50【ヴィアラテア視点】悔しい
投獄されて……もう、3日。
投獄とは言え、一応は貴族である事、あとは容疑が確定していない事もあり、貴族達が罪を犯した際に入れられる部屋に連れて来られた。“西の塔”と呼ばれる塔の最上階にある部屋だ。この様な部屋がある事は知っていたけど……実際に見るのは、勿論はじめて。
簡易ながらもふわふわのベッドとしっかりとした作りの机、一組のソファーとローテーブル……鉄格子の嵌った窓からは、日の光も十分入る。広さも申し分ない。最低限、不自由なく生活できるようになっている。
わたくしは、簡素な白いワンピースを着させられ、魔力抑制具を改めて嵌められた。デザイン性に富んだものではなく、長くて太い鎖の付いた、とても重たいものだ。時間を見つけては、それをダンベル代わりに腕を動かす。
……だってとても、暇なんだもの。
ふぅと、息を吐いてベッドに座る。食事の時間や湯浴み等の身だしなみを整える時間以外、誰もやって来ない。恐らく、外に看守はいるのだろうけど……鉄の嵌った扉は隙間なく閉じられていて、外の様子はわからない。1日がとても長い。外では、今、何が起きているのかしら?
エレノア様は……どうされたかしら?
投獄される前の事を思い出す。エレノア様は、間違いなく眠られていた。すやすやと心地よい寝息が聞こえてきたのを覚えている。なのに、わたくしの腕を掴むあの力……まるで、何かに取り憑かれているようだった。
もしかしたら、ブリジット様の件とも関係があるのかしら? わたくしを投獄し、ブリジット様を害する事に、何の意味があると言うのかしら?
う~~ん……と首を捻る。
この手の推理は、リヒト様が得意だった。
リヒト様……どう過ごされていらっしゃるかしら? リヒト様の事を考えると、胸がぎゅっと掴まれたみたいになる。
この3日間、いっぱい考えた。
リヒト様の事、リヴ兄様の事、両親の事、グラナティア様やルシエル……みんなの事。
結局わたくしは、自分の前に用意された道だけを見て、選べるものだけを選んだにすぎない。
トレーに並べられたケーキと一緒だ。どれが良い?と言われて、そこにはない新たなケーキを作りだすなんて、わたくしには出来なかった。みんな、そうでしょう? そうやって、何かを諦めて生きて行くものでしょう?
そうして、わたくしはリヒト様を選んだ。リヴ兄様を置いて。
けれど、リヴ兄様に新しい道を提示されて、今度はリヒト様を置いてきた。結局、何も選べずに……。
思わず、冷めた笑みが零れる。なんて悪い女なのかしら。
こうなる可能性なんて、最初からどこかでわかっていたじゃない。わかった上で、彼を巻き込んだ。だからこそ、誰よりもわたくしが強い気持ちで彼の側にいるべきだったのに……。わたくしは、幼かった。考えが甘かった。
頑張っているつもりだった。両親の笑顔が見たくて、共に過ごせる未来が欲しくて、頑張っているつもりだったけど……結局は何も成し得ぬまま、優しい彼を傷つけてしまった。
ああ……やっぱりダメね。一人になると、どうしても思考が暗くなる。
心の闇に、囚われてしまう。
ぼんやりと、そんな事を考えていると、誰かがこちらに向かってくる足音がする。
……重たく、響く、革靴の音?
思わず、身構える。重たい扉の鍵を、ガチャガチャと開ける音が聞こえる。扉を開けるギーッと言う音と共に入ってきたのは、ブラウンの髪と目を黒い布で覆い隠した長身の男だった。
「…………シュトラウス卿?」
「やあ、ルポルト侯爵令嬢。先日ぶりだね」
なぜ、彼がここに……?ここは、他国の使節団の一人がやってこれるような場所じゃない。
看守は?なぜ、誰も騒がないの?
シュトラウス卿は、後ろ手に扉を閉める。鍵を掛けている様子は……ない。
シュトラウス卿が、何食わぬ顔で机の傍まで行き、椅子を自身に引き寄せ腰かける。
わたくしは、動かず彼の動向を伺う。
「……ここでの暮らしはどうだい?」
「……快適とまでは、言いませんわ」
「はは。そうだね。こんな所に閉じ込めて、悪かったね。仕方なかったんだよ」
彼は足を組み、悠然と構えている。すぐに害を成そうとしている訳ではないようだ。
「……何が目的なの?」
ひとまず話を促す。あからさまな敵意がないだけに、意図が掴めない。
「そうだね……何から話そうかな。まずは、これからかな」
そう言うと、シュトラウス卿はおもむろに自身の目を覆う布を外し始める。
しゅるっと衣擦れの音がし、目が合う。そこには、薄紫色の双眼があった。わたくしは思わず、息を飲む。
「…………あなたは……!」
「……そう。僕は、君と同じ、闇属性魔法使いだ」
「……どういう事?だって、帝国には今、闇属性魔法使いはいないって……」
シュトラウス卿は、わたくしが驚く姿を見て、ふふっと楽しそうに笑う。
「両親がね……僕の存在を秘したんだ。僕の両親は、かなり過激なローファの信者の家で生まれ育っていてね。彼らにとって闇属性魔法使いは、死の象徴であり、不吉の象徴だったんだ」
「秘するなんて……そんな簡単にできる事じゃないわ」
「……それが、思っている以上に簡単にできるんだよ。……生まれたこと自体、忘れちゃえば良いんだから」
どういう事? わたくしは、首を傾げる。シュトラウス卿は、続ける。
「君は、僕みたいな人間が居る事を、想像もできないだろう。……僕の両親はね、弱い人達だった。君の両親とは違ってね。だから、僕が産まれたことを誰にも言えなかった。僕の事を屋敷の奥深くに隠して息を潜めるように過ごさせ、同じ頃に産まれた子を連れてきて自分達の子として育てたんだ」
……心が痛む。何故、闇属性魔法使いというだけで、そんな目に合わなくてはいけないんだろう?つい、痛ましいものを見るように、視線を下げてしまう。シュトラウス卿は、優しげに眼を細める。
「……やっぱり、君は善良な人だね。でも、僕の両親は、最低限の生活はさせてくれたんだ。屋敷の奥から出られなかっただけで。一応……責任感のようなものがあったのかな。でもその内、風向きが変わった。叔父に僕の存在がばれちゃったんだ。叔父は、両親とは違って僕の利用方法を思いついた。それで、色々あって……僕の代わりに育ってきた子と僕を、また入れ替えたんだ」
シュトラウス卿は、おもむろに立ち上がると窓際まで進む。雲の動きに合わせて、光が動く。ここからは、シュトラウス卿の顔は見えない。わたくしは、ちらっと扉を見る。隙を見て、逃げ出すべきかしら?
