50.マリエッタの正体とザイフリート家の企み
しかし、国王の命を受けてマリエッタを呼びにいった侍従は困惑しきった様子で戻ってきた。
マリエッタの姿がどこにもないというのだ。
さらに二人が軟禁されていた宮の使用人たちは、少し前から誰も姿を見ていないという。
どうやら軟禁とは名ばかりで、以前からマリエッタは衛兵や侍従たちを何人も篭絡し、比較的自由に出入りを繰り返していたらしいのだ。
「なんだと! それでは何のための見張りなのだ。女の色香に惑わされて職分を忘れるなど……」
激怒しかけた国王は、そもそもの発端は自分の息子のアドリアンがマリエッタの色香に惑わされたせいだということを思い出して、がくりとうな垂れた。
「アドリアン殿下が、アマーリア嬢と出奔したときいて悲観して姿をくらませたのでしょうか?」
人の好いベルトラン公爵が、眉をひそめて言う。
「そのような、しおらしさのある女性が衛兵や侍従を誑かしたりはしないと思いますがね」
バランド公爵が言った。
「エリック。先ほどの話はどういう意味だ」
国王が尋ねた。
「すべての始まりはマリエッタ嬢だというのはいったい……」
「はい。実は私はかねてよりマリエッタ嬢がアドリアンに急速に接近しているという話を聞いておりました。婚約者であるミレディからです。
昨年、学年に編入してきた彼女はある日を境に突然、アドリアンと行動を共にするようになりました。
学院内でも人目を憚らずに彼にしなだれかかり、甘えた声で歓心を得ようという様子は他の女生徒たちからは相当苦々しく思われていたようです」
「それについては私も、今の妻であるアンジェリカから聞いておりました。マリエッタ嬢は、アドリアン殿下だけでなく、他の男子生徒にも機会があれば媚態を示し、婚約者がいる相手でもかまわずに体に触れたりするので、不満に思う生徒も多かったようです。
そのような事情もあり、アドリアン殿下が婚約破棄の理由としてアマーリア嬢からの嫌がらせがあったという虚偽の申し立てをなさった時は、いっせいに抗議の声が上がったわけですが」
クレイグも同意した。
「アンジェリカは見かねて何度か直接、マリエッタ嬢に注意をしたようです。そのような行動は淑女として相応しくないだけでなく、アドリアン殿下の品位をも汚しかねないと。臣下ならば立場を弁えて慎むべきだと忠告したそうです。妻の名誉のために申し上げておくと、大人数で吊るし上げるようなことは決してなく、人目のないところを選んで、一対一で話したそうです。まあ、歯牙にもかけられなかったばかりか、後日、彼女までがマリエッタ嬢を苛めたという言いがかりをつけられたわけですが」
「そう言った話をミレディから聞いた私は、アドリアンと話すことにしました。
彼の性格上、正面から諫めるようなことをすれば逆効果だろうと思い、偶然を装ってマリエッタ嬢といる時をみはからって彼のもとを訪ね、紹介して貰えるように仕向けました」
エリックが言った。
彼の口調には、アドリアンのことを心から案ずる気持ちが滲んでいたので、国王も王妃も熱心に聞き入った。
「一目見て私は目を疑いました。マリエッタ嬢は確かに美しく可憐な女性でしたが、その立ち居振る舞いはとても貴族の令嬢とは言い難いものだったからです。
もちろん、庶腹の令嬢で学院に上がるまでそういった教育を受ける機会が少なかったという可能性はあります。
ですが、彼女の振る舞いにはそういった礼儀作法以前に、品位に欠けると言わざるを得ないものがありました」
「どういうことだ。はっきり申さぬか」
シュワルツ大公が少し苛立ったように促した。
「率直に申しますと、彼女はアドリアンが席を外した隙に私に言い寄ろうとしました。さらには、ミレディのことを貶めるような発言をしたのです。つまり、彼女が私以外の男と通じていると言ってきました。驚きと嫌悪のあまり、私は席を立ち、それ以降は二度と関わりたくないと記憶から追い出してしまっていたのですが……」
そこでエリックは国王夫妻の前に進み出て、膝をついた。
「私がそこできちんとアドリアンに忠告し、マリエッタ嬢について警告をしていればこのような事態にはならなかったのかもしれません。
だが、私はマリエッタ嬢の様子からとてもこれはまともにアドリアンの相手になるような女性ではないと判断してしまいました。
