ジンクス

　このところ、旦那の緊張が、半端ない。

　普段からおかしな動きをしてはいるけれども、いつもにもまして落ち着きのない様子で、有り得ないような忘れ物をしたり、なにもないところでつまづいたり、明らかに本調子ではないといいますか。

「ヤバい、いよいよ今日、一週間目だ……。」

　普段の堂々とした太りっぷりが嘘のように、小ぢんまりと玄関で丸まっているではありませんか。

　だがしかし大きすぎる体であることには変わりないので、非常に……邪魔！

「ちょっと！ウジウジしながら狭い玄関占拠すんな！人の靴踏みながら頭抱えるのやめてくれる！」

　私の、買ったばかりのウォーキングシューズが醜くひしゃげて！なんてことすんだ！

「靴くらいいいじゃん！俺なんか今度こそ車がひしゃげるかもしれないのに！」

「気にしすぎだってば！はい、これ今日のお弁当ね！……はよ現場行けっ！」

　怒り心頭で重たい足を払いのけ、気の毒なスニーカーを救出した私は、おにぎりの入ったランチボックスを旦那に押し付け、肉肉しい背中をばちんと叩いた。

　なんでまた、こんなにめんどくさい事になっているかと申しますと。

　先週、旦那は、車を買い替えたのですよ。高速から降りてすぐにエンジンが止まってしまい、あわてて車屋さんまで車を押していく羽目になり、色々あって、修理代金と新車購入代金があまり変わらない事が判明しましてですね。

　……旦那は、おかしなジンクスを持っているのだな。

　新車の車を買うと、必ず一週間以内に、キズがついてしまうのである！

　大学生の頃バイト代で買った青い車を、納車三日目にタクシーにぶつけ。

　結婚直後に買った白いワゴン車を、納車した次の日にアパートのゴミ捨て場のポールにぶつけ。

　息子が生まれたあたりで買った作業車を、納車して五日目に倉庫のシャッターで挟み。

　買う車買う車、すべてが一週間以内に凹まされてしまうという、歴史がございましてですね。

　年々、そのへこみの深さが増すという事実がございましてですね。

　一度凹んだら、あとは無事故の日々が続くという実績がございましてですね。

　普段優良ドライバーを自負している癖に、さんざん人の運転をコケにして己の技術の高さを誇っている癖に、どうにもこうにも、車を買うとナーバスになってしまう、見た目からは想像もできないくらい小心者の人がおりましてですね。

「あ～、今度はどこ凹むんだろう、フロント、右サイド、天井と来たから…、次はおしりか左か……。」

　毎回毎回、わりと目立つ位置に、派手ではないがきっちりへこんでいるキズがついてしまうのがなんとも。

　そんなに気になるなら板金屋で直しゃいいのに、お金がもったいないだの、どうせすぐ他の部分もへこむだの、毎回毎回実に女々しいと言うか。

「ぶつける前提でいるからダメなんじゃん！普段通り安全運転してりゃ大丈夫だって！てゆっか、そんなに気になるなら今から私が自転車で凸してあげるけど！なんならパンチでも、キックでも？今ぼこぼこにしとけば、逆にツルツルになるんじゃない？よーし、やるか！」

「なにいってんの！そんなんヤラセじゃん！ダメダメ！」

　いきおいよく立ち上がり、両手をパタパタする旦那。なんだ元気そうだな、とっとと仕事に行けば良いのに。

「まあまあ、今日無事に帰って来たらさ、記念にお父さんの好きなものおごってあげるから！だから頑張っれ、おつ！」

　メソメソしている旦那を押し退け、玄関を出た私は、職場へと向かったわけですけれども。

「ただいま～♪大丈夫だったから、記念に回転寿司行こ！」

　夕方五時、庭でゴミを掃いていたら、やけにハツラツとした表情で旦那が帰宅した。車は……、無傷のようだ。ホレ見たことか、気にしすぎなんだって！

「ちょっと荷物多いから座席埋まってるの、下ろしとくからお姉ちゃんたち呼んできて～♪」

「へいへい。」

　思わぬ出費となりそうだが、まあ、トラウマ？ジンクスを乗り越えたと思えばいいか……。基本私は優しい人間であり、家族には甘いのだ。…そういえば寿司屋でまぐろフェアやってたな、そろそろあん肝のうまい時期だし、ぐふふ！

　上機嫌でズガンドシャンと取り外してきたエアコンを庭先に積み上げる旦那の様子を見つつ、娘と息子を呼びにいった。

　……テンションの上がる旦那を止める事ができる者など、いない。

　……旦那につられて、調子に乗る子どもたちを止める事ができる者など、いない。

　リーズナブルな回転寿司屋の、テーブルの上には、うず高く積まれた、皿？いや、これは……壁だ！

「ふひー！食った食った！いやあ、おなか、ポンポン！」

「ちょっとお父さん、なにそのぱつぱつ！」

「すごすぎる。」

「お、お会計ですね。ありがとうございます…。」

　高すぎる無事故記念のパーティー代金を支払い、ピカピカの新車に満腹の肥大した体で乗り込み、帰宅をですね。

　ズベキョゴビュボクェぐわっしゃ…、めきょ！

「あああ、ぶ、ぶつけた━(゜∀゜；)━!

「うわ、ちょっとお父さんなにやってんの？！」

「たいへん。」

「ちょ！ヤバい、うわ、壁が！！！！」

　出るときに下ろしたエアコンの山に、旦那の車のおしりが…勢い良く、とつ、凸、突撃しとるがな！

　どうやら、盗難防止のために茶色い毛布をかけて行ったのが幸いしてしまったらしい。他人に見えないよう配慮して、自分でも見えなくなってしまい、いつもの調子でバック駐車したところ、派手にやらかしてしまったと。

「あ、あああ！テールランプが！割れ、割れた！凹むどころか、は、破損！穴、穴が！めきょってなってる！」

「あーあー、壁へこんでるじゃん……。」

「直せる？」

「まあ、壁はみっともないけど、合板でも置いとけばなんとか？問題は車だね！」

　そうか、今日という日は、まだ終わっていなかったのだな。恐るべし、旦那のジンクス。

　明日食べに行けば良かったのかも、いや、夕方から呼び出されて出かける事になっていた可能性！

　……そういえば、寿司屋で旦那は電話をしていた。

　……ここでぶつけといて、良かったんじゃないの。お高い外車や注文住宅、生物全般に凸しなかったんだし。

「これ全取っ替えだ、ふひーん！一万くらいするよ、小遣いがー！」

「一回外食我慢したと思っとけばいいじゃん。ま、今後の無事故も確定したし、心配の種なくなったね！」

「「良かった良かった。」」

大騒ぎで赤いプラスチックの破片を拾い集める、腹の出すぎた旦那を駐車場に残し。

私と子どもたちは、ガムテープと掃除道具、旦那の大好きな高級アイスを取りに行くため、玄関のドアをあけた。