3【リヒト視点】初めての顔合わせ
その日、王城の中庭では数百種類のバラが、春の見頃を迎えていた。
僕らは、中庭のガゼボで一足先にティータイムを取りながら、婚約者であるライラ・ルポルト侯爵令嬢の到着を待っている。
用意されたティーカップを手に取り、国を誇る最高級の茶葉の香りを感じる。僕も一応、王族の一員だ。マナーは完璧に身につけられている。ただ、伴わない時もあるだけで。
カチャカチャカチャカチャ……
僕がカップに手を伸ばす度、手の震えが伝わりカップとソーサーのぶつかる音が微かに鳴る。本来はマナー違反だ。母や控えている者達が、みんな気遣わしげに時々こちらを見ているのがわかる。けれど声は掛けて来ない。下手に声を掛けて、僕が逃げ出してしまうのを恐れているのだろう。この沈黙が、また居た堪れない。
今日この日の為に、僕は裏に表に大層磨かれた。不揃いだった髪は整えられ、視界もクリアになった。心もとない。肌も無駄につやつやだ。白子豚体型は、どうしようもなかったけれど……。
初対面の人と会うのは、いつぶりだろうか。そもそも、僕は何をこんなに恐れているのだろう?僕がどう思われるのか心配なのかな? 大丈夫。どう見ても、ただの身綺麗な白子豚だ。変わっている子と思われるのが心配? なら、今日のところは相槌だけで、何も喋らなければ良い。何度か深呼吸しながら、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。体の芯が勝手に震えているが、幾分呼吸はしやすくなったかもしれない。
紅茶の温もりに癒されながら何とか逃げ出さずにいると、侍従の一人が『いらっしゃいました』と、僕らに声を掛けてくる。きた!心臓が跳ねる。胸を軽く押さえながら、ガゼボに向かう入口を見る。
侍女長に案内されてやって来る、深緑の波打つ長い髪の女性が見える。恐らく、彼女が母の言っていたオリビア・ルポルト侯爵夫人だ。その背に隠れる小さな存在。ふっとその姿が現れた。
…………――――――!
…………――可愛いっ!
緩やかに波打ち艶めく藍色の髪と、大きな紫紺の瞳。優しそうな顔立ちに、明るい表情。
闇属性の魔力を持っているという先入観で、勝手に暗い、怖いイメージを抱いていた。恐らく髪と瞳の色は、その身に蓄えられた強い魔力の影響を受けているのだろう。珍しい色ではあるが、それが却って神秘的な美しさを湛えている。
少しの間惚けていると母の視線を感じ、僕はあわてて立ち上がり、胸に手を当て礼を取る。
夫人と少女が、綺麗なカーテシーで僕らに挨拶をする。
「皇后陛下、ならびに第三王子殿下にご挨拶申し上げます。ルポルト侯爵家から参りました。オリビア・ルポルトに、娘のヴィアラテア・ルポルトでございます」
母がとても嬉しそうに眼を細め、明るい声で迎える。
「よく来てくれました。オリビア、久しぶりね。元気そうで安心したわ。ヴィアラテアさんとは、はじめましてね。とにかく二人とも、こちらにお掛けなさい。お話しましょう」
二人が着席するのを待ち、僕も席に着く。四人掛けの席の、僕の隣にルポルト侯爵令嬢が座る。近い……。顔が見られない。黙して俯いていると、母が気にせず続ける。
「ルポルト侯爵も変わらずかしら?」
侯爵夫人も、嬉しそうに応える。
「お久しぶりです、陛下。お陰さまで、主人も変わらず息災にしております。この度は格別な御縁のお話を頂戴し、光栄でございます」
「わたくしも、嬉しいわ。まさか学院で後輩だったあなたと、縁戚になるなんて。あなたが、あの肩物な辺境伯の元を飛び出して、卒業を待たずに、侯爵の外遊先に押し掛けていった時はどうなるかと思ったけど……幸せそうで何よりだわ」
「そ、そのお話はその辺で……。お恥ずかしい限りです」
夫人が可愛らしく頬を染める。僕は内心少し驚く。貴族間で、そんな情熱的な恋愛結婚は珍しい。当時は恐らく、かなり話題になっただろう。ルポルト侯爵令嬢の方は、その話をニコニコ嬉しそうに聞いている。