若さゆえの好奇心から、それまで周りにいなかったようなタイプの女性に一時、興味を持つことはあっても……こういう言い方はなんですが、すぐに飽きるだろうと。
まさか、アマーリアとの婚約を破棄してまで彼女と一緒になろうと言い出すなど、夢にも思いませんでした。
すべては、アドリアンの純粋さを見誤った私の判断の甘さが招いたことです。申し訳ありません」
エリックは深々と頭を下げた。
国王は慌てて顔を上げるように命じた。
「立つがよい、エリック。そなたは何も悪くない。そなたの言い分は最もだ。アドリアンがそなたの予想を超えて愚かだったのが悪いのだ」
エリックはもう一度、深々と礼をして立ち上がった。
「婚約破棄の話を聞いた時は本当に驚きました。ミレディは自分のことのように怒りながらも、アマーリアが新しい恋にすでに出会っていることを喜び、むしろアドリアンとは一緒にならなくて良かったと言いました。
私も、アマーリアの友人の一人としてはそれに同意しましたが、この国の臣下の一人としてはそれに素直に頷けないものがありました。
私の見たマリエッタ・イルスという女性は、王太子妃──ましてや未来の王妃という立場に相応しいとは到底いえない人物だったからです。
私は改めて彼女のことを調べることにしました」
そこでエリックは、クレイグを振り返った。
「実際の調査は、シュワルツ大公領にいることが多かった私よりもクレイグの方が適任だろうと思い、事情を話して協力を要請しました。
クレイグもミレディや、アンジェリカからすでに話を聞いていたようで快く承知してくれました」
「なんだよ。何で俺には何も言わなかったんだよ」
「お前に話したら、可愛い妹のためにそれこそ何をしでかすか分からないだろう」
不服げに言うヴィクトールの額の文「平常心」をぐりぐりと押しながらクレイグが言った。
「それに、おまえのところは当事者だったからな。クレヴィング家がマリエッタ嬢の身辺を探りまわっているなんて知れたら、それこそ報復のためか、嫌がらせのためか、とか痛くもない腹を探られかねないだろう」
親友にそう言われてヴィクトールは渋々納得した。
クレイグは、国王の許可を得てその調査結果について話し始めた。
「はじめに申し上げておきますが、この調査には思いのほか時間がかかり、結果についての最終報告が上がってきたのはつい先ほどのことでした。
それゆえ、今回のアマーリア嬢の拉致、そしてそれをカタリーナ嬢の仕業に見せかけようとした悪辣な事件を未然に防ぐに至らなかったことをお詫び申し上げます」
そう前置きして、クレイグが話した内容は冒頭からして驚くべきものだった。
「まず、マリエッタ・イルスという女性はこの世には存在しません。彼女が名乗っていたのはまったくの偽名でした」
クレイグの発言に場がどよめいた。
「イルス男爵という方は確かに存在します。王都にはあまり顔を見せず地方の領主で暮らしていた男爵は、ある日突然、東方のバルタークという国に大使としての赴任を命じられました。一年前のことです」
「バルターク?」
国王が訝しげに眉をひそめた。
「陛下がすぐに思い当たられないのも無理はありません。バルタークは東方の小国で我が国とは織物と鉱石の輸出入を通じて取引があるもののその歴史も浅く、大使が送られるようになったのもここ数年のことです」
そのバルタークに使いを派遣し、戻るのを待っていたので報告が遅くなったのだとクレイグは説明した。
地方貴族であるイルス男爵が、突然大使に任命されたことに関しては本人も驚き、外務官の役人たちも戸惑ったが、任命が下ると同時に驚くべき早さで男爵夫妻はバルタークに赴任してしまった。
「そしてイルス男爵領に人を遣わし調査した結果、夫妻には子息が二人いるだけで娘はいないそうです」
「それこそ、先ほどエリック殿が言われたように側室腹の庶子なのではないか」
ザイフリート公爵が言う。
クレイグはそれには答えず、例の婚約破棄の一件のあと、王宮からの再三にわたる召還を命じる使者に対し、男爵からは「病が重く帰国できない」との返答がきていたという話をした。
「存在しないはずの娘に対する問い合わせに対し、なぜ男爵は否定もせずにそのような返答をしたのか。疑問に思った私はバルタークに直接、配下の者を派遣しました」
