46【ヴィアラテア視点】わたくしの選択
魔法をかけられ、一息ついた後……リヴ兄様は、おもむろに立ち上がる。この部屋の事をよく知っているようで、戸棚からお茶のセットを取りだし、用意されていたお湯を注いでいく。ブリジット様がよく淹れてくれた、ハーブティーの香りが広がる。
お茶を2人分用意してテーブルに置くと自分もソファーに座り、それを飲み始める。わたくしもそれに倣い、ゆっくりとカップを持ちあげ、口付けた。
「……美味しい」
「……そりゃ、よかった」
以前は良く聞いていたその軽い口調に、思わず笑みが零れる。やっと、ほっと一息つけた。
わたくしの様子を見て、リヴ兄様は、ゆっくりと話し始める。
「……ばあさんの事は、昔から知っていたんだ。何度か世話にもなった。今日も、城に向かう前に会っておこうと思ってここに寄ったんだ」
「……どうして、お城へ」
「招かれたんだ。アスガルズ帝国の大公として」
「……え?」
リヴ兄様は、何でも無い事を話すように告げる。
「……色々調べて、俺は、アスガルズ帝国のレギオン大公の私生子だった事がわかったんだ。母親は、後継争いを恐れて国境を超え、オセアン辺境伯領に逃げこんだらしい。でも、二人で生きて行く事が出来ず、結局は俺を棄てたようだ」
わたくしは驚いて目を見開く。リブ兄様は、尚も続ける。
「だから、折角だから後継にしてもらおうと思って、ビーストリージョンのトップにいた龍の首を落として……それを手土産に大公家に向かった。何とか功績を認められて、嫡男になって……そうしてる間に前大公が儚くなり、大公位を継いだんだ」
ビーストリージョン……アルフェイムもアスガルズも手を出せなかった、魔獣の無法地帯。思わず、カップを持つ手に力が入る。
「どうして、そんな危ない事を……」
「どうして……か、そうだな……」
リヴ兄様は、笑っているようで……どこか切ない顔をする。どうして?
ふうっと息を吐き、淡々と、話し始める。
「……アスガルズ帝国では、各領地に独自の法律を持つ事を許されている」
……?何の話?わたくしは、思わず首を傾げる。
「俺は、闇属性魔法使いの人権を保護する法律を制定した」
……闇属性魔法使いの、人権?ドキドキと胸が跳ねる。きっと、わたくしの為に、何かとんでもない事をしでかしたんだ。
「俺の領地では、亡命してきた闇属性魔法使いを保護し、バングルを外した生活をして貰う事にした。アスガルズの他二大公家の監視は入るが……それは俺の動向に関してだ」
リヴ兄様は、カップをソーサーに戻す。カチャリという音が、妙に耳に届く。
「まずは、闇属性魔法使い達が快適に過ごせる街を作った。俺の私兵が常時、彼らを守る。”鎮魂歌”の依頼が入れば、正当な報酬を支払い、護衛と共に彼らを派遣しよう」
リヴ兄様が言葉を止めて、強い眼差しでわたくしを見る。
「だから、……一緒に来ないか?ヴィー」
呼吸が止まるかと思った。リヴ兄様は、わたくしの両手をぎゅっと握る。
「……ヴィーと一緒に過ごす事だけを、ずっと夢見て来た」
わたくしは、何も言えなかった。心が、体が小さく震えているのが、わかる。
「……わたくしに、亡命しろ、と?」
「……ルポルト侯爵夫妻の事は、被害が及ばないように、なんとかしよう」
お母様と、お父様の笑顔が、脳裏に蘇る。ダメ……出来ない。咄嗟に立ちあがり、リヴ兄様の手から逃れる。
顔が見れない。思わず背を向けて、声を荒げる。
「そんなこと、できるわけ……そんなこと、して欲しいなんて、私は何も……」
背中で、リヴ兄様が小さく鼻で笑ったのがわかった。
「………そうだな。お前はいつも何も言わなかった……」
