43【リヒト視点】約束
それから間もなくして、アスガルズ帝国の皇太子殿下が来訪した。名は、フレイ・ヘイムダル・アスガルズ。陛下の謁見を終えた後、晩餐の席まで温室にてエクレール兄上、クリオ義姉上、エレノア、僕の4人で皇太子殿下をもてなした。
兄上は、帝国の皇太子殿下と幼い頃2~3度会った事があるようで、旧知の仲のようだった。武力の国の皇子と聞いていたから、どんな美丈夫が来るのかと思っていたけれど……どちらかというと儚げで、華奢な雰囲気だった。ブラウンの髪とグリーンの瞳は温もりがあって、大人で中性的な、穏やかそうな雰囲気の人だった。
ただ、実力主義の帝国において、7人いる兄弟の中で皇太子に選ばれた人だ。恐らく、何かしらの実力は隠し持っているのだろう。
横目にエレノアの様子を伺うと、とても緊張しているようだけどまんざらではないようだった。アスガルズの皇太子殿下をちらっと見ては、頬を赤らめている。それだけでも、気持ちが救われる。
フレイ皇太子殿下は、闇属性魔法使いに対する忌避感も持っていないようで、柔軟な発想を示してくれた。それは、歓迎の宴席にてヴィアのデビュタントを行う上で、かなりホッとした。
件の大公閣下は、国の有事を幾つか片付けてから来るとの事で、到着が遅れている。歓迎の宴席までには到着するだろうとの事だった。
義姉上は、だいぶお腹が目立つようになってきた。銀色の真っ直ぐな長い髪を後ろに流し、締め付けのない白いシンプルなドレスを着ている。僕が「お腹が大きくなって来たね」と声を掛けると、銀色の切れ長の目を優しく細めてお腹を撫でていた。兄上は、そんな義姉上を大切にしている。僕の憧れの夫婦像だ。
エレノアの婚姻の話を受けて、来春は第二王子のラグナル兄上もヴァナラントから帰ってくる。エレノアの輿入れはかなり寂しいけど……兄弟全員が一堂に会する機会はあまりないので嬉しい。
その後の晩餐の席でも、陛下と皇后陛下を交えて終始穏やかな雰囲気のまま、その日は終わった。
僕は、学院の廊下でその日の事を思い出しながら歩いていた。白衣を着用し、研究棟に向かう。午後の時間は、リヴィエール子爵令息のランドと、幾つか実験をする事になっている。昼食もついでに研究棟で食べるつもりだ。
頭の中で、色々と思考しながら歩く。概ね、幾つかの行事を終える事が出来た。後は、ヴィアのデビュタントだ。ドレスはもちろん、僕が用意した。白地に金色の糸で装飾が施されている。形はぐっと大人っぽく、でも清楚に見えるようなデザインを選んだ。僕も、揃いの色で衣装を用立てた。
今回の宴席では、他国の皇太子、大公をはじめ、使節団の人々に歓迎の意を表する事、そしてエレノアの婚姻を正式に発表する事が主な目的だ。その為、国中の貴族たちがこぞって参加する予定だ。この機にデビュタントを迎える令息令嬢もかなり多いだろう。
そうそうない規模の宴を前に、もちろん緊張はする。けれど、以前のように震えたりはしない。ヴィアが必ず隣に居てくれるってわかっているし、何より、ヴィアと共に成人を迎えられる事がとても嬉しいのだ。ヴィアとファーストダンスを踊ろう。あのドレスはきっと、会場で綺麗に映えてくれる筈だ。
一人うんうんと、自身の計画にほくそ笑んでいると、目の前の教室から見知った姿が出てくる。
「……グラナティア!」
「リヒト殿下」
グラナティアも、授業が終わったところのようだった。僕はグラナティアに駆け寄る。
「お疲れ様。最近、あまり会えていなかったね。元気だった?」
「はい。お陰さまで……殿下もお変わりないようで」
グラナティアも、にこやかに笑っている。僕は、その様子にほっとしたのもあり……少し浮かれていたのもあって、失敗してしまった。
「これから、昼食だよね?よかったら、一緒にどうかな?」
グラナティアが、表情を強張らせる。そして、少し頬を赤らめながら言った。
「ふ、たり、きりというのは……外聞が悪いのではと、思いますわ」
「あ……、そう、か。そうだね。ごめん。つい……」
婚約者がいる身で、他の女性と二人で食事をしているというのは、確かに外聞が悪い。しまった。完全に僕が悪い。微妙な沈黙に包まれてしまう事数秒……グラナティアが、先に声を出す。
「……先日の」
「ん?」
グラナティアが俯いたまま話すから、良く聞こえない。
「先日、あの後、ヴィアとはどう過ごされたのですか?」
先日……ああ、そうか。グラナティアと会うのは、あのデートの日以来だった。
「あの後……予定通りオペラを見たよ。楽しかった。でも、予定していたレストランでちょっとしたトラブルが起きたようで、夕飯は食べれなくてそのまま帰ったんだ」
「え……」
「なんだか結局、いつも通りになってしまったよ」
はは……と、笑いながら頬を掻く。情けない事、この上ない。
「そう……でしたか」
グラナティアは、少しぼんやりしている。なんだろう?
「……リヒト殿下は」
「? うん」
「リヒト殿下は、これからどうされるおつもりですか?」
「……?どうって?」
グラナティアの意図が、読み取れない。いつも話しをする時はきちんと相手の目を見て、堂々と話すのに……今日のグラナティアは少し様子がおかしい。視線が、合わない。
「……”見学会”のお陰で、じわじわと味方は増えたものの、未だに決定打になるような事はありません。貴族達の対応も、変わっていないでしょう。ヴィアとのご婚約は……どうされるおつもりですか?」
ああ、なるほど……聞きづらかったのかな?でも……
「そうだね……確かに今、それが悩みどころかな。でも、僕は諦めるつもりはないんだ。両親や周囲が何と言おうと、許してもらえるまでいつまでだって、ずっと頑張り続けるつもりだよ」
「……ずっと」
「ああ。ヴィアの側で」
「…………」
グラナティアは、また俯いて、押し黙ってしまう。どうしたんだろう?
「グラナ……」
「……わたくしは」
グラナティアと声が重なった。僕は、グラナティアの言葉を待つ事にした。
「わたくしは……ヴィアが好きです」
「……うん」
「素直で、優しくて、一緒にいると、どこか、落ち着きます」
「うん。そうだね」
つい、微笑んでしまう。ヴィアを思い出してしまって。
でも、グラナティアの表情は読めない。何が言いたいんだろう?
「……どうか、幸せにしてあげてください」
「え……」
グラナティアがぱっと顔をあげる。とても優しくて、見た事のないくらい明るい笑顔だった。
「ヴィアを、幸せにしてあげてくださいませ。絶対に、諦めないでください」
その笑顔は、どこか……大人っぽくもあった。僕も精一杯微笑んで答えた。
「ああ。約束する。絶対に諦めないよ」
それじゃあまた……と、グラナティアに別れを告げた。グラナティアは、やっぱりどこまでも、友達思いの良い子だった。




