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「仲良くしてほしい」とは言われたものの、エドウィンと私の仲が急速に深まったかと聞かれるととそんなことはなく、その後も彼とは顔を合わせれば言葉を交わすくらいの交流がある程度だった。
社交的とは言い難く、それゆえこれと言って仲が良い友達がいない私からすれば、エドウィンは〝一番よく話す男友達〟ではあるけれど、彼にとって私はただの同級生の一人にすぎないだろう。
絶大な人気を誇るオスカーが近くにいるから目立ちづらいが、エドウィンもまた常に輪の中心にいるような人間なのだから。
恵まれた体格に端正な顔立ち、そして抜群の運動神経を有するオスカーの人気は、確かに凄まじい。
けれどもそれは、手の届かない高嶺の花的存在としてであり、恋愛的な好意というよりはむしろ崇拝の対象としての人気のように思われる。
彼が美しさと聡明さを兼ね備えたフィオナさんを人目も憚らず溺愛しているものだから、余計に。
それに比べて、エドウィンに好意を寄せている女の子達はなんというか……本気だ。
エドウィンも騎士として申し分ないくらいには体格に恵まれているし、整った容姿をしているのだから、当然と言えば当然だ。
比較するようで申し訳ないが、雄々しさが溢れ出ているオスカーよりも、柔和な雰囲気をまとうエドウィンの方が親しみやすさがあることも、その理由ではあるだろう。
「前髪切ったの? 前のもよかったけど、今回の髪型も似合ってるね」
「荷物半分持つよ。……いや、遠慮しないで。俺を〝女の子に荷物を持たせて平気な顔して手ぶらで歩く男〟にさせないでよ」
思春期真っ只中であるにかかわらず、エドウィンはそんなことを不快にならない距離感でさらりと言ってのける男なのだ。私だって何度か顔が熱くなった。
そんな彼だから「エドウィンが女の子に告白されたらしい」なんていう噂を聞くことは、今までにも何度かあった。
けれどもまさか、実際にその現場を目にすることになるなんて。
もちろん、これは偶然だ。次の授業に遅れそうだった私が、少しでも教室までの距離を短縮しようと通った裏庭が、たまたま告白の場として使われていただけなのだから。
「私と、お付き合いしていただけませんか……?」
小さな身体を縮こまらせながら懸命に言葉を紡ぐその女の子がどんな顔をしているのか、彼女の背中しか見えない私には知りようもないけれど、その場の張り詰めた空気に「これは本気のやつだ……!」と、思わず身体が固まった。
人目につかない場所で、人気者のエドウィンに対して本気の告白をしている場面なんて、この子もきっと見られたくないはず。
そう思った私は、慌てて木の影に隠れる。次の授業には間に合わなくなるだろうが、目の前の彼女の一世一代の告白をぶち壊すような真似はしたくない。
私の方向を向いているエドウィンには私の存在がバレてしまってはいると思うけれど、それは後でフォローしておこう。この後彼がどんな返事をしようとも、私はそれを言いふらすつもりなどまるでないのだから。
そんなことを考えながら、まるで当事者かのようにドキドキとした気持ちでその場にうずくまる私の耳に届いたのは、「ありがとう。でも、ごめんね」というエドウィンの返事だった。
彼は女の子からの好意に対する感謝を述べた後、「今は誰とも付き合う気がない」ということを丁寧かつ誠実に伝え、「今の俺は、友人の恋を見守るので忙しいからさ」と言った。
……きっと、フィオナさんとオスカーのことを言っているのね。
実際、普段のエドウィンはまるでお姫様を守る騎士のようにフィオナさんにぴったりとくっついているか、オスカーの果てしない鍛錬に付き合っているかだ。
それを考えると、確かに今の彼には恋人と過ごすような時間はないのだろう。