え……? 振り返るとリヴ兄様が、ゆっくりと立ち上がる。いつもの、余裕そうな雰囲気のリヴ兄様じゃない。切なげで……傷付いたような顔をする。
「……何も言わず、出て行ったじゃないか。それで、俺がいつか忘れるとでも?お前の事を、何も考えず、のうのうと生きていけるとでも思っていたのか?」
「……!それは……!」
「お前は、いつもそうだ。何でも達観したような顔しやがって……両親の為、祖父母の為、後世の為……そして、最後は俺の為か?笑ってごまかして……誰よりもお前自身が一番先に諦めてるんじゃないか!」
かっと顔に熱が集まる。悔しい。なのに、何も言えない。いつの間にかリヴ兄様がすぐ側まで来ていた。背中がとんっと壁にぶつかる。
「辺境伯領を去る時、何も言えなかったのは……俺に本音を見抜かれるのが恐かったんだろう?お前がそうやって逃げるから……俺はこうして追いかけるしかなかったんだ……」
リヴ兄様の、声が掠れる。リヴ兄様は、視線が逸らせないように、わたくしの頬を両手で包む。手が、小刻みに震えている。
「言えば良かったんだ。ヴィア。そうすれば、周りのみんな、お前の望みを叶えようと動いただろう」
熱い視線に、目が離せない。涙が勝手に込み上げてくる。震える唇を噛み締める。
「…………言ってくれ。ヴィア。…………好きなんだ。お前の為なら、国の一つや二つ、ぶっ壊してくれてやる」
焦がれるような、声だった。こんな熱を、向けられたのは初めてで、どうしたら良いのか分からない。まるで熱が移るように、自分の顔や体が熱くなっているのがわかる。
なぜ、この人は、いとも簡単にわたくしの本音を暴いてしまうんだろう。わかって、しまうんだろう。何層にも、覆い隠してきたのに。
……全部、リヴ兄様の言う通りだ。
だから、何も言えなかった。……この人に会ったら、言ってしまう気がしたから。今のように、泣きながら、縋ってしまう気がしたから。
――……どこにも行きたくない。ずっと、ずっと、あなたのそばにいたい。
ああ……そうか。すとんと、納得してしまう。心に引っかかっていた気持ちが、言葉に変わる。
わたくしは……リヴ兄様の事が好きだったんだ。ずっと、ずっと、好きで、好きで、仕方なかったんだ。
でも…………
『絶対、寂しい思いなんてさせない』
思い出すのは、温かい、お日様みたいな金色。
『絶対だ』
わたくしは、ゆっくり、リヴ兄様の手に自分の手を重ねる。
「……リヴ兄様」
「………ん?」
「……ごめんなさい」
ごめんなさい……涙が次から次へと溢れてくる。心がぐちゃぐちゃで、押しつぶされてしまいそう。
「いけない……」
「……え…」
「……わたくしは、もう、あの日のヴィアじゃないの」
ずるずると、その場にしゃがみ込む。わたくしは、ただ、ひとしきり泣いた。色んなものが大切で、大好きで、恋しくて、涙が止まらなかった……。
その後の事は、良く覚えていない。リヴ兄様が、「また会いに来る」と、立ち去ったのが何となくわかった。しゃがみ込んで、泣いていたら……
気がつけば、側に居たのはリヴ兄様じゃなくて、リヒト様だった。
「ヴィア……」
リヒト様は、わたくしの様子に驚いたのか、近づくのを躊躇っているようだった。
「リヒト様……」
わたくしは、思わず、言ってしまった。
「……婚約を、破棄して下さい」
リヒト様は、声を荒げる事もなく、静かだった。静かに、わたくしに聞いてきた。
「…………彼の、所に、行くの?」
わたくしは首を横に振る。リヒト様を見て、告げる。
「……わたくしは、蟄居する事を選びます」
わたくしは、大切な物を全部抱えて、一人になる事を選んだ。




