48.エリザベートの自白
「あら。ラルフさま。ご機嫌よう。随分とお久しぶりね」
突然押しかけてきたラルフをエリザベートは落ち着き払って迎えた。
まるで、来ることが分かっていたかのようなその態度を見た途端、ラルフは今回の拉致事件にエリザベートが関与していることを確信した。
実家を訪れるのは、前回フランツたちと一緒に謝罪に訪れて以来だった。
エリザベートの性格ならば、あんなことがあった後で訪ねてきたラルフを見たら、
「よくも平然とこちらに顔を出せたものですわね!」
「もう貴方とは縁が切れたものだとばかり思っておりましたわ!」
と喚き散らしてもおかしくない。むしろそれが普通だと思われた。
それなのにエリザベートは、むしろにこやかに歓迎しているといってもいいような笑みを浮かべてラルフを客間へと通した。
「生憎、お父さまはお出かけになっているけれど、もうすぐお戻りになる予定ですよ。こちらでお茶でもあがってお待ち下さいな」
そう言ってすすめられたソファには座らずに、ラルフは単刀直入に言った。
「アマーリアの居場所をご存じですね。お教えいただきたい」
「なぜ私が知っていると思うのです」
エリザベートは冷たい笑みを浮かべて言った。
「今のそのお返事が答えです。あなたは知っているはずだ」
「どういう意味かしら?」
「突然押しかけてきた俺が、このような質問をしたらまずは『どういうことか、アマーリアがどうかしたのか』と聞き返すのが普通だ。そもそも、貴女のような女性が、俺にあのような口をきかれて平気なはずがない。無礼なと怒り出して当然なのに、貴女は怒るどころかそうして悠然と笑っている。俺が何を思ってここへやって来たのか、貴女はすべて分かっていて、それで俺を迎え入れたはずだ」
「妙なことを仰るのね。アマーリア嬢がどうかなさったの?」
「姿を消した。何者かに拉致されたのです」
「まあ。物騒なこと。四大公爵家のご令嬢ともなれば、いつどこで何者かの恨みを買っているか分かりませんものね。お気の毒なこと」
そう言うエリザベートの口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「けれど、それで何故、私がアマーリア嬢の行方を知っているという話になりますの?」
ラルフは顔を上げ、まっすぐにエリザベートをみつめて言った。
「それは彼女を攫わせたのが貴女だからです」
「なんですって?」
そこではじめて、平静を装っていたエリザベートの顔に苛立ちが走った。
「何の証拠にそんなことを言うの? 証拠もなく私を侮辱すると痛い目に遭うわよ。ラルフ・クルーガー」
「証拠はない」
ラルフはきっぱりと言った。
「ただ根拠はある。今の時点で俺とアマーリアの結婚を阻止したいと最も考えているのは俺の知る限り貴女だからだ」
「はっ。馬鹿馬鹿しい。どうして私がそんなことをしなければならないの」
「それは貴女が俺が幸せになるのが我慢できない人だからだ。俺を苦しめ、不幸にするためならば何でもする。手段は選ばない。常に人と自分を比べて、どちらがより幸せで、より不幸なのか秤にかけねば気がすまず、他人の幸せを見れば妬み、自分が幸せならばそれに比較して人を見下さずにはいられない。俺の知る貴女はそういう人だ」
「何を……!」
エリザベートの細い眉がつり上がった。
「言わせておけば何という無礼な! アマーリアがアドリアン殿下と逃げたのは、凡庸でつまらないあなたに嫌気がさしたからでしょう。自分の魅力のなさを棚に上げて私のせいにするなんて、見苦しいったらないわね!」
(かかった……!)
