39【リヒト視点】デート①
その日、僕はかなり朝早くから身支度をしていた。
湯浴みもして、髪もセットして、街歩きしやすいシンプルな服装を心がけた。正装は、オペラの前の店に用意してある。馬車に乗り込み、ヴィアを迎えに行く。
王都に用意されているヴィアの屋敷は、こじんまりとしているが品がある邸宅だ。白い石の壁をベースにレンガ造りの柱や装飾、グレーの屋根が見える。ブリジット様に教わっているのか、庭には色とりどりの花々と、小さな菜園がある。僕は、馬車の前でヴィアが出てくるのを待っている。いつもと違う雰囲気に緊張してしまう。
「お待たせしました」
ヴィアは、清楚なベージュのワンピースを着ていた。髪をハーフアップにして、後ろに流している。少し……いつもよりも化粧をしている気がする。
――……っ!
一瞬、言葉を失った。なんだか、ヴィアがいつもより輝いて見えて、呼吸するのも忘れてしまったみたいだ。
「……リヒト様?」
「……っ!あ!ごめん」
あたふたと、僕は姿勢を正す。そして、ヴィアに手を差し出す。
「……じゃぁ、行こうか」
「はい!」
二人で馬車に乗り込んだ。
馬車に揺られて数分。目的の場所に辿り着く。
王都有数の店が立ち並ぶ、大通り。兄上は、この通りの殆どの店に、通達を出してくれていた。
今日は、店側も予約数を最小限に留め、闇属性を気にしないでお店に立ち寄れるよう、配慮してくれている。権力とお金の力だ……。さすが兄上。(そして、諸々手配をありがとう。マルクス)
僕は、馬車から下りるヴィアを支え、エスコートする。ヴィアは、興味深げにキョロキョロと見回している。
「どこから行こうか?」
「え?えっと……」
あ、そうか。ヴィアはお店を見て回るって、したことがないんだ。
「まずは文具店に行ってみようか。ヴィアの好きなステーショナリーがいっぱい並んでいるよ」
「……!はい!」
僕は、事前に見て回って、ヴィアが好きそうだなと思う店をピックアップしていた。
そこを順に案内する事にした。ありがとう……さすがだルシエル。
今日の僕の目的は3つ。
1つ目は、ヴィアを気分転換させてあげること。
最近、特に落ち込んでいたから、大好きな物を沢山見て、美味しい物を食べて、一時だけでも忘れて欲しい。
2つ目は、プレゼントを贈る事。
ルシエル曰く、相手の好きな物を贈る事は間違いではないが、正しくもないらしい。婚約者など大切な女性には、時々、何か形に残る物を贈るのが正解という事だ。
最近は、自分の魔力を込めた魔石をあしらったアクセサリーを贈るのが主流と言う。だから僕は事前に、僕の魔力を込めた魔石を預け、ピアスを作って貰っている。
ヴィアが欲しい物があったら、勿論用立ててあげたいけど、これも是非貰って欲しい。
3つ目は……可能であればだけど、気持ちを確認し合えたら嬉しい。
これは、ちょっと恐いから……予定調和というか、無理しない範囲で聞けたらと思う。
一箇所目の文具店では、ヴィアは便箋を見ていた。そういえば、出会ったばかりの頃、沢山手紙を貰ったっけ……。結局、僕から手紙を送る事はなかったな……。
「色々、種類があるんだね」
「…………はい。悩みますね……」
欲しいの全部買っちゃえば良いのに……。ダメか。僕らのお金は、国民のお金だ。
「どれで悩んでるの?」
「えっと……」
一緒に選んでみた。ヴィアは、思いのほか、渋い色が好きだったのを思い出した。
本人いわく、「古き良き趣」らしい。
何箇所かウィンドウショッピングを楽しんで、例の宝石店に入る。
2つ目の計画に重要なアイテムを手に入れる場所だ。
「わぁ……色々あるんですね」
「本当だね」
一緒にショーウィンドーを覗き見る。ヴィアが眺めている場所から、少し離れた所に……実は指輪コーナーもある。
ルシエルには、指輪にしろって言われたんだけど、好みがわからないし……ちょっと、止めておいた。もし、重たいとか思われてしまったら、引きこもりに戻れる自信がある……。それに、折角なら揃いの指輪を二人で見ると言うのも悪くないし……。
