55.救出
「ラルフさま!」
「リア! こっちへ!」
駆けだそうとするアマーリアの腕をダリルがつかんだ。
「させるかよ!」
「嫌っ! 放して。この無法者、ならず者!」
「何とでも言え! さあ、こっちへ来い!」
「放してって言ってるでしょ。この生涯産毛頭! 逆さホタル!!」
「なんだとてめえ、どういう意味だ!!」
ダリルが叫んだ。
「ああ、えっと、生涯産毛頭っていうのは、いい年なのに髪の毛が産毛みたいにふわふわで頼りなげっていう意味で、逆さホタルっていうのはお尻じゃなくって頭が……」
「ほんとに解説せんでいいっ!!」
かねてから頭髪の薄さを気にしていたダリルは激怒した。
が、アマーリアの方に意識が集中したその瞬間をラルフは見逃さなかった。
素早く放った矢が、今度はダリルの頭上スレスレを掠めた。
ただでさえ貴重な頭髪が、数本、舞い散る。
ダリルが怯んだ隙に、その腕をふりほどいたアマーリアがラルフに駆け寄った。
「ラルフさま!」
「リア!!」
ラルフは腕の中に飛び込んできたアマーリアをしっかりと抱き止めた。
だが、無事を喜んでいる暇はない。
「ちくしょう! 王宮の騎士さまだか何だか知らねえが相手は一人だ。全員で囲んで一斉にかかれば怖がるこたぁねえ。やっちまいな!」
ダリルが叫ぶと、手下の男たちがぱっと散開してラルフたちを取り囲んだ。
ごろつき達なりに統率がとれていて、こういった乱闘騒ぎには慣れていることが分かる。
ラルフは、アマーリアとアドリアンを背に庇いながら男たちを睨みつけた。
「リア、少し下がっておいで。アドリアン殿下を頼む」
アマーリアがアドリアンに手を貸して部屋の隅に移動した。
アドリアンの怪我は重傷とまではいかないが、足首を痛めているようで長い距離を走って移動することは難しそうだ。
(ということは、俺がこいつらを全員片付けなければ逃げるのは難しいということだな)
外で待っていたヨナスという従者に聞きだして、この屋敷の中にいるのはアドリアンとアマーリアの他には、マリエッタとセオドール、侍女に扮した女、ダリルという首領と五人の手下だけだということは分かっていた。
そのうち、一人はさっきラルフの矢を目に受けて戦闘に参加するのは無理だろう。
侍女の女は、裏口からここへ侵入する時に姿を見られたので、やむなく気絶して貰った。
残るはマリエッタを入れても七人。
賊たちの力量が分からないが、今の構えを見る限りでは首領のダリル以外はそうたいした腕でもないようだ。
一人で複数人を相手にする戦い方に関しても騎士団では訓練を受けている。
それによると
「敵が何人でかかって来ようとも、一時に対峙出来る相手には限度がある。そして、一度にかかってきたように見えても、必ずその攻撃にはわずかずつでも時間差が出来る。数に惑わされず、一つ、一つの攻撃を冷静を冷静に見極め対処すること」
そして
「こちらから突出してはならない。自分の軸足は可能な限り動かさず、その場で前後左右に身を動かしながら戦い、無駄な体力を使わないようにする」
というのが鉄則だ。
この訓練では一度に六人と打ち合う。
そう思えば、ごろつき五人を相手にする今の状況でも一歩も怯む気持ちはなかった。
だが訓練とは違って相手は殺気立っている。
王族であるアドリアンに危害を加え、公爵令嬢のアマーリアを拉致監禁した。捕らえられれば死罪は逃れられまい。命がけで向かってくるだろうことは予想出来た。
弓は、近距離で複数人を相手にするのには向いていない。
ラルフは弓を置いて、腰の剣を抜き放った。
男たちは、自分たちの持つものとは明らかに違う、銀色に輝く長剣を見て怯んだ顔をしたが、ダリルが、
「全員で一度にかかれ! やっちまえ!!」
と怒鳴ると、それぞれ手にした武器を構えてラルフに襲いかかってきた。
ラルフはまず、最初に突っ込んできた男の短剣の突きをかわして、その手から短剣を叩き落した。
