3.娘の婚約
それからコーデリアは、サミュエルと二度と会うことはないだろうと思われた。が、今度はチェルシー側からこんな話がもたらされた。
「お母様。ハルフォード伯爵家から、婚約のお話が来ているのよ」
コーデリアはぎょっとした。娘の結婚などもっと後に来るものだと思っていたが、よくよく考えればその前に、婚約する家を決める仕事があるのだ。
「こ、婚約?まさかサミュエルと……!?」
「違うわ。ハルフォード伯爵家を通して、色んな騎士様から婚約の誘いが来ているの。もしよければ、お母様にもついて来て欲しいのよ。社交界デビューの前に、ハルフォード邸で予行練習。候補者の男の子たちもそこに来るそうだから」
確かに社交界デビューの前に婚約者を決めておく必要がある。色んな男性に目移りしているように見られると、女子は損をするからだ。
しかし、複数人から婚約者を見定めるというのは前代未聞だった。
「男の子〝たち〟……?」
「ええ。お母様の時代と違って、最近の婚約事情は〝お見合い〟が主流らしいわ。家と家が勝手に相手を決めて来るのではなく、選んだ個人間で、ある程度手紙やお茶会のやり取りをしてから婚約するんですって。女の意思を尊重した方が、子どもを産んだ後、家庭教育がスムーズに進むからって……」
時代は着々と変化している。確かに最近の貴族は娘への持参金を増やして婚家への発言権を得る傾向にあるし、貴族の男性側もふんぞり返っている場合ではないのかもしれない。
「そうなの……」
「そういうわけでお母様、ハルフォード家に行きましょうね。ね?」
コーデリアは娘の態度にちょっと引っかかりを覚えながらも、再びハルフォード家に足を踏み入れることになったのだった。
チェルシーに逢瀬を申し込んだのは、同じ年の貴族の少年だった。二人は自由に言葉を交わしながら、庭をうろついている。
これで一件目。後日、他の婚約者候補とも会うらしい。
コーデリアはそれを聞いてどこかほっとしながら、そろりと隣の男を見上げる。
サミュエルが、にっこりとこちらに微笑みかけて来た。
彼は、段々態度を取り繕わなくなっている。コーデリアはその若さゆえの素直な情熱に心を打たれ、胸をぎゅっと押さえた。
心の扉を何度も叩かれて、ぐらつく自分がいる。しかし。
(彼には輝く未来がある。こんなおばさんに付き合わせてはいけない……)
コーデリアは自分の気持ちより、彼の未来を考えて退こうと考えていた。
(彼にはもっと美しくて若い女性が似合う。ハルフォード伯爵も、きっとそのように考えているはずよ)
断りの文句をどうにかひねり出そうとしていると、サミュエルが言った。
「時代は変わりましたね」
ぎくりとしてコーデリアが見上げると、彼はにこりと笑った。
「女性も〝選べる〟時代が来たみたいです」
確かにコーデリアは選べなかった。何もかもを親に決められ、今もまた当主に決められている。だが
「選べません」
と彼女は言った。サミュエルは黙って聞く。
「今だって……私から恋したのではありませんし」
「……」
「ハルフォード家から色々お話があるから、来ているだけのことです」
「……?」
サミュエルは首をひねって見せた。
「ハルフォード家から、お話?」
「ええ。子どもたちも、そう申しておりましたが」
「何か話が行き違っているようです。ハルフォード側から何か話を持ちかけたことなど、一度も」
コーデリアはぽかんと口を開けた。
「え?え?」
「アーサーの騎士見習いのお話も、チェルシーの婚約の話も、ガスリー家から打診があってのことです」
「……何ですって?」
「あれ?聞いてませんでしたか?どちらの件も、子どもたちとクラーク様が話し合って決めたことだとお聞きしましたが」
「!」
コーデリアは激高した。
それならば、実の母親であり第一の教育者であるコーデリアを排して話が進んでいたことになる。クラークも当主とはいえこのような重要な局面で母親外しをするとは、いくら何でもあんまりではないか。
「……クラークと話し合わなければなりません」
「コーデリア様……?」
「わ、私は……あの子たちの母親です!それなのに、クラークったら……!」
「落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!!」
コーデリアは肩を押さえて来るサミュエルを肘で押しやると、一目散に馬車に向かって走り出した。
置いて行かれたサミュエルは呆気に取られたが、ふと力が抜けたように笑う。
「私は、子どものことになると何もかもを捧げられるあなただから好きなんです……きっと」
騒ぎを聞きつけて、そろりとやって来たチェルシーが問う。
「お母様、どうしたの?」
「アーサー、チェルシー。多分だけど、うちに色々と打診をかけたのは、君たちなんだね」
チェルシーはあっけらかんと頷いた。
「だってお母様ったら、ずーっと私たちの心配をして暮らしているんですもの」
「コーデリア様の、そういうところが好きなんだけどね」
「でも、お母様は自分のことを何も考えていらっしゃらないの」
「……」
「サミュエルも私達もみんな、お母様のことをちゃんと考えているのにね」
サミュエルとチェルシーは微笑み合い……ふとサミュエルは耳を赤くした。
「……ということは、私の気持ちは君たちにバレていたのか」
「バレバレでした」
「……すまない」
「謝らないで。私もアーサーも、サミュエルのこと応援してる。あなた、いい人だったもの」
「……ありがとう」
「私もアーサーも、あなたになら、お母様を……」
そう言いながら、チェルシーは自らの目尻をそっと拭った。
「お母様にも、そろそろ誰かのためではなく、自分のために楽しんでこの世界を生きて欲しいの。サミュエル、あなたもそう思うでしょ?」
サミュエルは少女の潤んだ瞳を見てから、遠く去り行くガスリー家の馬車を見つめた。
「私も……コーデリア様の心からの笑顔が見たいです」
チェルシーは彼を鼓舞するように、その背中をドンと叩いた。