「……そうですか。聞いてくださってありがとうございます」
「ううん。こちらこそ、ありがとうね」
「あの……これからも、今まで通り話し掛けてもいいですか?」
「君さえよければ、もちろん」
〝上手くいかなかった告白の場〟であるにもかかわらず、私のすぐそばでそんな会話を続ける二人の間に漂う空気は重苦しさとは無縁のもので、女の子の方はむしろすっきりしたような表情さえ浮かべている。
けれどもなぜか、私はエドウィンの言葉を聞いてモヤモヤとした気持ちを抱いたのだった。
「ねえ、さっきの裏庭でのことなんだけど」
昼食の時間を待ってエドウィンのクラスを訪れると、予想通り彼は一人だった。
三年生に進級してから、各々が卒業後の進路を見据えた動きをしている中、騎士を目指すオスカーと文官を志すフィオナさんも例外ではなく、二人が共に過ごしている姿を見る機会は随分と減った。
そのせいで、おそらくこの学校の生徒の大半が、げっそりとした面持ちで「フィオナが足りない……」と呟くオスカーを複数回目にしていることだろう。
だからこそと言うべきか、オスカーはフィオナさんと二人きりで過ごす昼休みをとても大切にしているらしい。
フィオナさんを教室まで迎えに行くオスカーは、いつもこれでもかというくらいに顔が緩んでいるし、彼女を視界に捉えた際にはぱっと瞳を輝かせる。そしてその際、彼女の近くに男子生徒がいようものなら、あからさまな牽制をぶちかましてくる。
付き合ってもう二年が経つというのに、だ。
そんなオスカーを見ていると、「フィオナさんは鬱陶しく思わないのだろうか?」と考えてしまうこともあるのだけれど、彼女は彼女でそんなオスカーをいつも愛おしそうな表情で見つめているので、フィオナさんにとってはそうではないようだ。
さすが、学校の名物カップルとして扱われているだけのことはある。
そんな事情を知っているから、「この時間であればエドウィンも一人に違いない」と考えて彼のクラスに訪れた私は、その場にオスカーとフィオナさんがいないことに内心ほっとする。
彼らだって、せっかくの休み時間に私の顔など見たくはないだろう。
エドウィンは私の声に振り向くと、「ああ!」と言って目元を和らげた。
「やっぱり、気を利かせて隠れてくれたんだよね? ありがとう」
彼はそう言った後、揶揄うような口調で「授業には間に合った?」と付け加えてきたので、私が時間短縮のために裏庭を横切ろうとしたことはお見通しらしい。
「大丈夫よ。普段真面目にしてるから、怒られることもなかったわ」
「……ってことは、間に合わなかったんだね」
エドウィンは「はははっ」と声を出して笑うと、もう一度「ありがとうね」と言った。
「邪魔しないようにって考えてくれたんでしょ? ほんと、レベッカは優しいね」
「別に、優しくはないでしょうよ。あの場を通り抜けて行く人間の方が異常よ」
あの緊迫した空気の中、どうやってあの場を横切れと言うのか。「ちょっと失礼するわねー」とでも言えばよかったのか。
けれども今は、そんなことはどうでもいい。今の私が聞きたいのは、そんなことではないのだから。
「あの……ごめんなさい。少し話が聞こえちゃって」
気まずさを紛らわせるために視線を落とし、無意味に爪をいじりながらそう言うと、エドウィンは「仕方がないよ。君はそれを吹聴してあの子を傷つけたりするような人間じゃないから、気にしてないよ」と答えた。
「ううん、そうじゃなくって。あなたが言ってた『友人の恋を見守るので忙しい』って言葉のこと」
「ああ、それね。何かおかしかった? 実際その通りなんだけど」
「私もそう思う。でもね、もしそれを理由に女の子からの告白を断っているのであれば、オスカー達にきちんと伝えた方がいいんじゃない?」
私の言葉を聞いて、エドウィンが戸惑った様子で「え?」と発するものだから、焦った私は彼の返事を待つこともなく言葉を重ねる。
