1話 起:少女と公園が現れ、それらは消えた。だけど僕は彼女の存在を疑わない。
いつの間にか見知らぬ公園にいた。
中学校から帰っている途中だったはずだ。いつも通り青空を見ることなく、アスファルトだけを見ながら、僕こと雨宮克也は一人空しく歩いていた。だから、目の前の景色ががらりと変わったことに気づかなかった。
「ここはどこなんだ……?」
いたって平凡な公園だった。
ブランコがあり、鉄棒があり、滑り台があり、ジャングルジムがあり、シーソーがあり、砂場がある。広さは一軒家が十個あるくらいなので、普通の公園より少し広いくらい。公園には桜の木が並んでおり、桜の花びらが宙を舞っている。
公園のベンチに目を向けると、一人の少女が座っていた。
彼女は髪を靡かせながら、こちらを見ている。
「――っ!」
彼女の視線がこちらを捉えている。じっと僕を見続けている。まるで人を殺すかのように見えて――そんなことはなかった。
「……あれ?」
思わず、声に出してしまうくらい、不思議なことだった。人に見られるなんて、殺されるも同然なのに、僕は彼女に殺されることはなかった。
少女はベンチから立ち上がって、僕に近づいていく。普段通りの僕なら、同級生の女子と目を合わせてしまえば、恐怖で気が動転して何も考えられず、そのまま転んでしまうこともある。それなのに、彼女に恐怖を感じることはなかった。むしろ恐怖ではなく、好意的な感情を持てている気がする。
彼女はシニカルに笑うこともなく、暴言も吐くこともなく、疑問をはく。
「君、対人恐怖症でしょ?」
「そうだよ。でも、不思議と君からは恐怖を感じない」
僕は対人恐怖症だ。それにもかかわらず、こうして初対面の彼女と話しかけることができている。正直、奇跡だ。こんな奇跡が起こるものなのかと、僕は驚いてしまう。
彼女は笑みを見せた。ぶっきらぼうの僕はその表情ができないので、心のどこかで羨ましいと思ってしまう。
「それは嬉しいハプニングだねっ! 私は蚊帳闇熱女。よろしくねっ!」
ヘンテコな名前だけど、すっと受け入れることができる名前だった。
「よろしく、熱女」
「あーちゃんでいいよ。君の名前は?」
「雨宮克也だ」
「それじゃあ、かっちゃんだね! よろしくね、かっちゃん!」
あーちゃんが手を差し伸べてきて、僕はそれに応える。この動作をしたことなんて、対人恐怖症になってから一度もない。
「かっちゃん、暇ならここで遊ばない? せっかく仲良くできたことだしね」
「いいよ」
そのまま流れるように、僕と彼女は公園で一日中遊んだ。お互いに中学生同士ではあったけど、公園で久しぶりに遊ぶのも楽しいと思えた。
楽しいと時間はすぐに終わりを迎える。太陽は既に山に重なり、オレンジ色の空が世界を包み込む。
彼女といた時間は学校帰りだったこともあり、二時間も遊べなかったけど、想像以上に面白かったし、また遊びたいと思えるほどかけがえのない時間を過ごせた。
「今日は楽しかったよ。ありがとう、あーちゃん」
「こちらこそだよ、かっちゃん」
「……また、会えるのかな?」
対人恐怖症の僕としてはあり得ない一言を口にした。彼女に対してはそれほど心を許している。一日でそれほどの関係を構築できるのは僕の障害としては不可能なはずだけど、彼女はその不可能を可能にするらしい。もしかしたら、対人恐怖症の扱い方を心得ているのかもしれない。
だからこそ、また会いたかった。たとえ対人恐怖症の扱い方を心得ていて、彼女の手のひらで操られてもいい。彼女にはそれくらいの好意を抱けてしまっている。相手に恐怖を抱かない良さに、味を占めてしまったといってもいい。とにかく、この心地よさを再び味わいたくて、また会えるか確認してしまった。
「会えると思うけど、一年後には会えなくなるかな……」
「え?」
驚いてしまう。
また会えるか聞かれて、「一年後には会えなくなる」から、再び会える機会はあると分かった。それは嬉しかったし、これからもこの楽しみがあるなら生きていけると思った。だけど、その猶予は一年と言われてしまったことに驚きを隠せない。それでも僕は冷静さを装って彼女に話しかける。
「それってどういうこと? あーちゃんが転校しちゃうとか、そういうこと?」
「違うよ」
ぴしゃりと言い切った。まるで僕が何を言いたいのか分かっているかのように速答で、はっきりとした声だった。彼女はそのまま言葉を紡ぐ。
「メキシコの苦い水をもらうとき――そのくらいまでなら君と一緒にいるよ。でもその時期を過ぎると世界が壊れちゃうからね。だからかっちゃんとは会えなくなる」
何を言っているのか分からない。
メキシコの苦い水をもらうときなんて、日本在住の僕たちにはありえない。それに最後の言葉。
「世界が壊れるだって?」
鵜呑みにできない。できるわけがない。世界の崩壊があるなんて考えられない。
彼女も中学二年生だと、遊んでる途中に聞いた。だから中二病とかの類いを疑いたくなってしまう。でも違う。彼女の瞳はまったく嘘をついているようには見えない。
「うんっ。だから、世界が壊れるのにあと一年もないかなぁ」
一年足らず。たったそれだけで世界が無くなる。
彼女の存在が特別に見えている僕は、その話の信憑性が高いように思えてしまう。だけど多分、そんなことはない。世界が終わるなんて馬鹿げたことはあり得ない。地球周りの環境が途端に変化するとか、隕石が地球に直撃するとか、そういう今まで――四十六億年間ありえなかったことが可能なら世界は滅ぶだろう。だけど僕たちが生きている間、百年程度でその可能性はほぼ零だ。
「世界が壊れるなんて、本当にあり得るのか?」
「私にはなんでもお見通しだからね。世界は壊れるよ。でも、それまではかっちゃんと全力で遊びたいね! いいかな?」
「いいよ」
彼女が僕と遊びたい――今はそれだけ聞ければ十分だ。世界が壊れるなんてあまりに突拍子過ぎて考えられないし、考えたくもない。現実逃避して一年間彼女と遊び続けよう。それが僕にとっての一番幸せだ。
「それじゃあ、明日も平日だし、今日と同じ時間でいいかな?」
「うん。それでいいよ」
「分かった。じゃあね、かっちゃん!」
「じゃあね、あーちゃん!」
手を振りながら、僕は公園を出た。
「えっ……!?」
公園が消えていた。さらには、公園外の景色も変わっていた。
夕方だということに変わりはない。だけど、それ以外は全てが変わっていた。僕が手を振っていた方向には自動販売機とカンビン用のゴミ箱。そして休憩するためのベンチ。それだけだった。
「何が起こってる……?」
意味不明すぎる。
あの公園はなんだったんだ。あの少女も消えてしまったのか。あそこでの出来事は夢か何かだったのか。
分からない。分からない。分からない。
だけど、彼女のぬくもりは心にあった。間違いようもなく、疑いようもなく、あの出来事は存在していた。彼女は存在していた。それだけは絶対に合っている。
そしてあの公園が消えていたにもかかわらず、明日にはまた少女と会える確信があった。