51.アドリアンの矜持
その頃。王都郊外の別荘ではマリエッタがイライラしながら爪を噛んでいた。
「まったく何やってるのよ、あのヘタレ王子は」
眠っているアマーリアと二人で寝室に閉じ込められたアドリアンは、いつまでたってもアマーリアに手を触れようとはしなかったのだ。
アドリアンがその華やかな外見に似合わず、男女のことに関しては意外と物堅いことは分かっていた。
だからこそ、イスナーンの後宮で使われているという特製の媚薬を取り寄せて山ほど盛ってやったというのにまったく不甲斐ない。
明日の早朝に、今頃アマーリアを血眼になって探しているであろう人々がここへ押し寄せて来るようにタイミングを見計らって居場所を知らせる投げ文をクレヴィング公爵邸と王宮に投げ込ませる手はずはすでについているというのに、肝心のアドリアンがこれでは計画が台無しではないか。
「……まあ、いいわ。要は明日、皆が押しかけてきた時に二人が同じベッドで眠っていればいいのよ。だったらアドリアン殿下にも眠って貰いましょ」
マリエッタはあっさりと言った。
「それでいいのか?」
セオドールがつまらなそうに言った。
「しょうがないでしょ。眠らせたあとでちょっと衣服を乱しておけばそれでいいわよ。実際に何があったかは問題じゃないの。その光景を見た人たちがどう思うかが大切なんだから」
「王子はどうやって眠らせる? 部屋は開けられないんだろう」
マリエッタは、ちょっと尖らせた唇に人差し指を当てて「うーん」と考え込んだ。
そんな仕草は、可憐な少女のように可愛らしい。
が、出て来た言葉は、
「ここまできたら、あまりグズグズもしていられないわ。もう体裁は繕うのはやめにして、殿下にはさっさと眠って貰いましょう。ドアを開けて構わないから、力ずくででも眠り薬を飲ませてしまいましょう」
という容赦のないものだった。
「怖い女だよ、まったく」
セオドールは苦笑して、別室で待機していた男たちを呼んだ。
六人のその男たちは、皆、王都の下町でセオドールがエリザベートが用意した報酬をえさに集めたごろつきだった。
眠らせたアマーリアを王都の屋敷から運び出し、ここまで連れてくるには複数の男手が必要だった。
見るからに良家の令嬢であるアマーリアを攫うようなことは、いくら金を積んでも普通の冒険者はやりたがらない。貴族を敵にまわすのはリスクが高く、下手をしたら身の破滅だからだ。
そのため、報酬につられて集まってきたのはお世辞にもまともとはいえない、たちの悪い、金のためなら何でもするような、ならず者たちだった。
やってきた男たちは、セオドールから話をきくとニヤニヤしながら言った。
「あの色男を眠らせるのは構わないんだけどよ。あっちのお嬢ちゃんはどうするんだよ」
「あのまま寝かせておけばいいわ。そうね。朝までにハンカチに睡眠薬をしみ込ませて何度か吸わせておけば途中で起きることもないでしょう」
マリエッタの言葉に男たちは、不敵な笑みを浮かべて顔を見合わせた。
「それじゃつまらねえよ。せっかくあんな別嬪がベッドにいるんだ。ちょっとぐらい楽しませて貰ってもいいだろう」
マリエッタは顔をしかめた。
「あの娘を抱かせろっていうの?」
「可愛い顔してハッキリ言う女だな。でもまあそういうことだ」
男たちは下卑た顔で笑った。
「ダメよ。あの娘には、朝目が覚めたらなぜか、あられもない姿で元婚約者の隣りに眠っていたと思い込んで貰いたいのよ。下手なことをして目を覚ましたら、自分を襲ったのがアドリアン殿下ではなかったことに気づいてしまうわ。そうなったらきっと黙ってはいないわよ。あんたたち、一人残らず首を刎ねられるわよ」
「ふん。そんな気が起きないくらい、気が遠くなるほど可愛がってやればいいんだろう? それくらいのお楽しみがあったっていいじゃねえか」
「図々しいわね。報酬なら多すぎるほどやったでしょう!」
マリエッタは怒鳴ったが、男たちは平然としたものだった。
「朝までこんなところで、野郎ばっかりで夜明かしなんざ色気がなくていけねえや。何ならあんたが相手してくれてもいいんだぜ」
凄まれてマリエッタは、舌打ちした。
セオドールは悪知恵は働くが、色男、金と力はなかりけりの見本のような男で荒事にはまったく向いていない。
乱闘騒ぎになったらマリエッタを守る役には立たないだろう。
マリエッタは、はあっと息をついた。
