「断る。俺は亀若丸を殺さねえ」
ホウホウと野鳥が鳴く八坂神社の広場に案の定、亀若丸を拐した連中が揃っていた。
その数は十二人。当たり前だが各々、刀を携えている。
その中心に亀若丸がいた。ぐったりとしている――怪我を負っているかもしれない。
この場には久次郎はいない。奴は周助たちを呼びに行った。
もし奴らが動くのならば俺一人でも立ち向かわなければならない。
傷は痛むが、足止めぐらいはできるだろう。
「なあ。嶋田の奴、ちゃんとあの方をお連れするのか?」
一人が焦れたように話し出す。
するとその隣にいた者が「その手はずだ」と応じた。
「なんだって、あの方は嶋田なんかを重用しているんだ?」
「俺らよりも腕が立つからだろう。腹立たしいことだが」
「それは認めるが、藩の人間でもない浪人を信用するのは些か問題がある」
「ならあの方にそう言え」
「言えたら苦労はいらん」
嶋田四之助が『あの方』とやらを連れてくる――理由は分からないがそれまで亀若丸は殺されないようだ。
しかし裏を返せば、そいつがこの場に現れたら亀若丸は殺されるだろう。
ならば今、俺が動くしかない。
「……恥ずかしくないのか、お前ら」
「な、なんじゃ! ……貴様、生きていたのか!」
八坂神社の大木の陰から出てきた俺に十二人が一斉に反応した。
刀を抜いて臨戦態勢になる。
俺は敢えて余裕を見せてみる。
「子供を拐して殺す。それが武士のやることか?」
「うるせえ! 貴様には関係のないことだろうが!」
「三下の台詞そのままだな……」
俺も刀を抜いて十二人に刃を向けた。
中段に構えて誰が来ても一刀の元に斬り捨てる――そんな気概で向かい合う。
「源八郎! 来ちゃ駄目だ! 殺されちゃうよ!」
亀若丸が武士の手から逃れようとじたばたもがく。
それを二人がかりで押さえつけられている――そのうちの一人が亀若丸の頬を叩いた。
「じっとしてろ!」
「うぐ……」
「――お前、今なにした?」
ぐつぐつと怒りが湧いて、目の奥が真っ赤になるのを感じる。
何の策も無く、俺はゆっくりと奴らに近づいた。
「あの者、かなり腕が立つ。五人がかりで仕留めよ」
一人が指示をして、それに従うように五人が扇状に散らばって俺を囲んだ。
この五人を倒しても、後七人……
「どうした? 臆して動けないのか?」
じりじりと寄ってくる五人に対して、俺はその場から動かなかった。
八坂神社の奥に人影が見えたからだ。
「猶予をやろう。五つ数える前に亀若丸を解放しろ」
「はっ。どの口が言えるんだ? この状況が分からないほどうつけなのか?」
「一、二、三――」
相手の言葉を無視して数えだす。
そんな俺を嘲笑している奴らは油断している。
「四――五!」
「うりゃああああああああ!」
雄叫びを上げて亀若丸を押さえていた二人に襲い掛かる――周助と弟子たち。
その声に後ろを振り向く、五人の武士――俺は一番左端の男に斬りかかった。
「しまった――ぐはっ!?」
袈裟斬りで倒れ込む武士に他の四人は目を切った。
その横を素早く通り過ぎて――七人のほうへ走り込む。
「源八郎さん! 亀若丸を取り戻したぞ!」
周助の大声を聞いて、実際に亀若丸が久次郎に保護されるのを見て、俺は「よくやった!」と快哉を叫んだ。
「くそ! こうなれば全員、ここで斬る!」
自棄になったのか、全員が俺と周助、そして久次郎ら弟子たちに襲い掛かる。
ここが正念場だ――
「待て! 双方、刀を納めよ!」
全員が動きを止めるほどの迫力のある声――その方向を見ると、あの嶋田四之助がいた。
しかし奴の声ではない。
その隣にいる男だ。
歳は五十半ば。小柄な体格だが厳格な雰囲気を持っている。
黒い羽織を着ていて上流階級そのものだった。その貫禄から上役に就いているのだろうと推測できる。
顔は険しく、頬にほくろがあった。それ以外に特徴と言えるものはない。
何者だろうか……?
「あ、あなた様は!」
「刀を納めよ……そう言ったはずだが?」
慌てて武士たちは刀を納めた。
周助たちは不思議そうにしていたが、木刀を下ろした。
俺は警戒を解かずに「お前、何者だ?」と問う。
「こいつたちの頭か?」
「頭? この者たちを使い、亀若丸を殺そうとしたという意味ならば、わしがそうだ」
あっさりと白状したので気が殺がれてしまった。
俺は「何のために亀若丸を殺そうとする?」と問う。
「何が目的だ!?」
「そなたも刀を納めたのならば、話し合いをするのはやぶさかではない」
今刀を納めても、襲ってきたときは対応できるだろう。
俺はゆっくりと納刀した。
謎の人物は満足に頷いた。
「さて。目的を話す前に名乗っておこうか。わしの名は花房主水。とある藩の家老をしている」
藩の家老だと? かなりの上役ではないか!
藩政に関わる者が幕府の天領である多摩に来てまで、亀若丸を拐して殺すのか!?
「一つ、頼みたいことがある。聞いてくれぬか?」
「な、なんだ……?」
花房はなんでもないように、あっさりと言う。
「そなたとそこの百姓たちの命を助ける代わりに――亀若丸を殺してほしいのだ」
「……お前は、何を言っているんだ?」
言っていることがまるで分からなかった。
どうして俺が言うことを聞くと思っているんだ?
「うん? そなたはあの山田朝右衛門の跡を継ぐ者だろう? 違うのか?」
「そう、だが……」
「ならば亀若丸に痛みもなく苦しみもなく――殺せるだろう。この場にいる誰よりも適任だ」
花房は険しかった顔から一転して微笑んだ。
その笑顔は――醜悪そのものだった。
「わしは寛大な人間だ。これまでわしの部下を二人……いや、三人か。斬ったことは不問にしよう。そなたが快く、亀若丸を介錯してくれれば全て許そう。いかがかな?」
「それを、俺が受け入れると思うのか……?」
「そなたにとって都合がいい条件ではないか。この場で命を取られずに生きることができる。ついでに百姓たちも助かるしな」
どうやら本気で言っているようだ。
こいつ、頭どうかしているんじゃねえか?
「断る。俺は亀若丸を殺さねえ」
「何故だ? まるで意味が分からん。嶋田、どうしてだと思う?」
人に聞かないと分からないのか……?
「ご家老様の温情が分からない頑迷な輩ということでしょう」
前に会ったときと比べて、嶋田は神妙な表情で受け答えする。
どうやら遠慮しているようだが……俺にしてみれば関係のないことだ。
「お前が元凶なのか! 何故、亀若丸を狙う!」
「そなたが亀若丸を殺すのならば話しても良かったのだが。仕方ないな」
花房はすっと真顔に戻って――
「皆の者、殺してしまえ……さっさと済ませろ」
まるで支度が遅れている者を催促するような口調で言った。
殺気立つ空間に俺は再び――刀を抜いた。
「やってみろ! 逆にお前らの首、ぶった斬ってやる!」




