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「俺は死に際の頼みは断りません。それが山田朝右衛門の門人としての責務です」

 子供を助けるためとはいえ、人を殺めた――本来ならば重罪だ。

 しかし俺の立場上、見逃してもらえる可能性があった。

 免罪ではないが……それでもお咎めなしになるかもしれない。


 幾分かの希望を胸に抱き、俺は奉行所に出頭した。

 そこで亀若丸とか言う子供と離された。銀次郎という男――亀若丸が言っていた――の頼みは一応聞いた。だからこれ以上、俺があの子供を守る義理はない。俺が心配するべきは己の進退だけだった。


「そうか。お前が朝右衛門殿の門人……」


 まるで畏れ多いとでもいうような目で見つめてくるのは先ほどの同心だった。

 縄に縛られていない状態だが、数人で囲まれている。警戒はされているようだ。


「お奉行様はお前の処分を決めかねている。明日の昼には沙汰を出すが、それまで待機してもらおう」

「待機、か。罪人と一緒のところだろう」


 牢部屋と言わなかったのは同心を慮ったからではない。

 投獄という言葉を使わなかったことへの皮肉だった。


「榊原主計頭様は名奉行と名高いお方。きっと公明正大な沙汰をくださるはずだ」

「そうだといいな……ま、俺も二人殺めておいて放免されるとは思わんよ」


 その後、同心たちに連れられて牢部屋に来た。

 罪人でぎゅうぎゅう詰めの暑苦しい場所だ。ただでさえ、夏場というのに……


「よう。お前、何やらかしたんだ?」


 牢部屋の入り口近くに腰を下ろすとさっそく話しかけられた。

 俺は素直に「二人殺したんだ」と答えた。

 すると話し声でうるさかった牢部屋がしーんと静まり返った。


「……ははは、冗談が上手いな。人を殺した奴には見えねえぜ」

「ほう。どうしてそう見えないんだ? 俺が善人に見えるのか?」


 気になったので訊ねると、その罪人は何も言わなくなった。

 少しづつ、俺から距離を取る者もいた。


「……血の臭いがするぜ。あんた、本当に殺したのか?」


 別の罪人が言う。

 嗅覚が優れているのか、それとも知り尽くしているのか分からない。


「まあな……」

「おいおい! こんな野郎を入れんじゃねえよ!」

「出してくれ! 殺されちまう!」


 罪人が騒ぎ出すと外にいた牢番が「静かにしろ!」と格子を杖で叩く。

 はあ。これでは満足に寝られないなと思いつつ、俺は壁に身体を預けた。

 蕎麦湯、飲んでおけばよかったと小さな後悔をした。



◆◇◆◇



 暗くて静かなところは嫌いだ。

 過去を振り返ることぐらいしかやることがないからだ。

 そして俺の過去はたいていろくなものではない。


 俺の師匠は山田朝右衛門吉睦という。

 公儀から賜った御様御用を生業としている浪人である。

 浪人と言ってもその日暮らしの貧乏ではない。様々な収入があり、俺みたいな門人を養う余裕すらある。


 御様御用とは簡単に言えば介錯を行なう務めのことだ。

 罪を犯し切腹をする者は泰平の世においても減ることはない。

 だからこそ、公的に執行する者が必要になる。


 師匠の山田朝右衛門は世襲名である。元々は浅右衛門だったが、師匠の代に朝右衛門へと変えた。その理由は知らない。訊いてもはぐらかされてしまう。


 俺が師匠の門人になったのは親父の意向だった。

 江戸城内紅葉山御霊屋掃除役、遠藤次郎兵衛の息子として生まれたが、すぐに三輪家に養子に出された。その三輪家は元々、師匠が養子として迎え入れられたが、山田朝右衛門を継ぐために俺が後釜として指名されたのだ。

