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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

傀儡の闇

作者: 小城

 大坂城は燃えていた。宇喜多忠家の子で、今は坂崎直盛と名乗る家康家臣の男は、遠く離れたところから、燃え盛る城を見ていた。昨日の夜、この男の陣に迷い娘の一行がやって来た。

「この方は右大臣様の御方様にござる。」

豊臣秀頼の正室の千姫であった。

「(大御所様の孫娘。)」

衣の葵紋がそれを物語っていた。

「只今、本陣に人を遣わした故、少々お待ち下さい。」

直盛は慇懃に対応した。

「(どのようなお方なのだろうか…。)」

興味が湧いて、ちらと顔を覗いた。

「(これは…。)」

千姫はすぐに顔を背けてしまった。直盛には、千姫の美醜は分からない。ただ、貴人の姫であるということは承知の上である。本陣からはすぐに連れて来いという指示があった。陣中の指揮は家老に任せて、直盛自ら千姫を家康本陣まで送り届けた。

「もし千姫が生きて助かったならば、その者の嫁にしても良いだろう。」

孫娘を思う老人の願望めいた戯言を思い出した。

「(大御所様は歓喜するであろう。)」

そのときの直盛はそう思った程度であった。

「でかしたぞ。出羽守!」

家康は千姫の救出を喜んだ。千姫はその後、実父、秀忠のもとに向かうことになり、直盛は帰陣した。

 それが、昨日のことである。今、目の前の景色は空を焦がす明々とした炎だけであった。しかし、それを見る直盛の心中にはなぜか葵の紋が付いた桜色の衣を着る千姫の姿があった。

