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 時が経つにつれ、真一は昴以外にも友達を得るようになった。その変化の始まりは、席替えの日に訪れた。教室の窓際の一番奥にあの健太が、そしてその隣に真一が座ることになった。


 前の席には二人の女子が座っており、自然と真一と健太は話す機会が増えた。


 健太はその粗野な言葉遣いとやや下品な物言いで知られていたが、真一は次第に彼の真の姿を知るようになった。ある日、健太がノートを見せてくれたとき、その字が驚くほど美しく整っていることに気づいた。健太の粗野な外見とは対照的に、その字には彼の繊細な一面が映し出されていた。


 昼休みになると、真一は健太のグループと一緒に過ごすことが多くなった。彼らは三、四人で集まり、いつも駄弁って過ごしていた。


 時折、他のクラスからも友人が集まってくることがあった。真一はいつも健太の隣に座り、健太が話を振ってくれると、言葉に詰まるたびに助け船を出してくれた。健太のおかげで、孤独だった昼休みは次第に楽しい時間へと変わっていった。


 しかし、昼休みの会話が思春期特有の性的な話題に及ぶと、真一は途端に居心地の悪さを感じた。健太もその話題に熱心に参加し、ときには最も先陣を切って話を振る役割を果たしていた。だが、健太は真一に対しては決してそのような話を振ることなく、「お前にはまだ早い」と軽く受け流してくれた。その気遣いに、真一は安堵と感謝の念を抱いた。しかし同時に、自分達の身体と心の変化に伴って生じる性的な羞恥心を共有し、結束を深めていく男子たちの姿を見て、心の奥底で羨望の念が湧き上がるのを感じずにはいられなかった。


 また、真一の心には深い葛藤が渦巻いていた。男子たちが共有する秘密めいた絆に憧れつつ、その輪に加わることができない孤独感が募っていったのである。健太の存在が昴と同じく大きな支えとなっていることを感じながらも、真一の心の奥底には未だ拭い去れない孤独が根深く残り、彼を静かに苦しめ続けていた。


 ──真一はリビングのソファに腰掛け、トタの何の憂いもなさそうな顔を見つめていた。トタはお気に入りのクッションの上で無邪気に寝そべり、その小さな身体を心地よさそうに伸ばしている。外では雨が静かに降り続いており、その音が窓を叩くリズムが部屋の中に静かな調べをもたらしていた。


 最近、ネットで「マズローの欲求段階説」という言葉を目にした。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、そして自己実現の欲求。真一はその言葉を思い出しながら、静かにトタを見つめていた。トタはそのすべてを満たされているのだろうか? 彼の小さな世界には、ただ愛され、守られ、安らぎを感じることが全てだった。そのシンプルな幸福に、真一は羨望の念を抱かずにはいられなかった。


 一方、自分はどうだろう。生理的欲求は何とか満たされている。しかし、安全の欲求はどうだろう。学校での安心感、家庭での安心感、心の平穏。それらは、真一にとって手の届かないものであった。社会的欲求に関しても、友人や家族との繋がりを感じることは稀で、孤独感が心を蝕んでいる。承認欲求や自己実現の欲求など、彼にとっては遥か彼方の話でしかなかった。


 トタの小さな世界と、自分の広大で不安定な世界。その対比は、真一に自らが抱える複雑な感情と問題を改めて意識させた。


 テレビでは学校でのLGBT教育を推進する番組が流れていた。画面の中では、教室でディスカッションが行われ、生徒たちが意見を求められている。いかにも正論を述べる大人たちの口ぶりに、真一は馬鹿馬鹿しいと感じた。彼らの言葉は、まるで教科書の一節を読み上げるかのように平板で、真実の苦しみや葛藤を伴っていない。


 真一はテレビに映る生徒たちを見つめながら、心の中で呟いた。


「なぜ、大人たちは生徒たちの気持ちをもっと深く考えないのだろう」


 意見を述べる生徒の中には、その問題に悩む当事者がいるかもしれない。その可能性に思い至らない大人たちの無神経さに、真一は心底憤りを覚えた。


 画面の中で、一人の生徒が緊張しながらも自分の考えを述べ始めた。真一はその姿を見つめ、「もし、その生徒が自分だったなら、こんなに恐ろしいことはないだろう」と思った。教室中の視線が自分に向けられ、自分の一言が自分自身を暴露するかもしれないという恐怖。その恐怖を想像するだけで、真一の胸は締め付けられる思いがした。


 しかし、そんな風に考える自分を感じると、真一は急に不安になった。「考えるのをやめよう」と、自分に言い聞かせた。何も感じなければ、何も痛くない。それが真一の生きる術だった。真一はソファにもたれかかり、再びトタの顔を見た。その無垢な瞳は、真一の心の中の空虚さを見つめていた。トタが求めるものは単純で、真一にとってはそれが何よりも羨ましく、同時にその単純さが遠い夢のように思えた。


 真一はリモコンを手に取り、無造作にテレビを消した。部屋には静寂が広がり、ただトタの穏やかな息遣いと、外の雨音だけが聞こえてきた。

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