8【リヒト視点】僕も、勇気を出さないと
「わたくしは、……遅い子だったようなんです」
「…………ん?」
…………? 遅い子?
「両親が駆け落ち同然に結婚し、7年、子が出来なかったそうなんです。……そして、ようやく授かった子が、わたくしで……」
言葉を探すように、答えていく。兄上もそれに合わせ、静かに聞いている。
「……それで?」
「……闇魔法を恐れ、中々乳母が見つからなかったそうです。なので両親は、手ずからわたくしを育ててくれたそうで……」
兄上は、何も言わない。こういう時、僕は兄上が何を考えているのか、わからない。
微笑んでいるけれど……その目は、何を見ているのだろう? 彼女は続ける。
「乳の飲みも悪く、とても小さかったそうです。それで、随分気を揉んだと……。
それなのに、少し大きくなると、泣き虫で、わんぱくで……両親が仕事で家を開ける時は、毎回大騒ぎだったそうです」
「そう……」
「わたくしは、両親の、普通の娘です。」
彼女は、顔を上げた。もう、緊張の色はなくなっていた。まっすぐに、兄上を見る。
「それに闇魔法は、他の属性と何ら変わらない、この世の大切な摂理の1つと、先代闇属性魔法使いより教わりました。わたくしは、両親の娘であることも、闇属性の魔力を持って生まれたことも、誇りに思っております」
すごいと思った。彼女は11歳には見えない程、理性的で、とても毅然としていた。でも、もしかすると、少し怒っているのかもしれない。兄上に、そして世間に。
「……そうだとして、君はその"闇属性"の所為で、随分と窮屈な思いをしているじゃないか。闇属性でなければと、考えたことはないのかい?」
「……ないと言えば、嘘になります。けれど、誰もが何かしらの制約の中、生まれてくるものです。国であったり、時代であったり……人はみな、その制約の中で、必死にもがいて生きていくものだと思います。……この魔力抑制具は、わたくし達、闇属性の魔法使い達にとって……その集大成です」
彼女は、そっと自身の手首に触れた。
「このバングルは、わたくしのように後世に生まれる闇属性達が普通の生活を送れるよう、先代方が作ってくださったものです。これがあったから、わたくしは幼少のみぎり、両親や祖父母の側で暮らすことが出来たのです。……たくさんの孤独が、無念が、あったのだと思います」
「わたくしは、わたくしを大切にしてくれた人々の為にも、今後生まれ来る、闇属性魔法使いの子供達の為にも、わたくし自身の未来を、諦めるべきではないと考えております」
「……つまり、この婚約を厭う気持ちはないと言う事?」
「……はい」
力強く答えた後、「第三王子殿下には、申し訳なく、思いますが……」と、彼女は尻すぼみに言った。けれど僕は、胸か、いっぱいだった。僕が彼女の婚約者になることで、背負うことになったものの重みと、その誇りを、痛感させられた気がした。
僕はずっと、膝を抱えて聞いていた。少しの間の後、兄上はふぅと息を吐き、口を開いた。
「なるほど。……よく、わかったよ。君や君の父上に対して、失礼なことを言ってしまったね」
「いえ。わたくしの方こそ、生意気を申しました……」
「いや。君の意見は、至極全うだ。現時点で僕に何が出来るかわからないが、なるべく君達の……君の力になると、約束しよう」
兄がにこっと微笑む。彼女は入っていた力が抜けたのか、少し頬が紅潮していた。
「あ、ありがとうございます」
僕は静かに立ち上がり、ガゼボに近づいた。その事に兄が気がつき、声を掛けてきた。
「やあ。……やっときたね」
ルポルト侯爵令嬢は、驚いて表情で僕の方を見た。兄上は、静かに立ち上がり、彼女に礼を取る。
「失礼したね。また、ゆっくり話そう」
彼女もまた急いで立ち上がり、兄上を見送る。兄上は、僕に近づき、ぽんっと肩を叩いた。
「僕は、お前ともゆっくり話したいと思ってるんだからな?……今日は顔が見れて良かった」
彼女に見せていたのとは違う、兄の顔だった。僕は、少しだけ泣きそうになった。でも今は、泣いている場合じゃない。……ちゃんと彼女と話さないと。
日が、すっかり傾いてきた。オレンジ色の光に、彼女の白い頬が照らされている。
「だ、第三王子殿下にご挨拶申し上げます」
彼女は、綺麗なカーテシーをした。
僕は、呟くように声を出した。
「リヒトと……」
「……え?」
きちんと彼女の瞳を見て。
「リヒトと、呼んでくれ。僕も、ヴィアラテアと、呼ぶから」
彼女は目を瞬かせ、微笑んで言った。
「はい。わたくしの事はヴィアと。そう、お呼びください。リヒト殿下」
この日、僕はようやくヴィアと、言葉を交わす事が出来た。