16【リヒト視点】やってしまった
「……ベルヒ伯爵令息」
「……はい!」
突然呼ばれた、ベルヒ伯爵令息は肩を跳ねさせた。ヴィアを、『世に出すべきじゃない』と言った馬鹿だ。
「先月、君の領地のシールド間際に魔獣が出たんだってね。王宮の騎士に、支援要請が来たけど、その後どうなったかな?」
「……え?え?」
「まさか、知らなかったわけじゃないよね。たとえ次男とは言え、自分の生家の領地と領地民の安否に関わる事だもの。君の領地は、どうしても魔獣の出る森の側を通らないと、物資の運搬が難しいからね。ああ。僕の婚約者に、よくよく頼んでおくと良いよ。彼女ら闇属性魔法使いがいないと、魔獣は制限なく襲いかかって来るからね」
ベルヒ伯爵令息は、言葉を失って俯いた。
次は誰だ? ああ、あいつにしよう。どんな『噂』を聞いたんだ?
「イグニス子爵令息」
「はい!」
「君は、今領地が大変な事になっているんだってね。確か子爵が投資詐欺にあったとか……」
イグニス子爵令息が、顔を真っ赤にする。
「子爵に伝えてくれ。人の話を鵜呑みにして、自分の目で、耳で、確かめないからそういう事になるんだって」
次はあいつだ。『闇属性魔法使いは、悪い魔女だってみんな言ってた』んだろ?
「フェルト伯爵令息」
「は、はい……」
「君には友人が多いようだ。闇属性魔法使いについて、知っている事を是非聞きたいな。その折は、フェルト伯爵とルポルト侯爵と……そうだな。折角だから陛下も同席して貰おう。是非、みんな連れて来てくれ。その方が、いっぺんに終えられて手間が省けるから」
「ヴァント伯爵令嬢」
「は、はい!」
「君の領地では、先日、美しい紫色の絹織物の輸入品が手に入ったと聞いたよ。皇后陛下に献上品があったと。まさか、その領地の人間が、毒々しい色だと思って上納していたとは、思わなかったよ。母には、僕から言っておこう。折角だけど、流通させる気はないようだって」
「そ、そんな……」
「お、王子殿下、おやめください。僕らはまだ、子供です。領地の事を、まだまだ把握しきれていない子供も多い……」
「フルトナ伯爵令息。それなら、社交の場に来るべきじゃない。ここは、身分や立場を背負った者達が呼ばれる場所だ。そんな事、第三王子の僕でもわかる。惜しくも今日は、皇后陛下が、僕とルポルト侯爵令嬢の婚約を祝い、みなと交流が図れるよう整えて下さった場だ。そんな場で、彼女を悪し様に言うなど、言語道断だ!!全員、恥を知れ!」
場が、しん……っと静まりかえる。
僕は、グラナティアに向き合う。
「グラナティア……いや、スエロ公爵令嬢」
グラナティアは、びくっと体を揺らす。
「ち、違……、誤解です!わたくしは、……」
「……見損なったぞ」
「…………っ――!」
グラナティアはドレスのすそをギュッと握り、俯いてしまった。その姿を見て、なんだか急に心が冷えた。怒っていた筈なのに、グラナティアが泣きそうになっている姿を見て、申し訳なく思っている自分が居る。
「……ヴィア、行こう」
「え……」
僕は、踵を返し立ち去ろうとする。ヴィアは、一瞬ためらったようだが、綺麗に微笑み、その場で全員にむかってゆっくりカーテシーをして、僕について来た。ああ……やってしまった。
会が終わった後、母上と僕とヴィア、そして今日はルポルト侯爵夫人も交えて、報告会をする事になった。
夕餉まで、みんなでサロンに集まる。
「はっはっは!なんとも、痛快ね!」
声高に笑うのは、母上だ。
「それで、あなたはどうしてそんなに落ち込んでいるのよ」
僕は、ソファーに座って、ずんっと俯いて落ち込んでいた。ルポルト侯爵家母娘が、僕を心配そうに見ている。
「……それは、だって……ヴィアの為の折角の会だったのに。僕が台無しにしてしまって……」
「あら。そんなことないわよ。王家と縁戚になった娘を悪し様に言うなんて、王家を冒とくしてるも同じことよ。早いうちに芽が摘めて良かったじゃない」
「王子殿下。わたくしも、とても嬉しく存じます。ずっとわたくしが言いたかった事を、王子殿下が代わりに言ってくださって」
ルポルト侯爵夫人は、嬉しそうに頬を紅潮させている。母二人は、その後も楽しそうに今日の話をしていた。
僕は、その後もただ俯いていた。ヴィアが、気遣わしげにこちらを見ている視線を感じながら。
その夜、僕はひとりでテラスに用意されてる長椅子に、膝を抱えて座っていた。夜風が頬に触れて、とても気持ちいい。
「……リヒト様」
驚いて振り返る。寝巻の上にガウンをはおった、ヴィアが居た。そうだ。今日は母娘で王城に泊まっているんだった。
「……眠れないのですか?」
「……うん。ちょっとね……」
「そうですか……」
僕は膝をほどき、隣の席を薦める。ヴィアは促されるまま隣に座り、空を眺める。ヴィアの持ってきたランタンには、光石が詰められてる。光石の光が揺らめき、温かい。
「……今日は、ありがとうございました」
「ん?」
「わたくしの為に、怒ってくださって……」
「ああ……。いや、それは全然……」
「……他に、何か気になってることがあるんですか?」
「え?」
ヴィアが僕を見る。紫紺の瞳が、透き通ってる。全部、見透かされてるみたいだ。
「落ち込んで、いらっしゃるようだったので……」
「……うん。そうだね」
指をもじもじと、意味もなく動かす。どう、話せば良いのか……。モヤモヤして、スッキリしない理由が、自分でもよくわからない。
「……スエロ公爵令嬢の事ですか?」
「え?」
「仲が良かったと、聞いていたので……」
弾かれたように顔をあげる。……そうかな。そう、なのかもしれない。
「……うん。そうかもしれない……。僕らは、本当に仲が良かったんだ」
「……はい」
「本当に、優しい子だったんだ……公爵令嬢として、厳しいところはあったけど」
「……はい」
「あんな、あんな酷いことを、言う子じゃなかったんだ……」
「……はい」
僕は、押し黙ってしまう。ヴィアは、静かに告げる。
「……誤解だと、おっしゃっていました」
「え?」
「スエロ公爵令嬢は、『誤解』だと」
「ああ……」
……そういえば。そんな気もする。でも、だとしたら。
「僕は……酷いことを言ってしまったんだろうか」
僕は、誰に言うでもなく、そう呟いていた。心の一番奥に引っ掛かっていた言葉が、ぽんっと出てきたみたいに感じた。
「……大丈夫だと、思いますよ」
「え?」
ヴィアは、いつも通りの微笑みで、夜空を見上げた。
「つまり……仲直りがしたいんですよね?『理由も聞かず、酷いことを言って申し訳ない』と、『誤解なら、理由を聞きたい』と、……きっと、そう言えば良いのです。大丈夫です。会う機会は、いくらでもあるのですから」
「……そうかな。もう、嫌われちゃったんじゃないかな?」
僕を見て、ふふとヴィアは笑う。
「おっしゃっていたではありませんか。僕達は、仲が良かったと」
「うん」
「……その思い出は、リヒト様だけの物ではありません。彼女の中にも、必ず残っています」
「……」
「……だから、大丈夫です」
絶対に……と、静かに、力強く、そう言った。その後、僕らは今日の楽しかった話をした。いつの間にか、心は落ち着いていた。




