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「騎士になる」という目標がなくなった私は、笑ってしまうくらいに空っぽだった。

 本来ならば成長と共に学ぶべきだった〝人間関係〟すらも学ばずに生きてきたせいで、周囲から浮いた存在であったことも認めよう。

 物理的な強さで勝ち負けが決まるこれまでの世界と違って、生活の場における人間関係というものがとても複雑だということを、私は身をもって学ぶことになった。


「どうしてそんなふうに言うの!?」

「だってあなた、さっきと言っていることが違うじゃない」

「……っ、そうかもしれないけど! それにしても言い方ってものがあるでしょう!?」

 そんなふうに年の近い女の子と衝突して、泣かれてしまうことも多かった。


 こうなってしまうと、いくら私の言い分が正しかろうが、私のしたことは〝正しくない〟ということになってしまう。

「レベッカさん、言い過ぎよ」

「あーあ、泣かされちゃって可哀想」

 都合が悪くなると泣くなんていうのは弱い者がすることだと思っていたけれど、弱さが時に武器になるということを私は徐々に思い知り、複雑な気持ちを抱いたりもした。


 別に、それ自体を非難するつもりはない。

 生まれ持ったものに差異が存在する以上、強い者や秀でた者だけが勝ち続ける社会というものにも危うさを感じるし、だからこそそれが処世術の一つであることも理解できる。


 けれども私は、絶対にそれをしなかった。

 弱さを武器にしてしまうと、強くあろうと努力した過去が無駄になってしまうような気がしたから。

 たとえ父になかったことにされようとも、私だけは過去の私を見捨てたくなかったから。


 たくさんの失敗と挫折と、そして時には陰口なんかを経験し、学校に入学する頃にはようやく私も〝少し気が強いだけの一般的な女の子〟になれていたと思う。

 十歳の誕生日に貰ったテディベアも、時の経過と共に少しずつ自室に馴染んできて、すっかり愛着が湧いている。

 そして私の隣には、相変わらずジョンがいる。


「ねえ、私の恋人になってくれない?」

 私がジョンにそう言ったのは、学校への入学を三ヶ月後に控えた、澄み切った冬晴れの人だった。

「私はジョンのことが好きよ」

 私のその言葉を聞いて、ジョンはへにゃりと笑うと「僕もだよ」と答えた。


 ここ数年で大きく形を変えた私の世界で、ジョンだけは変わることなく私のそばにいてくれる。彼は子どもの頃から変わらず、気弱ではあるけれど心優しい彼のままだ。

「学校に入学するのがとても怖いの。私、ちゃんと上手くできるかしら」

 そう弱音をこぼす私に対して、ジョンは「レベッカならきっと大丈夫だよ」と応えてくれる。

 もちろんそれで不安が消えることはなかったけれども、それでも隣に誰かがいてくれるというのは、それだけで随分と心強いものだ。


 学校への入学は、目前まで迫っている。

「ジョンもああ言ってくれているし、今までもなんとかなってきたわ。だから、学校でも上手くやれる。大丈夫、大丈夫よ」

 誰もいない自室で、もう何度目になるかもわからない台詞を唱えながら、その日も私は冷え切ったベッドに潜り込むのだった。


 ◇◇◇


 学校に入学して、おおよそ三ヶ月が経過した。

 あれほど恐れていたのが嘘のように、私の学校生活は上手くいっている。


 真っ直ぐに伸ばした背筋とはっきりとした物言いを「高圧的だ」と感じる人達もいるようだけど、「気高く美しい」と評価してくれる人も少なくなく、「〝気の強い美人〟って感じで素敵だよね」などと言われることにも慣れてきた。