「いいわ。好きにして。ただ目的は忘れないでちょうだい。明日の朝には二人が仲良く並んでベッドで眠っているようにしてちょうだいよ」
「分かってるよ。まかしときな」
アマーリアを好きに出来ると分かった男たちは、早速、気もそぞろな様子で寝室へと向かった。
ずぶ濡れになったアドリアンは、ベッドから出来るだけ離れた場所でうずくまり懸命に理性と戦っていた。
情欲に負けそうになる時は、クレヴィング公爵とヴィクトールが鬼のような形相でこちらに向かってくる光景を思い浮かべてなんとか耐えた。
(そうだ。こんなところで血迷ってリアに手を出したりしたら間違いなく殺される。特にヴィクトールはやるといったらやる。昔、鬼ごっこをしていてリアにふざけて抱きついたどこかの貴族の子息がヴィクトールにつかまって井戸のなかに吊るされていたっけ)
そんな思い出を思い出していると少しは気が紛れた。
その時、ガチャガチャッという音がしてドアノブが動いた。
(助かった……)
てっきり先ほどの侍女が鍵を修理して戻ってきたのだと思ったアドリアンは入ってきた者たちを見て、目をみはった。
一人、二人……六人の男たちが次々と部屋に入ってくる。
どの男も、とても貴族の別荘に仕えているとは思えない薄汚れた格好で、なぜか鼻から下を覆うような覆面をしていた。
「何だ、おまえたちは」
アドリアンはふらつく足で立ち上がった。
「ドアを直してくれたのならご苦労だった。だが、ここは淑女の寝室だ。用が済んだらすぐに出ていって貰おう。私もすぐに出る」
男たちのなかで、首領格らしい男がにやにやとこちらに近寄ってきた。
「出ていくんならご勝手に。だが、その前にちょっと眠って貰うぜ」
「眠る? 私は別に眠くはないが……」
「眠くなくても寝たらいいんだよ。目が覚めたときには愛しいお嬢ちゃんが隣りで寝ていてくれるからよ」
言うなり男はいきなりアドリアンを殴りつけた。
ただでさえ、ふらついていたアドリアンはその場に思いきり倒れた。
武術の稽古の時間以外で、人に暴力を奮われたのは生まれて初めてだった。
「おい、やれ」
首領が命じると、男たちがバラバラと駆け寄ってきてアドリアンのまわりを取り囲んだ。
一人の男が、小さな硝子瓶のようなものを取り出す。
「これを飲んで朝までねんねしてな」
そう言って男たちはアドリアンを押さえつけ瓶を口元につきつけてきた。
瓶の中には液体が入っていた。
(眠り薬……?)
アドリアンは首を振ってそれを避けた。
苛立ったようにつかみかかってくる男の手をつかんで引き寄せ、その勢いのまま思いきり頭突きをくらわせる。
聞いた時は(野蛮な……)としか思わなかったヴィクトール直伝の喧嘩のやり方が役に立った。
「くそっ、このガキ……!」
男たちは色めきたった。
アドリアンは、ともすれば霞みそうになる意識を必死に奮い立たせて、腰の剣を抜いた。
男たちはさっと怯んだのが分かった。
「こいつ、まだ剣を抜く気力があるのかよ」
「この香りをさんざん、吸わされたんだ。今頃、朦朧としてアレのことしか考えられなくなってても不思議はないのに」
男たちが覆面をしているのは、この媚薬のたっぷり混ざった香から身を守るためのようだった。
「私を眠らせてどうするつもりだ。おまえたちは誰だ。リアに何をした!!」
アドリアンは叫んだ。
大声を出すと、そのぶん香がどっと口から入り込み、またくらりとしたが自分の頬を打ってなんとか耐えた。
男たちはアドリアンの様子を見るとゲラゲラ笑った。
「まだ何もしちゃいねえよ。これからお近づきにならせて貰うんだ」
「見ろよ。あのへっぴり腰を。フラフラじゃねえか。剣なんか抜いてもまともに振れやしねえよ」
首領の男が、にやりと笑って言った。
「もう薬なんかいらねえよ。その色男を思いきり可愛がって眠らせてやんな。お楽しみはそのあとだ」
「ちょっと、顔は殴らないでよ。ボコボコじゃあとが困るわ」
ドアの外から女の声がする。
(マリエッタ……?)
そんなはずはない。彼女がこんなところにいるはずがない。
そんなことより今はこの状況をどうにかしなくては。
多勢に無勢のうえに体調は最悪だったが、だからといって自分がここで倒されればアマーリアはこの汚らわしい男たちの毒牙にかかってしまう。
それだけはさせられない。絶対に。
アドリアンは、襲ってくる倦怠感に耐えながら、剣の柄と一緒に自分のなかの王子としての誇りを握りしめた。




