17【ヴィアラテア視点】あの時……
お披露目会の朝……。
朝早くから裏に表に磨かれて、ドレスを着用する。この日の為に、皇后陛下とリヒト様が用意して下さったのは、クリーム色の清楚なドレスだった。肩と腕はレースで隠されており、華美な装飾ではなく、小花が散りばめられた愛らしいドレスを着る。
この国では珍しい藍色の髪と紫紺の瞳に、このドレスが合うか不安だったけれど……うん。着てみると、悪くない気がする。最後にメイクをほどこされ、髪を整えるだけ。鏡の前に座って侍女を待っていると、母が部屋に入って来た。
「ヴィー、どうかしら?準備は順調?」
母は長く波打つ深緑の髪を、ハーフアップにして後ろに流している。大きな薔薇の色の瞳が、艶やかでとても綺麗。実は母は、緑属性の魔力を持っている。母方のオセアン辺境伯家では、系図を辿ると単一種の出生率が、他家よりも少し多い。同時に、中々子を授からないという特徴もある。エルフの血が濃いからとか、屋敷が濃い魔力溜まりの森の側にあるからとか、色々言われているけど、原因は未だにわかっていない。
深緑の色が渋くて女の子らしくないと揶揄されたらしいけど、お花の精みたいで、わたくしは昔から大好きだった。……たぶん、お母様が持つ色なら、どんな色だって好きになってしまったのだろうけど。
「大丈夫よ。あとは、メイクとヘアセットだけなの。お母様と同じ髪型にお願いしようかしら」
「ふふ、嬉しい。お揃いね」
母がわたくしの後ろまでやってきて、髪をいじりだす。お母様こうして、時々わたくしの髪をいじりたがる。
「お母様、今日もとっても素敵ね。とっても綺麗」
「ありがとう。あなたもとっても綺麗よ。娘と着飾ってお出かけ出来て、嬉しいわ」
わたくしは、今日が初めての社交だ。こんなに綺麗に着飾るのも、今日が初めてだ。実はとても緊張している。お昼間のお茶会でこんなに豪勢なら、デビュタントや舞踏会、結婚式なんかはきっともっと華やかなんだろうなぁ。
そんな事を考えていると、母が察したように話しかけてくる。
「もしかして、緊張してる?」
「それは……もちろん。だって、こんな綺麗なドレスを着るの、初めてだもの」
「そうよね。大丈夫。皇后陛下もいらっしゃるし、王子殿下も、私も側にいるわ。百人力よ」
母が嬉しそうに笑う。母の暗い顔は、あまり見た事が無い。わたくしもつられて微笑む。
「……ヴィア、もしかしたら意地悪を言う子がいるかもしれないわ。社交の場って、色んな意見の人がいるから。でも、大丈夫。あなたは、ダレンと私の自慢の子よ。大切な宝物。胸を張って、堂々としていてね」
「……はい。ありがとう、お母様。お母様、大好きよ」
「ええ。私も大好きよ」
結局、髪はぴんぴん色んな所が跳ねてしまったので、後から来た侍女に直してもらった。
初めて参加した社交の場は、とても華やかだった。
みんな、三者三様に美しさを誇り、とても綺麗だった。リヒト様と並び、ご挨拶していたら、みんなとても友好的に挨拶を返してくれたので、油断していた。
「…………醜いこと……」
…………え?
一瞬何を言われたのか、わからなかった。でも、その呟きは、波紋のように広がって行ってしまった。
『……たしかに』
『おっしゃるとおりですわ』
『あの紫……とても毒々しい色』
『……やっぱり残忍って噂は本当なんじゃないか?』
『……闇属性魔法使いは、悪い魔女だってみんな言ってたもんな』
『……やっぱり、世に出すべきじゃないんじゃないか?』
『……王子殿下も、お可哀そうに。三番目に産まれたからって、あんなの宛がえられちゃって』
恐かった。こんなにも一瞬で、人々の視線が変わる。お母様の声を繰り返し思い出す。
わたくしは、お父様とお母様の自慢の子。堂々と、堂々と、笑わなくちゃ。
知らず知らずドレスの裾を固く握りしめていた。リヒト殿下にも、ご心配をお掛けしちゃう。
恐い、ダメ、笑え、笑え……お願い。涙、こぼれないで……
すると……
「……うわっ!」
――……ガシャガシャガシャ、ガチャン!パリン!……――
突然大きな音がした。わたくしをはじめ、周囲の人みんながそちらを見ていた。
どうやら給仕の方が、飲み物を載せていた盆を派手に落としたらしい。
ふと、視線をあげると少し離れた所の回廊に………
リヴ兄様が居た気がした。
労わる様な、深い海の色の瞳。
ほんの一瞬……すべての音が聞こえなくなった。
「……ヴィア、ヴィア。大丈夫?」
はっとして、肩を揺らす。リヒト様の言葉が耳に届く。黄金の瞳が、心配そうにこちらを見てる。
大丈夫だと、言わなくちゃ。
「…………大丈夫です。申し訳ありません……」
その後は、圧巻だった。
あんなに人を恐がっていたリヒト様が、場の空気を一瞬で制圧した。
その瞳と声音、醸し出す空気は、皇后陛下やエクレール様と同じ、為政者のそれだった。
それに何より凄いのが、その記憶力。
誰が何と呟いたのか正確に覚えていて、その人物のバックグラウンドまで熟知していた。
以前、ひきこもっている間はする事が無いから、ゴシップ誌から専門書まで読み物はすべて網羅したと、笑っておっしゃていた事があったけど……
すごい……すごい! つい、感動してしまう。
でも、言い終わった後、リヒト様はどこか浮かないご様子だった。
「……ヴィア、行こう」
「え……」
後ろを、振り返る。リヴ兄様は……いない。やっぱり、見間違いだったのかしら。
わたくしは、会場を後にする為、精一杯の強がりで綺麗なカーテシーをして、リヒト様の後を追った。
その夜、リヒト様とお話しする事ができた。リヒト様は、スエロ公爵令嬢を傷つけてしまったのではと、心配されていた。やっぱり、優しい方。人の為に怒り、怒りを向けた相手の気持ちすらも考え、傷付いてしまう。
これでは、追い詰められてしまっても、仕方なかったのかも。
リヒト様とスエロ公爵令嬢の話を聞いて、自分とリヴ兄様の事を思い出す。
大切な過去に残して来た、大切な人。
「……そうかな。もう、嫌われちゃったんじゃないかな?」
リヒト様の不安が、とてもよくわかる。だからこそ、紡ぐ言葉もわかる。
「おっしゃっていたではありませんか。僕達は、仲が良かったと」
「うん」
「……その思い出は、リヒト様だけの物ではありません。彼女の中にも、必ず残っています」
「……」
「……だから、大丈夫です」
絶対に……と、静かに、力強く、そう言った。それは、自分自身に向けた言葉だったのかもしれない。