「多分なんだけどね、あの二人は自分達のせいであなたに恋人ができないと知ったら、とても悲しむと思うの。だって、あの二人は自分の幸せのために、誰かを犠牲にするのを良しとするような人達ではないでしょう?」
オスカーとも、そしてフィオナさんとも、私なんかよりもよっぽど親しく関わっているエドウィンのことだ。私に言われるまでもなく、そんなことはわかっているだろう。
けれども人というのは、意外と自分に関することについては見えていなかったりするのだ。
「もしもあなたが、あの二人を優先することで何かを諦めてしまっているのなら、どこかで線引きをしてもいいんじゃないかと思って。きっとあの二人も、あなたが本当にやりたいことをしてほしいんじゃない?」
辿々しい物言いになってしまったにもかかわらず、エドウィンは私の話を最後まで真剣な表情で聞いてくれた。
そしてその後、ゆっくりと口を開くと「……どうしてそう思ったの?」と発した。
どうしても何も、簡単なことだ。
「だってあの二人は、あなたのことを本当に大切にしているように見えるわ。大切な人には、幸せになってほしいでしょう?」
私がそう言い切ると、エドウィンは柔らかな口調で、けれどもしっかりと私の目を見て答えた。
「そうだよね、本当に大切な人には幸せになってほしいよね。自分のために犠牲になってほしいなんて、思わないよね」
そう言うエドウィンの瞳には力強さがこもっており、私は目を逸らすことができなくなってしまう。
けれどもそれは一瞬のことで、エドウィンはすぐにぱっと笑うと、わざとおどけるような声を出した。
「あの時は言い方が悪かったかもしれないけど、俺は別に負担になんて思ってないよ。今は誰かと付き合うよりも、あの二人を全力で見守りたいんだ」
おそらくそれは、彼の本音なのだろう。
彼の言葉を聞いて「ならいいんだけど」と返した私は、自分がエドウィンの答えを聞いて心底ほっとしていることに気がついたのだった。
◇◇◇
「結局、成績でも一度も彼女には勝てなかったわ」
卒業式の日、私はフィオナさんをぼんやりと見ながらそう呟く。
少し前まで学年性別問わず大勢の人々に囲まれていたオスカーが、自らを取り囲む人混みを掻き分けてフィオナさんの元へと駆け寄ったので、私の少し後ろにいる後輩の女の子達が「きゃあ!」という控えめな声を挙げたのが聞こえた。
「僕からすれば、レベッカも十分すごいよ」
すぐ側で聞こえた耳慣れた声にぴくりと身体を震わすと、私の隣にはエドウィンが立っていた。
つい先程までフィオナさんの騎士をしていた彼だけれど、今は私と同じ方向を向きながら眩しそうに目を細めている。
「だって君、ずっと二番手だったでしょ? ほんとにすごいと思う」
エドウィンは二人から目を離すことなくそう言った。
誰かに認めてもらうために勉強していた訳ではないけれど、見てくれていた人がいたのかと思うと、胸の奥がじんわりと暖かくなるのを感じる。
「……成績と言えば、オスカーが徐々に順位を上げてきたのは、きっとフィオナさんのおかげなんでしょうね」
入学当初はいつも最下位付近にあったオスカーの名前は、フィオナさんとのお付き合いを始めてから徐々に順位を上げ、三年生になってからはいつも中間辺りに位置していた。
フィオナさんがオスカーに付きっきりで勉強を教えている場面を何度も見たことがあるので、きっと彼女の影響によるものなのだろう。
「笑っちゃうよね。『勉強なんて俺の将来には必要ない!』って豪語してたのにさ」
エドウィンはそう言ったけれども、二人を見つめる視線はとても優しいものだった。
私達の視線の先では、オスカーとフィオナさんがお互いのネクタイを交換している。
この学校には〝好きな卒業生からボタンやネクタイをもらう文化〟というものが存在しており、今日ばかりはオスカーも下級生から「ボタンをください!」と声を掛けられていた。