そのまま、体を捻って、横から斬りかかってきていた男の剣を、自分の剣で受け止めて押し返す。
そうしながら背後から戦槌を振り回しながら襲いかかってくる男の攻撃を屈んでかわして、そのまま足払いをかけてその男を倒した。
手斧を投げつけようとしていた男は、ラルフの動きが速いのでまごまごしているうちに、逆にむかってきたラルフに手斧を弾き飛ばされて、その場にへたりこんだ。
「ちくしょう……!」
ダリルはその光景を見ながら歯ぎしりした。
下町のごろつきたちの間では、腕が立つと言われていた仲間たちだったが、正規の騎士としての訓練を積んだラルフの前には手も足も出なかった。
自分は手下たちよりは強いつもりだが、それでもこの騎士を相手にまともに戦って勝てる気はしなかった。
(まともに戦ったらな……)
ここで負けて捕らわれるわけにはいかない。
おとなしく降伏しても、さっきの優男が王太子というのが本当ならば自分たちの死罪はどうやっても免れまい。
だったら、最後の最後までどんな手段をつかっても抵抗し抜くしかない。
そうこうしているうちに、四人の手下たちはラルフ一人によってあっという間に叩きのめされ、床にのびていた。
しかもラルフの方はわずかに息を弾ませている程度で、傷一つ負っていない。
ダリルは、はあっと溜息をついて手にしていた剣を捨てた。
「参った、参った。とても敵わねえや。降参するよ」
そうしてその場に膝をつき、頭を下げる。
「信じて貰えるかどうか分からねえけど、俺たちはあのマリエッタとかいう女に騙されてたんだ。そっちの兄ちゃんとお嬢ちゃんが、王太子さまと公爵閣下のお姫さまだなんて夢にも思わなかったんだ」
「……話はあとで聞く。とりあえずおまえたちの身柄は王都へと送られることになるだろう」
ラルフが毅然と言って、剣を下ろした。
ダリルは床に頭を擦り付けた。
「なあ、旦那。頼む。俺はどうなってもいい。部下のやつらは俺が命じただけで何も悪くありゃしねえんだ。許してやってくれねえか。せめて死罪は俺だけにしてくれ」
「俺にはそんな権限はない。詳しい取り調べと裁判は、王都についてから行われるだろう。言いたいことがあればその場で言え」
ダリルは床に突っ伏したまま、すすり泣いた。
「頼むよ、旦那。部下のやつらの中には、女房をもらったばかりのやつや、もうすぐ子どもが生まれるやつもいるんだ。そういう俺も、三つの坊主を筆頭に、五人のガキと病気の女房が俺の帰りを待ってるんだが、俺のことはいい。ただ、俺が縛り首になったあと、女房に薬を届けてやっちゃ貰えねえだろうか。都合のいいことを言っているのは分かってる。だけど、俺がこんなことに手を出したのは、もとはといえば、あいつの薬代が欲しかったからなんだ……」
そう言ってダリルは、声を詰まらせた。
「病の奥方が……」
ラルフが小さく呟いた。
「馬鹿なことをしたな。奥方や子供たちのためにもこんな仕事に手を染めるべきではなかった」
「知らなかったんだ! こんなやばい仕事だって知ってたら家族のためにも手なんか出さなかったさ。あのマリエッタに騙されたんだよ、俺は! でも俺のことはいいんだ。 だからどうか、部下たちと俺の家族のことを……」
「分かった。俺に出来るだけのことはすると約束する。だから顔をあげろ」
ラルフが歩み寄ってくるのを感じて、ダリルは床に額をつけたままほくそ笑んだ。
(やっぱり睨んだ通り、こいつは腕はたつが頭の中は単細胞の甘ちゃんだ。すっかり俺のでたらめを信じて、声まで優しくなってやがらあ)
ダリルは、ひそかに懐に忍ばせた短剣の柄を握りしめた。
「幸い、殿下もアマーリア嬢も無事だった。事情を離せば酌量の余地も……」
言いながら、ラルフが肩に手をかけようと屈みこんだ瞬間をみはからって、その手をつかむ。
ぐいっと引き寄せながらその喉笛を掻き切ってやろうと身を起そうとした瞬間。
