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首斬り源八郎と奇縁の亀若丸 ~刻まれる高貴な血~  作者: 橋本洋一


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「――理由があっても、生きたいと願う人間が殺されていいなんてねえんだ」

 俺は江戸へつながる甲州街道をひた走っていた。

 息を切らしながら、それでも足は止めない。

 三左衛門が言っていたことが正しければ――亀若丸は着き次第殺されてしまう。


 裏を返せばまだ生きている。

 けれども、風前の灯火と言わざるを得ない。

 俺が助けなければ亀若丸は死ぬ!


 朝日が照らす早朝の中、走って半刻が過ぎた。

 整備された街道だ。そろそろ見えてもおかしくない――


「嫌だ! 放してよ!」


 子供が泣き喚く声――亀若丸だ!

 声のするほうを見ると、武士が五人いた。

 その中心で亀若丸が暴れている。


「いいからついてこい!」


 腰を持たれた亀若丸は頬を叩かれたが、暴れることをやめない。

 それどころかますますじたばたと抵抗している。


「丁重に運ぶ必要はないが、こうも暴れられるとな……」

「江戸まで一苦労だ。せめて駕籠を使えたらな」


 そんな会話が聞こえる中、一人の武士が「お前を守ってくれる者はいない」と亀若丸に告げた。


「みんなお前を見捨てたんだ」

「嘘だ! そんなのは――」

「現にお前を守っていた者――三輪源八郎はいないではないか」


 その言葉に亀若丸は動きを止めた。

 武士は得意そうに「お前は見捨てられたんだ」とうそぶく。


「花房様と幕府が取引をしてお前は引き渡されたんだ。己の運命を受け入れろ」

「…………」

「それにお前の死を望む者は大勢いる。死んだほうが楽だぞ」


 子供になんてこと言いやがる……!

 激高した俺は足を速める――


「そう、かもね。おいらは死んだほうが、いいのかもしれない……」


 ふいに聞こえた亀若丸の声。

 思わず足を止めた。


「そのとおりだ。よく分かったな――」

「だけど、おいらは、それでも生きたい」


 亀若丸の表情は見えない。

 だけどその声は強かった。


「源八郎が怒ってくれた。おいらが自棄になって守ってくれなくていいって言ったときに。真剣になって怒ってくれたんだ。それなのに、おいらがあっさりと死ぬなんて――できないよ!」


 亀若丸は大人五人に囲まれているのに、臆さずに啖呵を切った。

 度胸が要ることだった。それでも亀若丸は言えた。


「おいらは生きる! おいらがどうして死なないといけないのか、全然分からないけど、それでも生きたい! おっかあや銀次郎、そして源八郎のために、おいらは生きなきゃいけないんだ! お前たちなんかに殺されてたまるか!」