「(なぜか胸が寂しい…。)」

城の炎が消えるのと同じくして、豊臣家の栄光も浪速の露と消えた。

「出羽守は、どこぞ良い公家などで千姫の嫁ぎ先を探すように。」

家康から命じられた。

「承知致しました。」

直盛は京都の公家たちに顔が広かった。早速、千姫の嫁ぎ先を探した。

「(齢19。)」

千姫の年齢である。

「(19か…。)」

直盛にとって、特に意味はないであろうその数字を、直盛は感慨を持って嘆じた。

「(何故、俺は千姫様のことを思い出すのだ…?)」

日中、屋敷にいても千姫のことが気になった。秀頼母子が亡くなった後、気を病んだ千姫は床に伏せっているという。

「(よもや御自害遊ばされるようなことはあるまいな…。)」

秀頼の後を追うのではと、直盛の胸中は不安と心配が入り混じっていた。

 江戸の屋敷で直盛が酒を飲んでいると門前で声がした。直盛が門の方に行って見ると、門付け芸人が来ており、番士や中間らが、その芸に見入っていた。

「(あれは傀儡子か?)」

遠目から見たそれは首から箱をぶら下げて人形芝居をしていた。特に興味もなかった直盛はそのまま、部屋へ戻った。

「(今頃、千姫様は何をされているのであろうか…。)」

夜間、直盛が床に伏していると、庭先から何やら呼ぶ声がする。

「(迷い猫か何かか?)」

刀を下げて庭に向かった。

「もし、坂崎様。もし…。」

「(女子…?)」

庭先に立ち、直盛を呼んでいる者、それは昼間の傀儡子であった。

「何用じゃ。傀儡子。誰に言われて屋敷へ入った。」

直盛は刀を抜いた。

「もし、坂崎様は病に苦しんでおいでになられる。」

「病?俺が?」

「はい。それはけっして、治ることのない病にございます。」

「胡乱者。そこに直れ。」

斬って捨てようとして、庭に降りた。

「ほほほ。私を斬り捨てたところで、豊臣の姫様への恋患いは消えませぬよ。」

「何…?」

「ふふ。」

傀儡子は怪しく笑っているだけである。

「(恋だと…?)」

直盛の胸中に訪れる千姫への思い。それは恋なのだろうか。

「(俺が千姫様に恋しているだと…?)」

直盛が千姫を慕うその過程は恋なのだろうか。

「恋にございます。」

「(恋であろうが何だろうが良い…。)」

直盛は刀を納めた。

「お前は俺の心中の病を治せるというのか?」

「坂崎様を御満足させることはできるかと思います。」

「おもしろい。」

直盛は傀儡子を試してみることにした。

「ただし、治せなんだときは己の首を頂くぞ。」

「ほほほ。」

傀儡子はそれには返事をせずに笑っていた。

「それならば、此方へ。」

足下に草鞋を置くと傀儡子はすたすたと歩いて行った。

「待て。」

直盛は傀儡子が置いて行った草鞋を履くと、急ぎ、後を追った。傀儡子は裏手の方へ行った。

「(眠っている…?)」

裏門の番士は眠っており、木戸は開いていた。

「ふふふ。此方へ。」

傀儡子は道の先にいた。直盛は後を追い、近くの林の中に入って行った。

「(おかしい…?)」

先ほどから少し歩みを早めているのだが、傀儡子との間は一向に縮まらない。

「さあ。この中へ。」

いつのまにか、直盛は古びた社の前にいた。

「(ここはどこぞ…?)」

周辺の記憶にはなかったその社の中に、戸を開けて入った。


キイ。ぱたん。


戸は自然と閉まった。破れた天井から月明かりが照らしている。傀儡子の姿は見えない。

「此方へ。」

薄明かりの中、扇だけが舞い、直盛を呼んでいる。

「(何をするつもりだ…?)」

扇が消えると、壇が見えた。

「(人形…?)」

その壇の上に一体の傀儡人形がいた。

「(何の姿だ…?)」

その姿は薄明かりの中、不思議なほどにぼやけて見えた。おそらくは白拍子の人形か何かであろう。その傀儡人形はちょこんと右に頭を下げて、ちょこんと左に頭を下げると、次は両手を広げて舞を舞い始めた。