 自分が美人かどうかはわからないけれど、過去の自分の頑張りが好評価に繋がっていることが嬉しくて、その度に笑みが溢れてしまうのは許してほしい。


 ジョンとクラスが離れてしまった時はどうしようかと思ったけれど、同じクラス内にも話ができる相手が増えてきた。

 まだ少しぎこちなさがあることは否定できないが、このままいけば友人だってできるできるはずだ。


 そんなふうに楽観的に考えていたせいなのだろう。

「レベッカさん……ですよね? ジョン君の恋人の」

 ジョンと同じクラスの生徒だと言う女の子にそう声を掛けられた時、私は「ジョンを介してこの子と仲良くなれるかもしれない!」などと思っていた。


「ええ、そうよ」

 そう答えた私は、おそらく満面の笑みを浮かべていただろう。

 そんな私を見て、彼女は少し目を見張った後、おずおずといったふうに口を開いた。


「あの……ジョン君が最近同じクラスの女の子と仲が良さげにしているのをよく見かけるの」

 メリンダと名乗った彼女はそう言うと、気まずそうに自分の手元に視線を落とす。

「……それは、同級生としてではなくてってことかしら?」

「ええ、断言はできないけれど。女の子の方はジョン君に恋愛的な意味で好意を抱いているように感じるわ」

 メリンダはそう言ってすぐに、「余計なお世話だったらごめんなさい」と小さく謝った。


 別に、ジョンの交友関係を縛るつもりはないし、彼のことを信じている。

 けれども、この子がわざわざ隣のクラスにまでそのことを伝えにくるということは、放っておけないような状態なのだろう。

 ぐいぐいと距離を詰めてくる相手に対して強く断ることができず、困ったようにへらりと笑って「僕は大丈夫だよ」と言って我慢しているジョンの様子が目に浮かぶ。


 優しい彼は、きっと強く拒絶できないのだろう。

 だったら、私が守ってあげないと。騎士にはなれない私だけれど、自分の大切な人が困っているのならば、自分の手で守ってあげたいと思うから。

 そんな思いを胸に「教えてくれてありがとう。後でジョンに聞いてみるわね」と返すと、メリンダは安堵からか小さく息を吐いたのだった。



「ねえ、ジョン? 今日あなたのクラスの子と話したの。あなたが私以外の女の子と、仲が良さそうにしていると聞いたわ」

 授業後、私のクラスまで来てくれたジョンに直接そう尋ねてみたところ、彼はびくりと肩を震わせておどおどと視線を彷徨わせた。


「……実は、最近付きまとわれていて困ってるんだよね」

 ぼそぼそとした口調でそう言う彼は、私が予想していた通りの表情を浮かべている。

「相手は誰なの? なんという名前の子?」

 私のその質問に対して、ジョンはやはりぼそぼそとした口調で「フィオナ……さん」と答えた。


 今まで聞いたこともないその名を耳にして、この時点での私は「フィオナさんからも話を聞いてみなくては」と思っていた。

 信じてもらえないかもしれないけれど、この時の私は「双方の言い分を聞いて、その上でジョンが困っていることを伝えて、付きまとうのをやめてもらおう」と、そう思っていたのだ。


 けれども、私とジョンのやり取りを聞いていた同じクラスの女の子達が、彼の言葉を聞いて騒ぎ出す。

「フィオナさんって、いかにも『儚くてか弱いんです』って感じの子よね? 裏でそんなことしてるなんて最低!」

「ああいう子は、泣けばなんとかなるって思ってるんでしょ! 一番タチが悪いわよねー!」

「フィオナさんが相手だと、ジョン君が強く出れないのもわかるわ。可哀想!」


 口々に言い合う数名の女の子達の中には、先程私にジョンとフィオナさんとのことを教えに来てくれたメリンダも混じっていて、どうやらこの子達が彼女の友人であるらしいことがわかる。

 今まで話したこともない子達だったけれど、彼女達が私のことを思って本気で怒ってくれているのを見て、胸がじんわりと暖かくなる気がした。


「さっそくフィオナさんに話をつけに行きましょう! 私達もついて行くわ!」

 その言葉に背中を押されて、隣のクラスへと乗り込むことになった私に、彼女達は「私達はあなたの味方だから!」「あっちが悪いんだから、遠慮しちゃダメよ!」などと声を掛けてくれる。

