58【ヴィアラテア視点】”鎮魂歌”
空の黒い塊は目前に迫っている。地響きも、段々大きくなってくる。
それぞれの魔獣の咆哮が、建物を揺らす。
先頭に慣れていないわたくしは、ひとまず陣の近くから魔法を放つ事になった。杖をギュッと握りしめる。手には汗を掻いて、胸はドキドキしている。
広場の中央、リヴ兄様は黒い騎士服を身に着け、誰よりも先頭に立つ。シャンと涼しい音を立てて長い剣を鞘から抜き、構える。
「来るぞ」
その刹那、地面に居る魔獣達と空の魔獣達が、一斉にこちらに襲い掛かってくる。リヴ兄様は、水魔法を展開し、その水圧で数体の魔獣をいとも簡単に屠ってしまう。水を潜り抜けて来たもの達は、その剣で切りつけていく。
皇太子殿下は、幾つもの雷鳴を轟かせ、落雷により魔獣を屠る。ルシエルも、突風で魔獣を巻き上げ、剣で叩き切っている。
わたくしも、杖を振って幾つも魔力を放つ。わたくしの魔法に触れた魔獣は、皆一様にぐるぐると奇妙な動きを見せ、森の方へ帰っていく。なるべく、他の人が苦戦していそうな魔獣めがけて放っていく。所々で悲鳴も聞こえる。数が多い。
どれくらい、そうしていただろう。魔獣の数は、まだまだ計りしれない。シールドに挟まれて、所狭しと隙間に入り、人間を襲おうとしている。中には、魔獣同士で傷つけあっているものも、いるようだ。
高等な魔獣程、知能も高いと聞く。それなのに、目の前の魔獣達は、我を忘れて狂ったようにこちらに向かってくる。
わたくしは、ぐらっと体が傾ぐのがわかった。二次覚醒出来なければ、持っている魔力量全てを出す事は出来ない。一次覚醒の状態での、限界が見えて来た。
そんな事を考えている隙に、レプティロンという大きなトカゲの形の魔獣が目前に迫っていた。まずい。思わず目をつぶると、リヴ兄様の大きな背に庇われていた。気がつくと、レプティロンは事切れて倒れていた。
「もう、限界だ。シールド内に戻れ」
わたくしは、肩で息をしながら、リヴ兄様を見る。その表情にも、余裕はない。このままじゃ、足手まといになる。わたくしは、リヴ兄様をしばし見つめるが、諦めてシールドに戻ろうと立ちあがる。
すると……
「全員退避!!!ドラゴンの群れだ!」
皇太子殿下の声だった。弾かれたように、わたくしとリヴ兄様は声の方向を見る。一際大きな影が、中央広場の様子を伺うように上空を旋回する。リヴ兄様は、わたくしの肩をドンっと押し、駆けだした。
「行け!!」
水魔法と剣術で、襲い来るそれらに対抗している。でも、簡単に弾かれてしまう。
ダメ……このままじゃ、このままじゃ、リヴ兄様が死んじゃう……。
シールドも、ほころび始めた。シールド内にあった筈の建物が、咆哮一つで崩れてしまう。
美しかった王都が、見る見るうちに形を変えて行く。
陣営は、もうバラバラだ。みんな、生きる為に逃げまどい始めた。
わたくしも、もう足が動かない。お願い……誰か、誰か助けて。
涙がこぼれそうになり俯くと、自分の手の下に、杖が見えた。
『ヴィア、自分を信じるんだ』
ブリジット様の声が、聞こえた気がした。わたくしは立ちあがり、リヴ兄様の元に駆け出す。
リヴ兄様にドラゴンの爪が襲い来る刹那、魔法を展開した。
リヴ兄様を包むように展開した光は、ドラゴンの足に触れるや否やその体を包み込み、その頭を狂わせる。目を回したように飛び退き、空に戻り旋回を始める。それに合わせて他のドラゴン達も、警戒するように空で旋回を繰り返す。
「ヴィア!何をやってるんだ!早く逃げろ!」
「……嫌」
「ヴィア!」
「嫌!」
わたくしは、リヴ兄様の前に立ちあがり、ドラゴンに向き直る。杖をトン、トン、トン、と床に打ちつける。
「ヴィア……」
「リヴ兄様、お願い……ほんの少しでいいの。……時間を稼げる?」
「…………」
リヴ兄様は、答えない。わたくしは、トン、トン、というリズムに合わせて、魔力を掘り返すようにどんどん出していく。
「お願い、力を貸して。わたくしは、この国を……大切な人々を守りたい」
「…………わかった」
リヴ兄様は嘆息しながら立ちあがり、再度剣を構える。後ろの人々は、この隙に、無事退避出来たかしら?
わたくしは、呼吸を整え意識を集中させていく。
リブ兄様は、飛び上がり襲いかかって来るドラゴンに応戦する。
少しずつ、魔力が溢れてくる。体を、紫色の光が包んでいく。
トン、トン、トン、トン……
『あなたは、ダレンと私の自慢の子よ。大切な宝物』
お母様の笑顔が思い浮かぶ。
……今は他国に赴かれていて、本当に良かった。
こんなわたくしの姿、見せたくない。きっと心配されるだろうから。
トン、トン、トン、トン……
『しっかりしなさい。ヴィア』
グラナティア様……
思わずくすりと笑ってしまう。本当に、わたくしは最後の最後まで、情けなかったです。
トン、トン、トン、トン……
『恐い闇魔法を、素敵な闇魔法に変えてきて下さいませ』
エレノア様……やっぱり、わたくしはあなたの姿を見る度、ときめいてしまいます。
『リヒトと……』
トン……
『リヒトと、呼んでくれ。僕も、ヴィアラテアと、呼ぶから』
トン……
『ヴィア』
トン……
『絶対だ』
……音が止む。旋律が聞こえてくる。旋律に乗せる様に、詠唱を始める。
……何故、闇属性魔法使いが、代々”鎮魂歌”の際、杖を使うのか、ようやくわかった。
この強大な魔力を、人の身ひとつでコントロールするのは、至難の業だ。
何故、人々が、闇属性魔法使いをそこまで恐れるのか、ようやくわかった。
この強大な力を、そうでもしないと、御する事が出来ないからだ。
何故、女神ノクタ様が、あんなにも優しく楽しげに微笑まれているのか、わかった。
今、すべての生物は、わたくしの腕の中で、すやすやと眠る幼子に過ぎない。
魔力を拡大させていく。わたくしの上を中心に、夜の闇がすごいスピードで広がっていく。
魔獣も人も、動きを止める。
頭上には、目が眩むほどの満天の夜空。国中の空を覆い尽くす。
天の川が流れ、幾つもの流れ星が渡る。
足元には、まるで遠浅の海にいるような、光のさざ波。
これが、わたくしの”鎮魂歌”……。ああ、出来たんだ。
詠唱を続けていると、魔獣達が、ぞろぞろと鳴き声をあげながら森に帰っていくのが見える。
みんな、寝床に戻っていく。
人々は、シールドの中の人も外の人も、みんな空を見上げている。
わぁ……と歓声をあげて、子供達は足元の光で遊ぶ。
そんなに長い時間は経っていない気がするのに、詠唱は、終わりに近づく。
手もとの杖が、ぼろっと、その形を崩し始めた。
わたくしは、杖がなくなるまで詠唱を続け ――意識を手離した。