「ヴィアラテア……で、良いかしら? オリビアによく似ているわ。あなたは確か、ここのところ辺境伯領に身を寄せていたのよね?」
ルポルト侯爵令嬢は、突然話を振られて、少し驚いたように眼を見開き、夫人の顔を見る。夫人が笑顔でうなずくと、安心したのかおずおずと話し出す。
「はい。両親が他国に赴く事が多かったので、陛下の許可を得て、5つの頃より祖父母のいるオセアン辺境伯領に身を寄せておりました」
「5つ……という事は、6年もそちらにいたのね。陛下の我儘で、侯爵を振り回してしまっていたのではない? 寂しい思いをさせてしまって、ごめんなさいね」
「……いいえ!父からは、陛下はきちんとわたくし共を慮ってくださってると、聞いています。辺境伯領でも、温かく迎えて貰っていたので、大丈夫です」
「……それなら、良かったわ。それにしても、本当に可愛いらしいわね~。私にも一人娘がいるのよ。エレノアと言うの。その子も引っ込み思案な子なのだけど、どうか仲良くしてあげて頂戴ね」
「はい。わたくしの方こそ、仲良くして頂けると、光栄です」
緊張もしているだろうけど、阿る様子もなく、素直に受け答えをする姿に好感が持てる。1歳しか違わないのに、この差はなんだろう。地味に落ち込むが、変わらず空気と化す。その後も、母と夫人、時折令嬢を交え、談笑が続く。
不意に、ルポルト侯爵令嬢が、母に勧められ菓子に手を伸ばす。その腕には、肌に吸いつくように白いバングルが嵌められていた。母もそれに気がついたようで、労わるように声を掛けた。
「……それは、不便では無い?」
ルポルト侯爵令嬢は、一瞬何を言われたのか分からないようで、きょとんとする。けれどすぐに察し、自分の腕に視線を移した。両腕に着けられたそれに、軽く触れながら応える。
「……はい。先代の闇属性魔法使いと魔道具士の皆様が、ドレスに合うようにとデザインも気遣って作ってくれたので、不便さを感じた事はございません。元々、闇魔法は日常的に使えるものでもありませんし……」
魔力を抑制する拘束具だ。闇魔法を抑える事ができるのが現状闇魔法だけな為、バングルは先代闇属性魔法使いと魔道具士が作成し、譲渡されるようだ。初めて知った。魔力を抑制されると、利き手を抑えられたように不便さを感じると言うが……目の当たりにすると、何とも言えない気持ちになる。
「そう……。何かあれば、何でも言って頂戴ね。これから、あなたも社交界に出るようになるでしょう。その中には、口さがない者も多くいると思います。けれどこれからは、王家が後ろ盾となり、あなたを守る事を約束しましょう。……どうかもう一つの家族と思って、頼って頂戴ね」
「……は、い。本当にありがとうございます」
初めて彼女の顔が少し陰った。ほんの少しだけど。
僕はひきこもる前、貴族の子供達と交流がまだあった時に聞いた、闇属性魔法使いの噂を思い出した。『人の魂を奪う魔女』とか、『人を眠りに誘い、二度と目を覚まさせない』とか、『魔獣を惑わし人を襲わせる』とか……、『枷を付けられた罪人魔法使い』とか。
目の前にいる彼女は、そんな事から程遠く感じる。終始穏やかで、言葉の端々に色んな人々への感謝と配慮が見える。彼女はどれだけの蔑称を、耳にしてしまっただろう。
僕はちらっと、彼女の顔を見る。先程の陰りも嘘のように、綺麗な横顔だ。僕の視線に気がつき、彼女もゆっくりと微笑みながら、僕の方を……み、見た!
「も、申し訳、あり、ま、せん!……た、体調が、体調がすぐれません、ので、僕、僕は、……これで!」
気がつくと僕は立ち上がり、そう叫んでいた。その後は、どうやって飛び出てきたのかわからない。
顔が熱く、動悸が止まない。ただ僕は、一目散に逃げていた。
呼んで頂き、ありがとうございます。いつか、オリビアとルポルト侯爵の恋の話も書きたいなぁとか考えています(*^―^*)