 ともすれば「あちらにも何かしらの事情があるかもしれない」とおよび腰になる私にとって、彼女達の言葉は私に勇気を与えてくれた。


「ほら、あの子よ」

 目的地に到着するや否や、メリンダがそう言って指し示した先にいたのは、今にも消えてしまいそうなくらいに儚くか弱げな少女だった。

 陶器のように真っ白な肌、細く柔らかそうな亜麻色の髪、そして薄水色の瞳を持つフィオナさんは、細身で小柄な体格も相まって、まるで妖精のような可憐さだ。


 ……私とはまるで正反対な子ね。


 そう思った私は、無意識に自分の髪を一筋つまみ上げていた。

 この暗めの赤茶色の髪も、吊り目気味の濃いグレーの瞳も、そして女性としては高めの身長も、「強く見せたい」と思っていた私にとっては自慢だったそれら全てが、なんだか急に色褪せて思えて、胸の奥がぎゅうっと痛んだ。


 そんな気持ちを誤魔化すように発したものだから、フィオナさんへの第一声が少しきつくなってしまっていたことは認めよう。

「あなたがフィオナさんね? 少しいいかしら?」

 自分より一回りほど小さく感じられる彼女を見下ろす形でそう言うと、彼女は不安げに瞳を揺らして「なん……でしょうか?」と答えた。


 教室に残っている生徒達がちらちらとこちらに視線を向ける中で、「私の彼に付きまとっているの?」と聞くのはいくらなんでも得策ではないだろう。

 学校に入学したばかりの現時点で、〝同じクラスの男子生徒に付きまとっていた女〟などという不名誉を彼女に押し付けるのはあまりにも可哀想だ。


 だから、「ここじゃなんだから、場所を移しましょう?」と言ったのは、彼女を思い遣っての言葉だったのだ。

 けれどもフィオナさんは、私の言葉を聞いてはっと息を呑むと、瞳を潤ませて「……はい」と呟くように発した。

 その姿があまりにも「私は被害者だ」とでも言いたげなものに見えて、不快感が押し寄せる。


 ……か弱さを武器に、周囲の同情を引こうっていう魂胆かしら?

 けれども、周りからどう見えていようとも、現時点での被害者はフィオナさんに付きまとわれているジョンだし、私はジョンの恋人として真っ当なことをしているだけ。

 今までそれで何度も苦い思いをしてきたが、今回に関しては証人だっているのだ。弱さを武器にさせてたまるものか。


 そんなことを考えながら辿り着いた先は、とある空き教室だった。

 メリンダが「ここなら人に邪魔されることはないはずよ!」と教えてくれていた通り、教室に続く廊下には人気もなく、会話の内容が他者に漏れてしまうこともなさそうだ。


「どうぞ、先に入って?」

 私がそう促すと、フィオナさんはきょろきょろと辺りを見回しながらも空き教室の奥へと足を進めた。

 そのまま教室の一番奥の壁のすぐ手前まで進んだ彼女がくるりとこちらに向き直ったのを見て、私も背筋を伸ばして彼女を正面から見据えるようにして立つ。


「あれ?」と思ったのは、その瞬間だった。

 この教室に入るまではおどおどとした態度を全面に出していた彼女が、まるで私のことなど見えていないかのようにぼんやりと空を見つめているのだ。

 今私の目の前にいるのは、先程までの〝消えてしまいそうなくらい儚くか弱い〟彼女とは、まるで別人に感じられる。


 ……やっぱり、儚くか弱いふりをしていただけなのね。

 そのことに気がついた途端、自分の中で怒りがぶわりと湧き上がるのがわかった。


「私の彼と、随分と仲が良いみたいじゃない? どういうつもりなの?」

 そう声を発した私の顔は、きっと怒りに満ちていることだろう。

 けれども、それでもフィオナさんは返事もせずにどこかぼんやりとした表情を浮かべている。

「ちょっと、レベッカさんの質問に答えなさいよ!」

「ひょっとすると、驚いて声も出ないのかしら?」

 私のすぐ後ろからそんな声が飛んでくるけれど、それでもフィオナさんは微動だにせず、心ここに在らずなままだ。


 ……なんなのよ、この子。


「あらまあ、別に脅している訳ではないのよ? ただ私は、フィオナさんとお話がしたいだけなのよ」

 声を荒げそうになるのを必死に堪えて、なんとか笑顔でそう発する。

 辛うじて口元が上がっただけの下手くそな笑顔であることは自覚しているけれど、怒鳴らなかっただけでも許してほしい。


 するとここでようやく、私の前に立つフィオナさんと目が合った。

 そんな彼女の姿を目にして、ようやく話し合いができるかと、私は内心でほっとしたのだけれど、彼女はしばらくぼんやりと私の目を見つめたかと思うと、ふいに口角を上げたのだ。

