36【リヒト視点】休日の使い方
そんな折の事だった。
僕は、最近、休日は専ら皇太子殿下の仕事を手伝っている。
ルポルト侯爵家で学んでる領地運営の基礎知識を腐らせないようにと、兄に声を掛けられたのだ。ここでは、国の今後の指標に関わる案件も多く飛び交っている。刺激的で、とても楽しい。
今日も兄上の執務室で、兄上や側近のマルクスと話しながら、書類の整理や簡単な問題の決裁等を手伝っていた。僕はつい話の内容に驚いて、目を瞬いてしまった。
「婚姻?ですか?? エレノアが?」
「ああ。そうだね」
「……けれど、エレノアはまだ15になったばかりです」
「王族なら、別段珍しい年齢でもないだろう。それに、相手は帝国の皇太子だからね。悪い話じゃない」
「帝国……」
この国、アルフェイムで”帝国”と呼ぶのは、隣国アスガルズ帝国の事だ。
アルフェイムは、ブリジット様のお母上の生家であるヴァナラントを西側に、アスガルズを北側に挟まれている。アスガルズのすぐ脇には、オセアン辺境伯領が位置している。
魔法に置いてはアルフェイムの方が数段上で、アスガルズでは魔法を使える者が年々減って来ていると言う。平民で、魔法が使える者はもう殆どいないらしい。
ただその代わり、軍事力と財力、魔道具開発に置いて、彼の国はこの大陸を誇っている。多民族国家で、皇帝はいるものの、各領地においてはその主の権限がかなり大きいと聞く。この王国とは、しきたりも何もかも違うだろう。
「……少々荷が重いのでは?」
「……そうも言っていられないんだよ。魔獣が荒れている今、うちとしても軍事と魔道具は手に入れて置きたいところだし。先方も、新たな魔道具開発に置いて、アルフェイムの魔法使い達の力を借りたがっているから……まあ、ここいらで1つ友好を深めておこうと言う、陛下のお考えだ」
この数年、結局魔獣の特異な行動の原因は突き詰められずにいる。件数は毎年そう多くはないが、先日ついに被害者が出た。シールドを破れる程の上級魔獣が、人里に下りて来て親子を襲った。幸い一命を取り留めたものの、子供をかばった父親が背に大きな傷を負ってしまった。
それを受けて、今は国の管理する義勇軍と魔法師団、あとはオセアン辺境伯家をはじめ軍事に長けた家の私兵が力を貸してくれ、シールド脇を常時見回ってくれている。
一方、帝国側では昨年、強力な魔獣が横行する無法地帯”ビーストリージョン”を、帝国大公の年若い息子が武力で陥落させたというニュースで賑わっていた。この“ビーストリージョン”は、帝国とアルフェイムの国境沿いにあり、あまりにも強い魔獣達が住まっていた為、どちらの国も長年手が出せずにいたのだ。その事で帝国側は、新たな鉱山を手に入れ、両国の流通の道を広げる事が出来た。
魔法ばかりに頼ってしまい軍事力が弱いアルフェイムとしては、魔獣討伐の力と知恵を貸して貰えるのは、確かにありがたい話なのだ。
「今度、顔合わせを前に、先方の使節団がやってくる。その後、折を見て皇太子と噂の大公もやって来る予定になってる。……それもあって、今年からは”見学会”は実施してあげる事は出来なさそうだ。もてなしで忙しくなるからね。それに、”鎮魂歌”は、どうしても強力な魔獣が多くいる森の近くで行うから、危険もある。貴族を一同に集める事は出来ない」
「そう……でしたか。わかりました」
僕は、少し肩を落とすが……事情は理解できるので、すんなりと受け入れる。そもそも、難しいんじゃないかと、どこかで思っていた。
「そして、お前の”鎮魂歌”の儀への参加も容認できなくなった」
「えっ!?」
それは、聞いていない。僕は思わず腰をあげる。兄は、普段と変わらずニコニコと答える。
「お前はまだ二次覚醒していないだろ? バングルを外す作業が出来ない。でも、今王族を二人、シールド脇に向かわせる事も出来ない。警備の問題でね。可哀相だけど、お留守番だ」
「そ、んな……」
僕が二次覚醒していない弊害が、ここに来るのか……!思わず頭を抱えてしまう。兄上が席を立ち、僕のすぐ脇までやって来て、ぽんぽんと宥めるように背中をたたく。
「先代とヴィアラテアの事は心配しなくていい。いつも以上に護衛を付けて、僕が同行するから。……その代わりと言っては何だけどね。少しお膳立てしてあげよう」
はい、と何かを手渡される。受け取ると、チケットのようだ。
「……これは、オペラ、ですか?」
「ああ。クリオが後援している劇団の物なんだけどね……クリオは今、無理が出来ないからね。折角だから、君達にあげよう」
クリオとは、兄上の奥方だ。今、お腹に新たな命を宿している。兄上は昨年、満を持してローファの大聖堂で、結婚式を挙げた。ちなみに、ヴィアは参列できなかった。そこでも、闇魔法使いがいるなんて縁起が悪いのなんだのという者達がいて、僕は少し荒れた。ヴィアが止めなければ、今頃はあの禿げ頭の些細な悪事を隅から隅までつついて、いっそ髪がなくなり、歯が最後の一本になるまでストレスを与えてやれたのに……。
「いつも学院や王城くらいでしか、会えていないだろう?事前に幾つかの店にも通達を出しておいてあげるから、デートに行っておいで」
「デ、デート……!」
顔を真っ赤にして、ぴんっと背筋を伸ばす。デ、デートなんて……何だか妙に恥ずかしい……。
「今年から、お前もヴィアラテアも正式に社交界に出るようになるだろう?有象無象が大勢いる世界だ。その世界に飛び込む前に、親睦を深めて英気を養っておいで」
アルフェイムでは、16歳になると大人とみなされ、正式に社交界に出る事になる。ヴィアは、僕の成人を待っていたので、1年遅れのデビュタントとなる。オペラは、正式な社交の場だ。舞踏会の他に、暗に僕らが婚約関係である事を、示唆する場所でもある。
「…………う、うん。ありがとう……」
顔が熱くなって、ドキドキする。ヴィアをどうやって誘おう? 急にそわそわしてしまう。
僕は、その日一日、仕事をしながらもその事で頭がいっぱいだった。




