59.夢が叶った日
幼い頃からずっと夢みてきた。
雪のようなベールの裾を長く引いた純白のウェディングドレスを着て、大好きなひとの花嫁になること。
その夢がはっきりとした形を結んだのは十歳の時。
兄のヴィクトールの結婚式だった。
真っ白なウェディングドレスを着て、兄の隣りで幸せそうに微笑む、当時十七歳のソアラは輝くように美しかった。
そのときアマーリアはもうアドリアンの妃になることが決められていた。
美しくて優しい王太子殿下。その方の花嫁になれるのだと思うと胸が躍った。
その気持ちに変化が訪れたのはいつからだろう。
いつの頃からか、アマーリアにとってアドリアンとの結婚は胸躍る夢ではなく、自分に課せられた役割、果たさなければならない義務となっていた。
考えることはいつも、未来の王太子妃としてふさわしくなれるように、王太子妃として恥ずかしくない女性になるために今何をしなければいけないのか、自分に足りないものは何か、そんなことばかりだった。
十三歳になって学院に入る頃には、アドリアンに嫁ぐということは普通の結婚とはちがう、自分はアドリアンの妻である以前に、この国の王太子妃、未来の王妃になるのだということを痛いほど実感していた。
中等科の卒業が近づき、まわりの友人たちが結婚式で着るドレス、新婚旅行の行き先、新居の内装などについて楽しそうに話しているのを聞きながら、それらは自分に縁がないものだと思ってきた。
公爵家に生まれ、他人よりもより多くのものを享受して育ってきた以上、それは当然のことだと思うようにしてきた。
それなのに、まさかこんな夢のような日を迎えられるなんて──。
(幸せ過ぎてこわいみたい)
鏡の中の、結い上げた髪に真珠を飾り、いつもよりも念入りに化粧を施された自分の顔をアマーリアは、知らない相手を見るようにみつめた。
「まあ、とってもお似合いですわ」
アマーリアの姿を上から下までまじまじと見て、デザイナーのルノリア・オリアーノが満足げに言った。
「やはり、スカートに少しふくらみをもたせたのが正解でしたわ。アマーリアさまの可憐な雰囲気によくお似合いになります」
この日のためにルノリアが丹精込めて仕上げてくれたドレスは、神殿での挙式用とその後のパレード用のウェディングドレス二着、その後の公爵邸でのガーデンパーティー用の愛らしいピンクのドレスが一着、夜の舞踏会用の光沢のある深い青のドレスが一着の計四着である。
それを予定よりも早まった挙式の日に間に合わせるために、ルノリアの工房では急遽お針子を増員したりしてずいぶん無理をしてくれたらしい。
ドレスに合わせた髪飾りや花冠もすべてルノリアがデザインして製作してくれたもので、いま私がかぶっているけぶるようなヴェールの繊細な百合の花の刺繍は、ルノリアが直々に針をとって施してくれたものだった。
「ありがとう。ルノリア。無理をいってごめんなさいね」
「いえいえ。公爵閣下からは予算には糸目をつけずに、どんな高価な布地も、絹糸も惜しみなく使わせていただきましたので、とても楽しいお仕事でしたわ。職人冥利に尽きるとはこのことです!」
その時、軽やかにノックの音が響いてミレディとアンジェリカ、それから従妹のエルマが入ってきた。
付添をつとめてくれるミレディとエルマは揃いの淡いグリーンのドレス。
アンジェリカは既婚の貴婦人らしく上品なダークブラウンのドレスを身にまとっている。
「リア、とても綺麗よ」
「ええ、本当に」
ミレディとアンジェリカが口々にいって、かわるがわるアマーリアを抱きしめた。
ミレディ自身も来月、はじめにエリックの立太子の儀とそれに続く結婚式を控えている。
「結局、ミレディのお式には付添がいらないことになったわね」
アンジェリカが言った。
王太子妃となるミレディの挙式には友人の付添はつかない。
かわりに高位の貴族の夫人が新婦の介添え役をつとめるのだ。
そしてそれは、すでにアマーリアの母であるクレヴィング公爵夫人と、ベルトラン公爵夫人が務めることが決まっている。
「リア姉さま、とても素敵です。女神さまみたい」
エルマが目を潤ませてうっとりと言った。
「いいなあ。好きな方の花嫁になれるなんて。羨ましいです」
そう言って口を尖らせるエルマにも、ここ最近、いくつも縁談がもちかけられているという。
しかし、そのどれもが娘を溺愛している父、フランツの目に叶わずに婚約には至っていないのが現状だ。
「私、本当にお嫁にいけるのかしら。どんな方ならお父さまのお眼鏡にかなうと思います?」
「どんな方でも無理かもねえ。叔父さまはエルマを手放したくないのよ」
アマーリアが苦笑しながら言うとエルマは困ったように眉尻を下げた。
「このまま、結婚出来なかったらどうしましょう」
「大丈夫よ。エルマもきっと愛する方と結ばれる日が来るわ」
アンジェリカがエルマの肩を抱いて微笑んだ。
「だってあなたにも、思い込んだら一直線で、目的を果たすまでは止まらないクレヴィング家の血が流れてるんだもの。アマーリアみたいに、力ずくで幸せを引きずり寄せることが出来るわよ」
「アンジェったら」
アマーリアが頬を染めて抗議した。
「それじゃ私が無理矢理ラルフさまと結婚したみたいじゃない」
「あら。ある意味、最初は無理矢理だったでしょう」
「それはそうかもしれないけど」
「まあまあ」
言い合いになりかける二人をやんわりと止めに入るのはいつもミレディの役目だった。
「きっかけはどうあれ、今のラルフさまはアマーリアに夢中なんだからそれでいいじゃないの。それこそ、宮廷中の語り草になるくらいに」
「まあ、それはそうね」
親友ふたりの言葉にアマーリアはまた赤くなった。
例の誘拐事件以来、ラルフはすっかり心配性になってしまって騎士団の任務がない時は可能な限りアマーリアの側に付添い、それが出来ない時は極力外出しないで欲しいと言って聞かなかったのだ。
それこそヴィクトールが、
「そんなに心配ならさっさと結婚して、自分の屋敷に置いておけ」
と呆れながら挙式の日程を早めることを父公爵に進言するくらいに。
ともあれ、ついに今日のこの日がやってきた。
ミレディとエルマに付き添われて、控室から出たアマーリアはそこで立ちすくんだ。
このあと、ラルフの待つ祭壇の前までアマーリアをエスコートするはずの父公爵が、待合室のソファで、両手で顔を覆って嗚咽している。
その隣りでは何故かエルマの父のフランツも天を仰いで号泣していた。