 まるで「いいことを思いついた」とでも言いたげなその表情に、私の中で何かがぷつりと切れた気がした。


「調子に乗るのもいい加減にしなさいよ!!!」

 怒りに任せてそう声を上げたのと同時に、ぱんという乾いた音が教室内に響く。

 じんじんと痛む自分の右手と、目の前の少女の赤くなった頬を目にして、私は血の気が引くのを感じた。


 私……彼女のことを叩いた?


 自分のしでかしたことを認識した途端、自分が自分でないかのような心地がする。

 だって、いくら腹が立ったとはいえ、私は無抵抗な小柄な女の子を相手に手を上げてしまったのだ。


 けれども、そんな自分自身に絶望する間もなく、突然胸元が掴まれたかと思うと視界が反転し、お尻に強い衝撃を感じる。

 予想だにしない出来事に「は?」と思っているうちに、今度は空気を切り裂くかのような大声が頭上から降ってきた。


「私が! いつ! あなたの彼と仲良くしたのよ!? そもそも! あなたの彼って! 誰なのおおお!!!」

 そう叫ぶフィオナさんの目には、確固たる決意がこもっているように思われた。


 ……〝呆気に取られる〟とは、まさにこういう場面のことを言うのであろう。

 つい先程まで私の目の前にいた彼女と、今の彼女が同一人物だとは到底思えず、私は目を見張ることしかできない。

 そんな私に向かって、彼女は矢継ぎ早に言葉を続ける。


「同じ学校の男の子と会話した回数なんて! 数える程度だけど!? そもそもクラスメイトと会話した回数すら! そんなに多くはないからあああ!!!」

「レベッカさんって言うのよね? はじめまして! ではないのかもしれないけど! 名前も知らない相手の彼氏のことなんか! 知る訳ないでしょうがあああ!!!」


 本当に、つい数分前に私の目の前にいた儚くか弱い妖精のような少女はどこにいったのだろうか?

 支離滅裂な言葉をただひたすらに大声で叫び続けるフィオナさんの変貌ぶりに頭がついていかず、「これは本当に現実のことなのだろうか?」とすら思った。

 けれども、私の胸ぐらを両手で掴みながら馬乗りになるフィオナさんからは清潔な石鹸の香りがして、これが夢の出来事でないことを表している。


 ……とんでもないことになってしまったかもしれない。

 少し前まで「フィオナさんは人前ではか弱く儚いふりをしているだけで、もっと違った本性を隠しているのではないか」と邪推していた訳だけれど、さすがにこれが彼女の本性だとは思わない。

 だって、あまりにも普通じゃない。


「ちょ、ちょっと落ち着いて。大丈夫だから、私が悪かったわ」

 なんとか彼女の気持ちを落ち着けようと、私は必死に言い募る。

 とにかく、これ以上彼女を刺激してはいけない。目の前の少女は、きっとあまりの緊張と不安から精神に異常をきたしてしまったのだろう。


「ごめんなさい。ね、大丈夫よ。ゆっくり息を吐いてごらんなさい?」

 どうしよう。どうしよう。

 そんなふうに、なんとか彼女を元に戻そうと慌てふためいている時だった。

 教室中に、勢いよく扉を開け放った鈍い音が響き渡る。


 それは、もしもここが物語の世界ならば、まさしくヒーローの登場だと思われるような絶好のタイミングだった。

 もちろん、ヒロインは錯乱状態にあるフィオナさん。そして残念ながら、私は悪役ということになるのだろう。


「……一体何があったんだ?」

 けれども自分が悪役的立ち位置にあることよりも、そんな言葉と共にこの場に颯爽と現れたヒーローが()()オスカーであることに、私は目の前が真っ暗になるような気持ちがしたのだった。

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