4.母親ではない私
ガスリー邸に帰ると、コーデリアは憤然とガスリー家当主に抗議した。
「説明して下さい!私を迂回して子どもたちと話し合っていたというのは、どういうことですか!」
しかし義理の弟のクラークは、困った顔で彼女にこう返した。
「どうって……騎士見習いの話を持って来たのも、婚約者候補との見合いを請うたのも、全部君の子どもたちだよ。私は彼らの意思を尊重してハルフォード家に取り次いだだけだ」
コーデリアは初めて聞く話に凍りつき、言葉を失った。
「……え?」
「私はむしろ、今の話を聞いて驚いている。私はどちらの件も、てっきり子どもたちと君が話し合って決めたことなのだろうと思っていたから……」
クラークも戸惑いを隠せていない。コーデリアはふらつき、彼の机に両手をついた。
「そ、そんな……あの子たちったら、なぜ?」
「私も分からん。けれどひとつ言えるのは、彼らはもう子どもではないということなんだろう。大人を通さずとも将来を考えられる、立派な意志がある」
コーデリアは唇を震わせた。ついこの間まで赤ちゃんだと思っていたのに、いつの間にか彼らは大人になっていた。下手をすれば子に依存していた自分よりも、ずっと大人に。
コーデリアは目をこすりながら、静かにクラークの書斎を出た。
涙が止まらない。
その涙は嬉しさからなのか、寂しさからなのか、怒りからなのか、彼女にはまだ分からなかった。
と、そこへ──
「お母様!」
玄関ホールの方から甲高い声がして、ばたばたと足音が走り込んで来た。
走って来たのは、アーサーとチェルシーだった。
「あ、あなたたち……!」
「母上、ごめん!」
「アーサーまで、どうして……」
「私たち、ハルフォード家の馬車で送って貰ったの!」
二人の子どもはいつものように母の懐に飛び込むと、ぱっと顔を上げた。
「母上……勝手に決めたこと、怒ってる?」
「お母様、黙っててごめんなさい!でも、私たちお母様に幸せになってほしくて……」
コーデリアはその言葉に驚愕した。
「私はずっと幸せだったわ!あなたたち、何でそんなことを言うのよ……」
「えー。だって母上、この家でちっとも笑ったことがなかったじゃないか」
コーデリアはどきりと冷や汗をかく。いつだって努めて微笑んでいたはずなのに、なぜ彼らの目にはそう見えていなかったのだろう。
「そう?笑っていたはずよ……」
「えー、そう?」
コーデリアは今までの自分がどんな顔で生きて来たのか、急に不安になって来た。と、その心情を表すかのように、外では雨が降り始めた。
「あっ、雨だ」
「大変。サミュエルを入れてあげなくちゃ……!」
コーデリアはそれを聞いて目を丸くした。
「……サミュエルが来ているの!?」
「うん。送ってくれたのはサミュエルだよ」
「……そう」
コーデリアは焦る足取りを悟られぬよう、静かに玄関まで歩いて行く。
そこには雨に濡れたサミュエルが、執事に差し出されたタオルで体を拭いていた。
暗い夕空の中、二人の目が合う。
彼に瞳を射抜かれた気がして、コーデリアは目を逸らした。
背後から、静かな期待が渦巻いている。コーデリアとサミュエルは、同時にそこへ視線を走らせた。
子どもたちがいる。彼らは目を爛々とさせて口々にこう言った。
「雨だから……お帰りになるには、足場が悪いわ」
「僕もそう思うなー。明日、晴れてから帰ればいいんじゃないかなー」
彼らの少しおどけた様子にコーデリアは苦言を呈そうとしたが、
「……いいですか?」
と、サミュエルが期待の眼差しで尋ねて来たので、彼女は驚いて二の句が継げなくなってしまう。
クラークも玄関先にやって来た。
「世話になるな、サミュエル殿。今晩はうちで泊って行くといい」
「申し訳ありません……恩に着ます」
「コーデリア、お客様を客間へ案内して差し上げろ」
コーデリアは言われた通りサミュエルを客間へ通すと、そのまま出て行こうとした。
──が。
「コーデリア様」
背後から声をかけられると、魔法がかかったように彼女の足は動かなくなってしまう。
「……お話が」
コーデリアはずきずき疼く胸を押さえ、扉を閉めるとそっと踵を返した。
それはきっと、彼女の人生で初めて何らかの欲望を持って動いた瞬間。
コーデリアは雨音の鳴る静かな部屋で、彼と対峙する。
サミュエルの青い瞳が、静かに彼女の姿を映し出していた。
「あなたに聞いてみたいことがあったんです」
コーデリアは顔色を変えずにそれを聞く。
「コーデリア様は……何をしている時、一番幸せなんでしょうか」
彼女は答えを出すように、近くの燭台に火を灯した。
「……分かりません」
サミュエルの顔が、困惑に歪む。
「でも」
コーデリアは、今日は心のままに喋る。
「それはこれから、見つけて行くのでしょうね……きっと」
サミュエルは彼女の何もかもを受容するように何度か頷くと、努めて明るい声で言った。
「ひと仕事、終えられましたね。アーサーもチェルシーも、立派になった。あんないい子たちはなかなかいませんよ」
「……」
「女手ひとつで彼らを育て上げたコーデリア様の苦労は、並大抵のものではなかったはずです」
「……」
コーデリアはサミュエルを見上げる。温かい慈愛の目がそこにあった。
「皆さんの信頼関係の深さに、敬意を表します」
コーデリアはその言葉を受け、こくんと頷いた。
その先は言葉にならなかった。彼女の嗚咽を、雨音がかき消して行く。
サミュエルは黙ってそっと彼女に近づいた。コーデリアは泣きながら彼の方へ踏み出す。
サミュエルに抱きすくめられた時、ようやく彼女は声を上げて泣いた。