「強がりなんかじゃないよ。ふでさんにいろいろと教えてもらったし」
「あの女……変なこと教えてもらってないよな?」
「源八郎はふでさんをなんだと思っているの?」
「それに関しては言葉を噤む」
肩をすくめて、わざとおどけると「なにそれ、変なの!」と亀若丸は自然な微笑みを見せた。
子供らしい顔つきになってくれたのは僥倖だった。明るい気持ちを少しでも持ってほしい。おそらく、これから聞く村長の話は――楽しいものではない。
「ともかく、友達には会わないんだな?」
「うん。きっと会えると思うし」
「どうしてそう思う?」
「だって、源八郎が全部解決してくれるから」
過度な期待はあまりしてほしくないが、俺を心から信用してくれるのは……素直に嬉しかった。
今まで首斬りしか賞賛されたことがない、初老の男には過分な評価だと受け取ろう。
「ああ。絶対に解決してやる」
亀若丸は驚いて――それから本来の天真爛漫な笑顔になった。
「ありがとう、源八郎!」
「別に礼など……それでは、村長の家に向かおう」
「あはは。照れてる」
「ほざくな。さっさと行くぞ」
◆◇◆◇
確かに村長の家は他の家屋と比べて大きい。
しかしながらそこそこ裕福な百姓の家という印象だ。
だから小さな農村の長としてはちょうどいいと言える。
「村長! いるんでしょ!? おいらだよ、亀若丸だよ!」
心の準備が早々できていたのか、亀若丸が大声で呼んだ。自身の秘密を知る者なのに臆していない。大した度胸だ。
すると奥からガタガタと音を立てて――老人が出てきた。かなり慌てた様子だった。
「おお! 亀若丸! 無事だったのか!」
六十過ぎの老人だが腰は曲がっていない。
総白髪に白い口ひげを蓄えていた。他に特徴といえばたれ目なことか。
どういうわけか、百姓というより老練の武士の印象を受ける。
この者が村長。
亀若丸の秘密を知る者――
「うん! 源八郎が守ってくれた!」
「源八郎……? そちらのお方が?」
怪訝そうな顔をしているので「三輪源八郎だ」と名乗った。
「それはそれは! お礼を申し上げます……銀次郎はどうした? あやつと共に逃げたと聞くが?」
銀次郎の名が出ると亀若丸は悲しげな顔になる。
その顔と銀次郎がいないことで悟ったのか「まさかあやつ……」と村長は顔を歪ませた。
「うん……銀次郎は死んだ……」
「……つらいな」
「村長、おいらが言いたいのは別にあるんだ」
ふいに亀若丸は俺の手を握った。
震えている。かなり緊張しているのだろう。
俺は小さく握り返した。
「村長は知っているんでしょ。おいらの秘密を」
「……誰が言ったんだ?」
その反応は何よりも雄弁だった。
だから亀若丸の代わりに俺が説明する。
「川路三左衛門という俺の友人から聞いた。そいつは幕府の役人で亀若丸のことを探ってもらったんだ」
「……では、その方から聞けばよろしいのでは?」
「三左衛門の野郎は口を割らなかった。代わりに村長、お前に訊けと言いやがったんだ」
ずいっと前に出ると、村長は半歩下がって――開けっ放しの引き戸に当たる。
「ここまで来るのに苦労したんだ。話してもらうぞ」
「…………」
「だんまりか。知らないと嘘をつくよりは好感が持てる。しかし、亀若丸の目を真っ直ぐ見られるか?」
村長の顔が少しずつ険しいものへと変わっていく。
亀若丸は「教えてよ、村長」と頼む。
もう怯えてなどいなかった。
ただ真実を知りたいという純粋な目だった。
「……ここでは話せませぬ。中へどうぞ」
無垢な目に勝てなかったらしい。
加えてこれ以上、誤魔化しきれないとも考えたのだろう。
亀若丸の顔が強張る――望んだ展開とはいえ、明かされるであろう秘密に身構えていた。俺は手を握ったまま「行こう」と促した。
中は周助の家と似た感じの造りだった。
居間で村長は俺たちに白湯を出す。
「他に誰もいないのか?」
「皆、出払っております。田畑の面倒を見なくてはなりませんので」
村長は正座をして「亀若丸の秘密ですね」とさっそく切り出した。
亀若丸は硬い表情のまま「やっぱり知っているんだね」と応じる。
「そちらの方……三輪殿は亀若丸をどれだけ知っていますか?」
「実に曖昧な聞き方だが……男ではないとは知っている」
「そうですか……」
薄い反応に「村長も知っていたの?」と亀若丸は目を丸くした。
「無論だ。さらに言えば、お前を男として育てるように母親――ききょうに諭したのは、このわしだからだ」
新たな事実に亀若丸は何も話せなくなった。
衝撃が強すぎたようで口を真一文字に結んでしまった。
「何故、男として育てたんだ? 聞いたところによると、亀若丸には高貴な血があるらしい。ならば女のまま育てれば御家騒動に巻き込む恐れはないだろう」
武家の跡継ぎは男子が基本だ。戦国乱世ではやむを得ずに女子が継ぐこともあった。しかし泰平の世ではまかり通ることはほぼない。
「おっしゃるとおり、女のまま育てれば良かったでしょう。けれど当時はそれが最善だったのです。なにせ、生まれた子が女だと知られてしまったのですから」
「生まれたこと自体、隠したかったのか?」
「ひっそりと百姓として育てて……誰とも結ばれることなく一生を終えてほしかった」
「なんだと? そうか、そのためでもあったのか!」
怒りを覚えた俺は立ち上がりかけたが、亀若丸が「ど、どういうことなの?」と震えた声で問う。
「いいか亀若丸。お前を男として育てたのは、誰とも婚姻させないためでもあったんだ。そりゃあ当たり前だ。嫁が来ても子を成せないのだから!」
なんて残酷なことを考えやがる!
怒りに震える俺に対して「身勝手な行ないだと分かっておりました」と村長はあくまで冷静に答える。
「それほど亀若丸の高貴な血が――」
「うるせえ! お前たちの事情など知るか! 亀若丸を守るために偽ったのならまだ分かるが、高貴な血なんぞのために亀若丸の一生を台無しにするなんて――俺は絶対に許さねえからな!」
村長はごくりと唾を飲み込んだ。
おそらく、罪悪感があったようだが――関係あるか!
「源八郎、待って。おいらが聞きたいこと、聞けてない」
隣の亀若丸が真っ青な顔で止めてきた。
勇気を振り絞ってこの場に留まっている。
俺は仕方なしに怒りを抑えた。
「村長。おいらが持っている、高貴な血ってなんなの?」
「…………」
「おい。この期に及んで喋らないのは無しだぜ」
村長は深い溜息をついて「とうとう話す時が来たか……」と呟く。
「三輪殿。亀若丸の高貴な血とは何か、予想がついていますか?」
「……徳川家の係累だと考えていた」
俺の言葉に亀若丸は「公方様の!?」と驚愕した。
村長は何も言わない。
だから続けて言ってやった。
「だが三左衛門にそれよりも古くて高貴だと言われた。だから違うのだろうな」
「ええ、そのとおりですとも。生まれながらにして亀若丸は大きな歴史を背負っているのです」
大きな歴史だと?
妙な言い回しだ……俺は村長が言うのを待った。
「では話しましょう。亀若丸、お前は――」
俺と亀若丸は身構えた。
いよいよ真実が明かされる――
「――喜連川藩の御嫡男であらせられた、喜連川右兵衛督暉氏様の遺児なのだ」