けれども彼は「俺のものは全てフィオナのものなんだ」と言って断っており、彼の制服のボタンは一つも欠けていない。
オスカーによって自分の首元に結ばれたネクタイに、そっと手を置いて涙ぐんでいるフィオナさん。
私からすれば、フィオナさんに対するオスカーの愛情は重すぎるように思うけれど、フィオナさんは彼からの愛情を穏やかな表情で受け入れている。
そこに不自然さは感じられず、二人はどこからどう見てもお似合いの恋人だ。
きっと二人は卒業後も、お互いに支え合いながら生きていくんだろうな。
そんなことを考えながら二人を眺める私の耳に、エドウィンの緊張したような声が届いた。
「……卒業後、騎士団所属の事務官になるんだってね」
どうしたのだろうと思って彼の方に顔を向けると、そこにはなぜか少し強張った表情のエドウィンが立っている。
「そうよ。あなたとオスカーは騎士よね? 王宮騎士団への配属が決まっているって耳にしたわ。今更だけどおめでとう」
エドウィンの態度を疑問に思いつつもそう言うと、彼は小さく息を吐いた後で「ありがとう」と言った。その時の彼はもう、私が知っているいつものエドウィンだった。
「……正直ね、騎士団に配属されることが少し怖いの」
口からぽろりと漏れたその言葉は本音だけれど、旅立ちの日に発するには後ろ向き過ぎる内容で、私は慌てて口をつぐむ。
けれどもエドウィンは「どうして?」と聞いてきた。
「……だって、才能のある人達の集まりでしょう? 私のような人間に務まるのかなって」
騎士団所属の事務官の主な仕事は、騎士達のサポートだ。
〝選ばれなかった人間〟である私が、〝選ばれた人間〟である騎士達をサポートすることができるだろうかというのは、就職先が決まってからずっと不安に思っていたことだった。
そして誰に励まされようとも、この不安が消えないだろうということもわかっていた。だってこれは、自分自身の問題なのだから。
「あんなことをしてしまったんだもの。騎士団の一員としては受け入れてもらえないかもしれないしね」
いくら問題にならなかったとは言え、私のかつての暴行事件については知られてしまっているかもしれない。そうなると、清廉潔白が求められる騎士団に所属する人々の中には、私のことを忌避する人だっているだろう。
深刻な空気にならないように、わざと明るい口調でそう言ったけれども、私の言葉を聞くエドウィンの表情は真剣そのものだった。
「……確かに、昔のことをとやかく言う人もいるかもしれないね。やってしまったことはなかったことにならないからさ」
彼はそう言うと私の方へと身体ごと向き直り、「けれど」と言葉を続ける。
「けれど、挽回することはできるよ。君はちゃんと、そのための行動をとってきた。きっと周囲は、君が思うよりもきちんと君のことを見ているよ」
彼は私の瞳を正面から見据えてそう言った。
「まあ、俺だって不安だらけだよ。だから、同じ騎士団内にレベッカがいると思うと心強いよ」
エドウィンはそのままにぱっと笑うと、「卒業後もよろしくね」と言って自身の手をこちらに差し出した。
握り返した彼の右手はじんわりと暖かくて、不思議と気持ちが軽くなったような気がする。
そのまま彼の制服へと視線を滑らすと、彼の上着のボタンが全てなくなっていることに気がついた。
それを見て少し残念な気持ちになってしまったのは、私の〝一番親しい異性の友人〟であるエドウィンにとって、私がそうではないことを改めて突きつけられたからに違いない。
「……すごい、さすが人気者は違うわね」
彼の制服に視線を向けたままそう言うと、エドウィンが一瞬何かを言おうと口を開いたのがわかった。
けれども彼は、そのまますぐにきゅっと口を引き結び言葉を呑み込んだかと思うと、「ありがたいことにね」と言ってにこりと笑ったのだった。