つい、どきどきしてしまった。いけない。今の内に頼んでいた物を受け取らないと。
「ヴィア、少し離れるね。ここで待っててくれる?」
「あ、はい。わかりました」
ヴィアは、素直で良い子だ。僕はすぐに店の者に目配せし、少し奥まったところで、約束の物を受け取った。
すると、にわかに騒がしくなる。
「ごきげんよう、ルポルト侯爵令嬢。本日は、どのような御用向きでこちらへいらしたのかしら?|あまりにもみすぼらしい恰好で、一瞬どなたかわからなかったわ」
「あ、えっと……」
「ああ。みすぼらしいのは、お洋服ではなかったわね。その、髪と瞳の色では、何を着ても……ねぇ」
橙色に近いブラウンの毛先をカールさせた髪に、明るいオレンジ色の瞳。肩を大きく出した、黒いワンピースを着ている女性がいた。
あれは……アルトゥス伯爵家のご令嬢か。最近、かなり勢力を伸ばしている家系だ。そうか……この宝石店は、アルトゥス家の所有する商会の店だったのか。商会長の娘の来訪は、幾らなんでも拒めないか……。王命ではないし。
僕はすかさずヴィアの側に行こうと、足を向けると、店の扉が開く。そこには、藍色のワンピースを着たグラナティアが居た。
「グラナティア様……」
「あら……。ヴィア。ごきげんよう。奇遇ですわね。お買い物ですの?」
グラナティアは、アルトゥス伯爵令嬢をまるっと無視して、とても良い笑顔でヴィアに近寄った。いやいや……偶然を装っているけど、ヴィアはそう簡単に街歩き出来ないから。絶対、今日の事を知っていただろう。
アルトゥス伯爵令嬢が、わざとらしく咳払いする。
「……スエロ公爵令嬢。ごきげんよう。今、わたくしが、ルポルト侯爵令嬢とお話していたところですの」
グラナティアは、扇を開き、口元を隠す。
「まぁ……ごめんなさい、アルトゥス伯爵令嬢。あまりにもそぐわないお召し物を召されているので、どなたかわからなかったわ」
そう聞いて、アルトゥス伯爵令嬢を見る。たしかに……昼間にしては、少し肩を出し過ぎ?なのかな?スリットも入っているし……イブニングドレスみたいだ。
アルトゥス伯爵令嬢は、カッと顔を赤らめる。アルトゥス伯爵令嬢がまたゴホンと咳払いをする。
「最近の流行りを御存じないようですわね。さすがわ、スエロ公爵令嬢……選ばれなかったのには、それなりの理由があったという事ですわね」
アルトゥス伯爵令嬢が、にやりと笑う。
グラナティアの眉が一瞬ピクリと動く。選ばれなかった?何の話だろう……。
「まぁ……言い方を間違えたようだわ。ご自身の事を客観的に判断する事が苦手なご様子ですので、お着替えになってきた方がよろしいのでは?と言いたかったの」
アルトゥス伯爵令嬢が、ますます顔を赤らめる。僕は、どうやって割って入るか考えながら近づいて行くと、一歩早くヴィアが動いた。
アルトゥス伯爵令嬢の額に、手を当てたのだ。アルトゥス伯爵令嬢は、瞠目して、ヴィアの手を払いのける。
「な……!何をなさいますの?!」
「あ、申し訳ありません。どうやらご体調が優れない様だったので……」
「……え?」
「お顔は赤いし、先程から何度か咳き込まれています。ご無理はなさらない方がよろしいかと……」
アルトゥス伯爵令嬢は、ぽかんと口を開けている。グラナティアは、そっと視線を外している。僕はそっと近づいて、取り合えずヴィアとグラナティアを連れて、外に出た。そこには……
「……ルシエル」
「……あ、ばれた」
「まさか……エレノアまで連れてきてないよな?」
「それは、さすがに……」
どうやらルシエルから話を聞いて、アルトゥス伯爵令嬢の店である事に気がついたグラナティアは、「気になるから行ってみたい」と公爵家の権力を使って店に予約を入れていたらしい。ルシエルは、白状してしまった手前、グラナティアの動向が気になり着いてきた……と。人の事言えないけど、全員、家の権力を使い過ぎだ。
それからは結局、4人で街を歩く事になった。ヴィアが、「みんな一緒の方が楽しい」と言うからだ。
これはもう、デートでは無い。オペラの時間まで、僕らはいつも通りみんなで楽しむ事にした。