「セコいんだよ、やることがっ!!」
という声とともにダリルの後頭部にずしっという衝撃が走った。
そのまま、どしゃあっと床にめり込む勢いで顔を押しつけられる。
「ふ、ふがあっ」
ダリルが情けない声をあげて床に突っ伏す。
ダリルに手を差し伸べようとしていたラルフはそのままの姿勢で固まった。
全身、真緑の男が目の前のダリルの後頭部を思いっきり踏みつけて、こちらを見下ろしている。
「甘いんだよ、おまえは。ラルフ」
その声を聞いてもラルフはそのまま固まっていた。
それだけ、全身、緑男のインパクトは絶大だった。
「だいたい、三つを頭に五人の子供って計算合わないだろうが。それとも何か? 双子が二組いるのか?」
ラルフは、男をまじまじとみつめた。
「……どこかでお会いしましたか?」
「バッカ野郎、おまえ! ちょっと会わない間に兄の顔を忘れたのか!?」
「兄さま!」
アマーリアが駆け寄ってきて、ダリルを思いっきり踏みつけながら緑の男に抱きついた。
「おお、リア。無事だったか。良かった、良かった。この兄が来たからにはもう大丈夫だぞー」
そこで初めてラルフは気がついた。
「ヴィクトール……隊長……?」
「おまえ、隊長じゃなくて兄上って呼べって言ってるだろう。何度言えば分かるんだよ」
ヴィクトールは言いながらアマーリアを腕の中に抱き上げた。
片足では相変わらずダリルの頭を踏みつけたままである。
「どこも怪我はないか、リア」
「はい。ラルフさまが助けに来てくださいました。それにアドリアン殿下も」
「殿下はご無事なのか?」
「ええ、あちらに……」
アマーリアが指さした先では、アドリアンが全身真っ赤な男に詰め寄られていた。
「殿下! ご無事でしたか! おお、お怪我をなさっておられる!」
「ぎゃあああ、誰だ、この化け物!!」
「お父さままで来て下さったの?」
アマーリアが目を丸くして言った。
「え、あれ、公爵閣下ですか……?」
(なんでリアにはすぐに分かるんだろう……)
と思いながらラルフが呟いた。
全身真っ赤なクレヴィング公爵は、こちらに気づくとアドリアンを放り出して突進してきた。
「アマーリアああああ! 無事だったか、娘よ!」
「お父さま!!」
クレヴィング公爵にまで、ぐしゃりと踏みつけられたダリルが、「ぐうう……」と弱々しい呻き声をあげる。
「おお、アマーリア。我が愛しき娘よ。可哀想に。恐ろしかったであろう。もう大丈夫だぞ。この父が来たからには、もう何人たりともおまえには指一本触れさせん。この先、おまえに近寄る男は、誰であれこの父が血祭りにあげてやるからな」
「まあ、お父さまったら。恐怖の大魔王みたい」
「ははは。若い頃、おまえの母にもよくそう言われたものだ。おまえはますます母さまに似てくるな」
「お父さまと兄さまもそっくりですわ。今日はどういたしましたの? その色違いの格好は? 新しい流行ですか?」
「いや、これは色々あってな。まあ、いい。とにかく家に帰ろうではないか。母さまやシェリルが心配して待っているぞ」
そう言いながら公爵はアマーリアを高く抱き上げてくるくるとその場でまわった。
「お父さまったら。リアはもう子供じゃありませんわ」
「いや。いつまでたっても、おまえはわしの小さな可愛い娘だ」
「お父さまったら。うふふ」
「ははははは」
自分の上で感動の父娘劇場を繰り広げられたダリルは先ほどからもうピクリとも動かない。
(生きてるだろうか……)
ラルフは心配しながら、その指先をちょっとつついてみた。
それにしても、先ほどのクレヴィング公爵の言葉が本当なら、この先、まず真っ先に血祭りにあげられるのは自分ということになりそうなのだが、大丈夫なのだろうか。
この先に不安を抱きつつも、ラルフは無事でかえってきたアマーリアの笑顔にまずは心から胸を撫でおろした。