バルタークについたクレイグの部下が見たものは、現地で元気に暮らしているイルス男爵と妻の姿だった。
王宮からの使いについては、一度もそんな知らせは受け取っていないという。
バランド公爵家の名を出して問い詰められた男爵は、最初はしらを切っていたが、執拗な追及にまけてついには、ザイフリート公爵から知人の娘を名義だけ男爵家の娘として学院に入れてやって欲しいと頼まれたことを白状した。
理由は知らないが、他言はするなときつく念を押されたという。
そして、その報酬として現在の大使の地位を得て、ザイフリート家から贈られた多額の謝礼をつかって優雅に暮らしていたとのことだった。
蒼白になったザイフリート公爵をよそにクレイグはさらに話し続けた。
「ここまで話せば、マリエッタ・イルスと名乗る女性の正体がおぼろげながら分かってきたのではないでしょうか。彼女がある日、急にアドリアン殿下に接近した理由と目的──もっと言えばそれを命じた者の存在も」
その場の視線がいっせいにザイフリート公爵父子に集まった。
「さらに興味深い事実があります。マリエッタを名乗る女性がアドリアン殿下とほぼ同時期に、ザイフリート公爵はマール辺境伯に対し一つの申し出をしています。エルリック殿下の婚約者として、ご自身の息女、カタリーナさまはどうかという申し出です」
「事実か、マール伯」
国王に尋ねられたマール辺境伯は戸惑った顔で頷いた。
「はい。確かに今から一年ほど前にニコラス殿からその申し出をいただきました。その時は娘のロザリー妃が、アドリアン殿下が正式に結婚なさるまでは、公爵家の令嬢を妃に迎えるような真似をして、公然と兄王子に対抗するような真似はしたくない、と申しましたので、その場では婚約は成立せずに後日ということになりましたが……」
その後もニコラスは執拗にカタリーナをエルリックの妃にと勧めてきた。
エルリックの引っ込み思案なところを心配していたマール伯は、孫に公爵家の後ろ盾が出来ることを喜び、ロザリー妃を説得してカタリーナとの婚約を承諾させた。
あの時は野心家と評判のニコラスが、おとなしく、王宮のなかでも存在感の薄いエルリックにそんなにも接近したがるのが不思議だった。
アドリアンがカタリーナを選ばなかったと聞いてからは、愛娘をせめて王族の妃にしてやりたいという親心なのかと思ってきたが。
しかし、その頃にアドリアンに、身分を偽らせたいかがわしい女性を近づけていたとなると話は違ってくる。
ニコラスが執拗にエルリックとの婚姻を望んだのは、その時にはすでにアドリアンを王太子の座から追い落とすためのシナリオが出来ていたからではなかったのか。
実直な性格のマール伯はニコラスに険しい目をむけた。
ニコラスはその視線を避けて、国王に何か言おうとしたがなかなか言葉が出てこないようだった。
緊迫した場に侍従の一人が駆け込んできた。
「クレヴィング公爵家の使用人を名乗る者がやってきて、ヴィクトール卿との目通りを望んでおります」
ヴィクトールが立ち上がるのを制して国王が言った。
「かまわぬ。ここへ通せ」
やがて入ってきたのはヴィクトールのひそかな側近──情報屋として公爵家に仕えている「一角獣の角亭」の主人のリーヴィスだった。
リーヴィスは配下に行わせた聞き込みから、アマーリアが拉致された直後と思われる時間に郊外に向かって走り去る不審な馬車が目撃されたとの情報を持ってきた。
「追って調査をさせていますが、ここへ来る途中、ラルフさまに同行させた部下から報告が届きました。今回の拉致にはクルーガー伯爵夫人エリザベートと、マリエッタ・イルスが関わっているとのこと。
伯爵夫人は、心当たりの別荘の場所を白状し、現在はフランツさまが兵を率いてその身柄をおさえていらっしゃいます。
ラルフさまは場所を聞くなり、単騎飛び出して行かれました。その場所は──」
リーヴィスの言葉が終わるのと同時に国王が騎士団の派遣を命じた。
「ニコラスとルーカスには、事の真偽が判明するまで禁足を命じる。王宮の一室を用意するのでそこで待機するが良い」
衛兵がばらばらと入ってきてザイフリート公爵父子を取り囲む。
クレイグがエリックと顔を見合わせ、頷きあったときにはすでにもの凄い音とともに扉を蹴り開けて、クレヴィング公爵とヴィクトールが外へ飛び出していくところだった。




