1.お断りします!
麗らかな春の園庭にて。
コーデリアの耳元で突如囁かれたのは、とある騎士からの愛の言葉。
「コーデリア様。ずっと前から、あなたをお慕いしておりました」
そう彼女の耳元に囁いたのは、亡き夫アシュトンの部下でハルフォード伯爵家の三男サミュエル。まだ齢20歳の美貌の青年騎士であった。
金色の短い髪に青い瞳の、絵に描いたような美しい男だった。そんな彼の恵まれた容貌が、むしろコーデリアの警戒心を最大限に引き出してしまった。
(……冗談を言っているのかしら)
コーデリアは30歳の未亡人。元ガスリー伯爵夫人だ。亡き夫アシュトンとの間に、一男一女をもうけている。しかし彼女は今までの人生で、誰にも愛を囁かれたことがなかった。20歳も年上だった亡き夫からさえ、そのような言葉をかけられたことがなかったのだった。
コーデリアは若くして政略結婚によってガスリー家に入り、嫡男を産み、妻としての務めを果たした。当主の妻という役目を退いてからもその事実に誇りを持っていたし、最近はガスリー家から司教を輩出したこともあって、醜聞は頑なに避けたかった。
コーデリアは顔色を変えることなく、毅然とした態度でサミュエルにこう告げる。
「悪い冗談だわ。10歳も年上の、子持ちの未亡人をたぶらかすのはおやめください!」
さっとサミュエルの顔色が青くなるのが視界の隅に映ったが、コーデリアは下を向いた。
茶会の後の、甘味を味わった余韻が台無しだ。
遠くから、長男アーサーと長女チェルシーが手を振っている。コーデリアはそちらの方へ逃げるように駆け寄った。
チェルシーが何かに気づく。
「お母様どうしたの?顔色が悪いわよ」
娘はもう10歳になるので、母の顔色に聡い。12歳の多感なアーサーも、じっと遠くで佇むサミュエルの姿を怪訝な表情で眺めていた。
「何でもないわ、チェルシー」
「でもお母様、お父様が亡くなった時もそうおっしゃってたわよね?」
チェルシーの目は誤魔化せない。コーデリアは顔色を悟られぬよう曖昧に微笑んでハルフォード邸へと戻って行った。
「お兄様……お母様の様子が変よ。サミュエル様と喧嘩でもしたのかしら?」
妹に問われ、アーサーは弱り顔で頭を掻いた。
「困ったなぁ……そろそろ12歳だし、騎士見習いにハルフォード家で修業させてもらおうと考えてたのに」
コーデリアは、子どもたちと共に未だにガスリー家に住み続けている。
次期当主は亡き夫の弟クラークであったが、そちらの夫妻には子供が出来ないでいた。
アーサーが嫡男なのは確定事項らしい。コーデリアは現ガスリー伯爵夫妻に請われたのもあり、嫡男の教育係も兼ねてガスリー家に留まっていたのだ。
コーデリアは子どもたちと共にガスリー邸に帰ると、ふらふらとベッドに倒れ込んだ。
(まさか……あのサミュエルが、私を)
悪い夢を見ているようだった。サミュエルはかつてガスリー家に騎士見習いとして入り、アシュトンの部下として日夜武者修行に励んでいた。この地域の軍人貴族の間では大抵男児が12歳になると、騎士見習いとして別の家に預けて修行させるという習わしがあったのだ。
コーデリアがサミュエルに初めて会った時、自身は22歳で既婚、彼は12歳であった。
彼女はその事実に思い当たって首まで真っ赤になると、枕に顔をこすりつける。
「……無理!」
ガスリー邸に入った当時のサミュエルは金の長い髪を束ね、にこにこしている明るい少年だった。アーサーやチェルシーの面倒も見てくれ、末っ子ならではの兄貴風を吹かせるような、人懐こさのある男子だった。そんな彼がいつしか精悍な騎士となり自分を口説いて来るなど、到底予想出来ることではない。
息子のように可愛がっていた少年が今日までこちらに何かしらの情を持っていたというのは、良くも悪くも彼女には耐え難い。
(恥ずかしい……胸が苦しい……頭が悩ましい……今日のことは、早く忘れよう)
しかし今日のサミュエルの真剣な視線を忘れようとすればするほど、コーデリアの心はその視線に絡め取られて行く。
(勘違いしたらだめ。きっと、遊ばれているだけだわ)
コーデリアは、アーサーとチェルシーを立派な紳士淑女に育て上げることに人生を捧げている。三年前に流行り病で父親を失った二人に、寂しい思い、みじめな思いだけはさせたくない。ガスリー家と自身の持参金をふんだんに使って、二人をいっぱしにするのだ。
(そうよ……恋だの愛だのに浮かれている暇など、わたしにはない)
ベッドの上で考え事をしてぐったりしている彼女を、子どもたちは薄く扉を開けてじっと眺めていた。
「……何かあったわね、あれは」
「サミュエルのやつ……母上に何を言ったんだろう」
「それがね、サミュエルに聞いたんだけど、真っ赤になって絶対に教えてくれなかったのよ」
「えっ……あいつ、人に言えないようなことを母上に言ったってこと?」
「みたいね」
扉をそっと閉め、二人は歩き出した。
幼い彼らだったが、どことなく感ずるものがある。
「サミュエルは多分、母上のことが好きなんだと思う」
普段は鈍いアーサーがいきなりそんなことを言い出したので、チェルシーは目を丸くした。
「お兄様……!」
「だってさぁ……父上が亡くなってから、頻繁にうちに来てたじゃんか」
「そうだけど……やっぱりそうなの?」
「だって、サミュエルって結構分かりやすく顔に出るから」
コーデリアより小さい二人の方がサミュエルと密に関わってきた分、色々と察するところがあった。
「確かに……」
「母上は忘れてるだろうけど、あいつ〝あなたを支えたい〟だの〝苦しみを取り除きたい〟だの言っててさ」
「えー!そんなこと言ってたの?」
「あの時は父上のことがあってそう言ってるんだと思ってたんだけど……」
「初耳だわ。そういうことは早く教えて?お兄様」
二人の胸に、同じ思いが去来する。
「お母様は、私たちがこの家を出たらどうするのかしら」
アーサーは今年中には別の邸宅で騎士修行を始める。チェルシーは6年後にはどこかの家に嫁いでいることだろう。
「……想像がつかないね。ずーっと僕たちにつきっきりだもん」
「いい意味では教育熱心だけど、悪く言うと子離れ出来てないのよね」
二人は言葉には出さなかったが、共通の意見を持っていた。
「お母様には、幸せになって貰いたいわね」
「サミュエルは、いい奴だよ。それに、優しくて強い奴だ」
「うん……私、あの人にならお母様を任せてもいいわ」
「……僕も、そう思う」
幼い二人は母の未来を案じ、無い知恵を振り絞りながらどうやってサミュエルと母を近づけようか考え始めるのだった。