 その縁で俺は山田朝右衛門の門人となった。


『俺みたいなうだつの上がらない親よりも、養子に入ったほうがお前のためだ』


 言い訳染みていると俺は思った。

 親父は常々、俺の幸福を願っていた。

 俺の栄達を望んでいたのだ。


 そんなもの、俺は望んでいないのに。

 出世や名を残すことなどどうでもいいのに。

 富や栄誉を得たいとは思っていないのに。


 武士に生まれたものの、戦のない泰平の世では己の職務を全うし平穏に生きるしかない。

 それこそが幸せだと信じていた――


「おい、出ろ。これからお白洲で取り調べが行なわれる」


 同心の声で俺はうすぼんやりとした思考から離れる。

 もう朝になっていたのか……


 素直に牢部屋から出る――周りの罪人たちが安堵した――案内されてお白洲へと向かう。

 白い砂利の上にゴザが敷かれている。俺はゆっくりと座った。


「其の方――三輪源八郎は山田朝右衛門殿の門人で相違ないか?」


 お白洲の上座から訊ねるのは北町奉行の榊原主計頭だ。いかにも厳格なお奉行様の顔をしているなと思いながら「左様にございます」と丁寧に答えた。


「そうか。では何故二人を斬った?」

「子供が拐かされそうになったからです」

「その子供はおぬしの子ではないと調べはついている。ならば知り合いの子か?」

「いいえ。知り合いではありません。ただ子供を助けてくれと頼まれただけなのです」


 榊原主計頭は顎をさすり「おぬしに頼んだ男は死んだ」と言う。

 やはり死んでしまったか……


「死に際の頼みだから引き受けたのか?」

「ええ。あの傷では死ぬだろうと思いました。だから引き受けました」

「何の見返りもなく、おぬしは助けに行ったのか。そして二人を斬った……」

「お奉行様は俺の生業を御存知でしょう」


 目の前の榊原主計頭だけではなく、この場にいる与力や同心に聞こえるように言う。


「俺は死に際の頼みは断りません。それが山田朝右衛門の門人としての責務です」


 師匠の代わりに首を落としたことがある。

 青ざめた顔で切腹に臨む者の痛みを和らげることが俺の務めだ。そして安らかに逝かせるために死に際の頼みを聞くのも俺の務めだった。


 あの男――銀次郎が何者かは分からない。もしかすると悪人だったのかもしれない。しかしそれでも俺は頼みを引き受けただろう。常に罪人の頼みを聞いてきたのだから。


 その後、少しのやりとりを経て榊原主計頭は裁定を下した。


「本来ならば遠島が適しているのだが、今回に限り不問に処す。理由は斬られた者が子供を拐かしていたからだ。そして山田朝右衛門殿の門人であることも考慮に入れる」


 山田朝右衛門がそこまでの権力を持っているわけがない。

 御様御用の務めを得ているとはいえ、浪人の身の上だ。

 師匠が手を回すとも考えられない――三左衛門だな。


「こたびの沙汰はこれにて。一同、解散!」


 榊原主計頭の一声で取り調べは終わった。

 俺は再び同心に案内されて奉行所の外に出る――三左衛門がいた。


「酷い目に遭いましたね、源八郎さん。でも無事で良かったです」

「お前が裏から手を回したんだな」

「おや。よくお気づきで」


 悪びれもせずに舌を出す三左衛門。

 俺は「感謝する」と頭を下げた。


「危うく遠島になるところだった」

「いえ……しかし、これからが大変ですよ」


 三左衛門は深刻な顔で不明瞭なことを言う。

 こいつがそんな顔をするときはろくでもないことが起こると分かっているが「どういう意味だ?」と訊ねてみる。


「こちらをお読みください。先ほど届いたものです」

「手紙か? ……師匠からか」


 包みを開くと師匠の上手いのか下手なのか判断の付かない、味のある文字が目に入った。


『源八郎よ。わしはお前が市井の者を斬るために剣を教えてきたわけではない。相手が罪人でもいたずらに苦しみを与えぬようにと教えてきたはずだ。なのにだ。お前はわしの教えに背き、私闘を行ない、二人も殺めてしまった。それは許しがたいことだ』


 文面から師匠の怒りが伝わってくる。


『こたびの一件、筆舌し難いほどの過ちである。よってわしは三輪源八郎吉昌を破門とする』


 破門か……師匠の考えそうなことだ。

 しかし、続きが長かったので読み進めてみる。


『しかし不出来な弟子を破門にすれば世間に迷惑がかかるだろう。半人前のお前が世の中を渡っていけるとも思えん。そこでわしは提案する。亀若丸を守れ』


 どうしてあの子供が出てくるんだと思いつつ先を読む。


『聞けばある男の最期の頼みを承知したらしいではないか。いみじくも武士ならば、そして山田朝右衛門の門人だった者として、末期の頼みを全うせねばならぬ。もし亀若丸を守り切れば破門を取り消そう』


 何ともよく分からない話だ。

 破門を取り下げてもらうために子供を守る……あまり気は進まない。


「というわけで源八郎さん。行きましょうか」

「どこへだ?」

「決まっているじゃあないですか。亀若丸のところですよ」

「どうしてお前が子供のことを承知しているんだ?」

「まあまあ。いいじゃないですか」


 この野郎、師匠と裏で通じてやがるな……

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