「な、なんだこいつ、おい、手伝え!」


 先ほどよりも大暴れする亀若丸に三人が必死になって押さえ込む。

 非力な子供が大の大人に敵うわけがない。

 だけど亀若丸は諦めなかった。

 その姿に俺は――力と勇気が湧く。


「よく言ったぞ――亀若丸!」


 俺は駆けだした。

 五人の武士と亀若丸が気づく――二人が刀を抜いた。


「この野郎……! 幕府の役人はどうしたんだ!」


 俺は一度立ち止まり、ゆっくりと刀を抜く。

 二人の武士が左右に分かれた。


「せっかく助かった命なのに、どうして立ち向かうんだ?」

「そりゃあ、助けられる命を見捨てるほど寝覚めの悪いことはねえ」


 中段に構えた俺に問いかける武士。

 もう俺に迷いはなかった。

 幕府だろうが謎の藩だろうが関係ない。

 亀若丸を守る。ただそれだけでいい。


「――いくぞぉ!」


 向かって右側の武士に斬りかかると慌てて後ろに下がり――足元を取られて尻餅を突く。

 ここは街道とはいえ、足場が悪い。注意を払わなければそうなるだろう。

 それは俺も同様だ。


「この――」


 もう一人が俺に迫る。

 緩慢に見えた動き――俺の神経が過敏になっている証だ。

 素早く、そして効率よく――わき腹を斬った。

 血が吹き出て顔にかかるがどうでもいい。

 倒れたそいつを無視して亀若丸を抱えている三人に向かう。


「い、イカレてやがる……! あいてっ!?」


 亀若丸が掴んでいた手を思いっきり嚙んで手から逃れた。

 こちらに駆け寄ってくる亀若丸はそのままの勢いで俺に抱き着いた。


「源八郎! 良かった、本当に、良かった!」

「お前もよく頑張ったな……偉いぞ、亀若丸」


 左手で頭を撫でてから「離れてろ」と言う。


「うん! こんな奴ら、やっつけて!」

「任せろ」


 亀若丸が離れたのを見て、残る四人に俺は刃先を向けた。


「かかってこい……叩き斬ってやる」

「ほざきよって……返り討ちにしてやるわ!」


 四人が一斉に俺に寄ってきた。

 そのうちの一人が上段に構えて俺に真っすぐ斬りかかる。

 刀の峰で受けて――膂力をもって跳ね上げる。

 体勢を崩したその腹部に二度素早く斬りつける。


 明らかに致命傷を負ったそいつが崩れ落ちる。

 そこに目を切った三人のうちの一人の顔を俺は斬りつけた。

 顔に一文字の傷を負った男は悲鳴を上げて倒れた。


「このくそ!」


 自暴自棄になったのか、男がめちゃくちゃに刀を振り回す。

 そんな適当な攻撃など対処できる。

 振りすぎてできた隙に合わせて――喉元を刺す。


「ば、化け物……!」


 残りの一人――先ほど転んだ男だ――は恐怖を感じて尻餅を突く。

 刀を俺にぶんぶん振り回すが、脅威ではない。

 その刀を払い飛ばすとその男は這って逃げようとする。腰が抜けたのだろう。

 背中を思いっきり踏みつけて、露わになった首に狙いを定める。


「――介錯つかまつる」


 すぱっと斬った首はごろんごろんと街道を転がる。

 俺は懐紙で刀を拭いた。


「げ、源八郎……全員、殺したの?」


 震える声で俺に寄る亀若丸に「一人だけ生かしている」と顔面を斬った男を指差す。

 酷い出血だが助かるだろう。


「おい。どうして亀若丸を殺そうとするんだ」


 顔を押さえて震えている男に俺は詰め寄った。

 手の隙間から「お前に、言う、必要はない……!」と悪意を込めた目が見えた。


「口が裂けても言うものか……!」

「顔が裂けてるやつが言うと説得力はあるな」


 暗い気持ちになってこいつを痛めつけようとする――


「源八郎殿! ああ、良かった、間に合った!」


 俺が来た道から慌てて走ってきた男たち――嶋崎周助と弟子の宮川久次郎だ――が人殺しの現場を見て足を止めた。


「……派手にやりましたね。これでは幕府に――」

「何らかの処分が出るだろうな。でもいいんだ」

「そうですか……源八郎殿。三左衛門殿からの伝言です」


 周助が神妙な顔で言う。

 元々、二人とその他の弟子には三左衛門たちを押さえてほしいと頼んでいた。

 一人で向かったほうが早いのもあるが、これ以上巻き込むのは良くないと思ったからだ。


「三左衛門から? 何の話だ? 今更止まらないぞ、俺は」

「そうじゃありません。三左衛門殿は立場を超えて、源八郎殿に教えたいことがあるそうです」


 つまり幕府の要職を担う三左衛門が、自分の地位を無くしてでも伝えたいことのようだ。

 俺は黙って促した。

 傍にいる亀若丸も固唾を飲んで待っていた。


「桜田村に行ってください。そこの村長が全てを知っているそうです」

「村長が? 一体どういうことだ?」

「俺にも分かりません。ただそう伝えてくれと」


 亀若丸は「村長が、知っているの?」と呆然としていた。

 そりゃあそうだろう。身近にいた者が全てを知っているなんて。


「行くんですか、源八郎殿」


 周助は険しい顔で俺に問う。

 それは覚悟を問いているのと同義だった。


「決まっているさ――俺は行く。亀若丸と共にな」


 俺は亀若丸の頭を撫でた。

 くすぐったそうにしていたが、亀若丸は黙って受け入れた。


「亀若丸の因縁が何なのか分からない。そりゃあ人が殺される理由なんて万を超えるかもしれねえ。だけどな――」


 朝日に照らされながら、俺は亀若丸と周助、そして久次郎に言い聞かせた。


「――理由があっても、生きたいと願う人間が殺されていいなんてねえんだ」

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