「(綺麗な人形だ…。)」

いつのまにか直盛はその傀儡人形の舞を見入っていた。

「(千姫様…。)」

直盛の眼には、その舞を舞う傀儡人形は千姫の姿に変わっていた。やがて、それは人の大きさとなり、千姫の姿で、直盛の前で舞を舞っている。

「(美しい…。)」

美麗でかぐわしいその姿は直盛を虜にした。

「(俺は千姫様に恋をしていたのか…。)」

ようやく直盛は己の気持ちに気づいた。と思うと、直盛は屋敷の庭先に立っていた。

「ふふふ。」

目の前には傀儡子が立っている。

「己、何をした!!」

刀を抜こうとしたが、刀はなかった。

「ほほほ。己の気持ちにお気づきなられましたか。」

「ふむ…。」

何も持たない直盛は傀儡子の言葉に素直だった。

「今宵は初めてですので、お代は無用です。」

傀儡子はそう言って歩いて行く。その夜は直盛も素直に部屋へ戻った。

「(俺は千姫様に恋をしていた…。)」

それから七日後の夜。直盛が寝床で寝付けずにいると、どこからともなく呼び声が聞こえた。

庭へ行くと傀儡子がいた。

「お加減はどうでございます?」

「苦しくて夜も寝られぬ。」

「ふふふ。それはお気の毒様。」

「いくら欲しいのだ?」

「ふふ。せっかちなお方。値は小判一枚。」

「よかろう。」

「では此方へ。」

傀儡子は草鞋を置き、歩いて行った。

「(眠っている…。)」

裏木戸の番士はやはり寝ていた。

「さあ。此方へ。」

直盛はあの林の中のあの社に着いた。呼ばれることもなく、中へ入る。天井からは月明かりが照らしている。

「此方へ。」

扇が舞い、直盛を呼ぶ。壇が現れて、その上で傀儡人形が舞う。すべて、あのときと同じである。

「(おお…。)」

傀儡人形はやがて、千姫の姿となり、直盛の前に現れる。

 そのようなやりとりが七日に一度、傀儡子と直盛との間に行われた。

「此度は小判伍枚。」

次第に傀儡の値は高くなったが、直盛は払い続けた。

「直盛様。お会いしとうございました。」

「おお。」

あるとき、姫はそう語りかけた。

「千姫様。某もお会いしとうござった。」

そのようなやりとりが二月近く続いていた。不思議なことに、この傀儡子と直盛とのやりとりは、周囲の者はおろか、屋敷の者も知ることがなく行われていた。そして、もっと奇妙なことは、夜間の、この千姫と直盛との逢瀬は、実際の千姫自身は全く関知することのない内に行われていたことである。それは奇妙な恋の形態であった。

 年の暮れに直盛が取りまとめたある公家と千姫との縁談が破談になった。理由は千姫が断ったという。代わりに、伊勢桑名藩主、本多忠刻との縁談が進められていった。

「(何故だ…?)」

それを聞いた当初、怒りというよりも直盛は疑問を感じていた。病によりとのことであったが、それなら、何故、早くも本多忠刻との縁談を進められるのだろうか。

 江戸の屋敷で、夜、直盛は床に伏していた。

「(今頃、姫は何をされているのであろうか…。)」

直盛の千姫への思いはこの頃では、恋そのものよりも疑問に変わっていた。

「(何故、俺を拒まれた…。)」

いつのまにか直盛の取りまとめた縁談を断ったことは、直盛自身を拒んだということと同じ意味になっていた。

「(あのとき、顔を覗き込んだからか…。)」

だいぶ昔のことであった。そのようなことは当の千姫こそ覚えてはいないだろう。やがて、千姫への直盛の思いは怒りに変わっていた。

 ある夜、傀儡子がやって来た。

「今宵は小判弐十枚。」

「良い。早くしてくれ。」

小判の入った袋を投げると、直盛は草鞋を履き、林の社へ向かった。


キイ。ぱたん。


いつ来ても、社の天井からは月明かりが照らしている。

傀儡人形が現れると、やがて、千姫の姿になった。

「直盛様。」

初め黙ってその舞を見ていた直盛だが、舞が終わる頃になると、突然、怒り出した。

「姫!何故、某との縁談を拒まれたのですか…!」

直盛が千姫に掴みかかろうとすると千姫は消えた。直盛は屋敷の庭先に立っていた。

「ふふふ。御乱暴はいけませんよ。」

目の前に傀儡子の姿はなかった。小判の袋も消えていた。それから傀儡子が来ることはなくなった。

「(何故だ…。)」

直盛は家来に傀儡子を探させた。

「姫を探して参れ…。」

直盛は家来にそういうこともあった。

 やがて、家康が亡くなった。

「(もし千姫が生きて助かったならば、その者の嫁にしても良いだろう。)」

「(何故だ…。)」

直盛の中で孫思いの老人の戯れ言は真実になっていた。

「(俺は姫を助けたではないか…。)」

家康の死から半年後の9月。伊勢桑名本多家への千姫の輿入れの日が決まった。その輿入れに先立って、千姫強奪の計画をしていた坂崎直盛とその家臣たちは、事前にそれを察知した幕府の手勢に屋敷を包囲された。

「(何故だ…。)」

その包囲の中、坂崎出羽守直盛は自害したとも、家臣に殺されたともいう。

「ふふふ。」

幕府の手勢に囲まれた坂崎屋敷から少し離れたところでは、門付けの傀儡子が首から下げた箱の中で傀儡人形を操っていた。

 この傀儡子は坂崎直盛によって殺された家臣の母とも娘とも言われ、南蛮渡来の幻術を学び、侍女として仕えていた大坂の城を千姫とともに脱出した後、直盛に近づいたということであるが、それは後世の作り話であろう。

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