「僕は……ある程度幸せだと、思っていたんだ。両親とその子がいなくなってからは、特にね。叔父は、時々恐かったけど……僕にたくさん勉強させてくれたし、学院にも通わせてくれた。眼が使えないのは不便だったけど、魔法の使えない風魔法使いとして、何ら変わりなく過ごさせてくれたんだ」
ふと、シュトラウス卿がこちらを向く。わたくしは、つい反射的に肩を跳ねさせそうになるけれど、動揺を感じさせないように、その視線をまっすぐ受け止める。逆光で、顔が陰になっていて良く見えないけど、その様子は至って穏やかだ。
「そんな時ね、レギオン大公が現れたんだ」
「……リヴ兄様?」
「そう。リヴ・レギオン大公閣下だ。……彼はすごいんだ!彗星のごとく現れて、帝国の重鎮達を押し黙らせ、みるみる内に大公になった。そして、皇帝の前で声高に宣言したんだ!『我が領地では、闇属性魔法使いの人権を保護する法律を制定する』って……僕は、とても嬉しかった。初めて、人間であると認められた気がしたんだ」
シュトラウス卿が、子供のように無邪気に笑う。頬を紅潮させ、本当に嬉しそうだ。この場の雰囲気と、彼の様子がミスマッチで……なんだか恐い。
「それで、彼の力になれないかなって思って、彼を調べている内に君の事を知ったんだ。そして、ブリジット様の事や、この国の事情も詳しく調べた。どこも同じだなって思ったよ。魔力抑制具なんてつけて……魔力を奪われたら、効き手を取られるようなものだ。不自由で仕方ないじゃないか。だから、僕は君達を助けてあげようと思ったんだ。レギオン大公も喜ぶだろうし……一石二鳥だよね」
「……何をする気?」
「……別に。君が知る必要はない。どうせ君に出来る事は何もない。……さあ、僕と一緒に行こう。ここに居たら、危ないからね」
そういうと、シュトラウス卿は近づいてくる。近づかれる度、わたくしは後退する。じりじりと後ろに下がるが、ついに壁に背がついてしまう。シュトラウス卿が、ゆっくりと手を伸ばしてくる。その手に……捕まるわけにはいかない!
わたくしは、シュトラウス卿が触れるか否かの瞬間に、彼の頬を平手で打ち、すかさず鳩尾に肘を沈めた。
「――……っがっ!」
……やった! 辺境伯領で学んでいた事が、ここで活きた。シュトラウス卿が呼吸を苦しそうに、ゲホゲホと咳き込みながらうずくまる。わたくしは一目散に扉に向かう。
……けれど、伸びてきた腕に足を掴まれ転倒する。ソファーやローテーブルにぶつかり、がたんっ!と大きな音を立てる。腕の鎖もジャラジャラと派手に鳴る。何とか前に進もうとするが、髪を掴まれ、勢い良く後ろに引き倒されてしまう。髪の生え際の痛みと転倒する体を支えた衝撃で瞬間動きが止まってしまい、頬を強く打たれた。
口の中に、血が滲む味がして、視界が揺れる。反射的に、涙が零れる。こんな男の為に、涙を流したくないのに、恐怖で体が震える。打たれた頬に手を添え、必死に呼吸を整える。シュトラウス卿も、ぜえはあと胸で呼吸をしている。その瞳は、先程とは打って変わって凶器の色を宿していた。
「……君も。ブリジット様と同じだね。僕の提案に乗っていたら、辛い思いをせずにすんだのに」
わたくしは、驚愕で目を見開く。まさかとは思っていたけど……
「……ブリジット様のことは、やっぱりあなたが……!」
シュトラウス卿は、鼻で笑う。邪魔そうに、乱れた髪をかき揚げる。
「そうだよ。僕がやったんだ。仕方なかったんだよ。彼女には僕の魔法が効かないからね。何度か提案に言ったんだ。僕と来てくれって。とても親切にしてくれたけど、頷いてはくれなかった。頷いてくれたら、途中で止めてやったのに……」
怒りで頭が真っ赤になる。悔しい。わたくしには、ぐっと歯噛みして、睨み付けることしか出来ない。
シュトラウス卿が立ち上がり、扉へ向かう。
「君はここにいると良い。僕の邪魔をされても困るからね。折角会えた仲間とこんな形を迎えるなんて……残念だよ」
鉄の嵌められた重い扉が、バタンっと音を立てて閉まる。鍵の掛かる音が響く。
「――……っ」
わたくしは、結局、一人では何も出来なかった。