エリザベートはラルフが仕掛けた釣り針に見事に引っかかった。
現時点で、アマーリアの失踪をアドリアンと結び付けられるのは先ほど、国王の御前にいた四大公爵とその子息たち。
それ以外には、この件に関わっている者だけだ。
ラルフは内心の昂ぶりを懸命に押し隠して、エリザベートの挑発に乗るふりをした。
「アマーリアは俺のことを愛してくれている! 今さらアドリアン殿下が何をいっても彼女がそれに耳を貸すことなどありえない!」
「あら、随分と信じているのね。けれど女心は変わりやすいものよ。真面目だけが取り柄のあなたには分からないでしょうけど」
「アマーリアは他の女とは違う! まっすぐで純粋で、決して嘘のつけない人だ。義母上。あなたのような虚栄心と高慢さで凝り固まったような心の醜い女性とは違う」
「言ってくれるじゃないの。幼い頃から私が何を言ってもまるで応えないとでも言いたげな顔をしていた可愛くない坊やが、あの娘のこととなると随分とムキになるのね。そんなにあの娘が大切?」
エリザベートの瞳に、ぎらぎらとした残酷な光が輝く。
ラルフを叩きのめし、立ち直れない傷を負わせることの出来る武器を自分が持っていることを知っていて、それを打ち下ろす絶好のタイミングを舌なめずりして伺っている、蛇のように残忍で、狡猾な喜びに満ちた顔だ。
もう一息だ。
あとほんの少しつついてやれば、この女は水をいっぱいに湛えた革袋のように自分で勝手に破裂するだろう。
ラルフは意を決して口を開いた。
「ああ。愛している。この世の誰よりもアマーリアが大切だ。彼女がいなければ生きている意味がない。何がなんでも無事に彼女をこの手に取り戻してみせる!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、エリザベートの哄笑が響き渡った。
「何がおかしい!」
エリザベートはしばらく思うさま高笑いをしたあとで、傲然とラルフをみつめた。
「ああ、おっかしい。こんなに愉快なことって久しぶりだわ。ふふふ……残念だったわね。ラルフ・クルーガー」
「何!?」
「どんなに愛していてももう無駄よ。あなたの愛しい、この世で何より大切なお姫さまは今頃別の男の腕の中よ」
指を突き付けるようにして言って、エリザベートは楽しくてたまらないと言ったように笑い続けた。
「貴様……どういう意味だ。言え! 何を知っている!」
「ついに本性をあらわしたわね。あなたのその澄ました顔の下でいつもこちらを馬鹿にしているような、小憎たらしい冷静ぶった仮面をいつか引き剥がしてやりたいとずっと思っていたのよ! ついに念願が叶ったわ!」
半ば狂ったように笑い続けるエリザベートの腕をラルフはつかんだ。
「アマーリアはどこだ! 言え! 言わないと義理の母親とはいえ容赦しないぞ」
エリザベートは、ふんっと鼻を鳴らしてラルフの手を振り払った。
「容赦しなければどうするっていうの? どうとでも気が済むようにすればいいわ。何をどう足掻いたところで愛しいアマーリア嬢は二度とあなたのもとには戻ってこないわよ」
ラルフの顔からすうっと血の気が引いた。
「どういう意味だ。貴様、まさかアマーリアを……」
「あら。勘違いしないで。私はただ、彼女があなたのもとには戻らないと言っただけよ。別に命をどうこうしたりはしていないから安心してちょうだい。そうね。そんなにカッカしなくても明日の朝には、彼女の行方が分かると思うわよ。けれど、迎えに行くかどうかはよく考えた方がいいわ。愛する婚約者が、別の男と一夜を過ごしたところにわざわざ駆けつけるなんて、あまりいい趣味とは言えないものね」
ラルフは黙って、テーブルの上に並べられた茶器をすべて払い落とした。
ガシャ、ガシャン! と床で盛大に陶器の割れる音がする。
「言え。アマーリアはどこだ」
ラルフの低く押し殺された声には、エリザベートが思わず後ずさりしそうになるほどの気迫が込められていた。
「今すぐに彼女の居場所を言え。でないと俺はおまえに何をするか分からない」
エリザベートは蒼白な顔で、それでもひきつった笑みを浮かべた。
「何でもすればいいわ。そんなことをしている間もあなたのアマーリア嬢はアドリアン殿下の腕のなかで、今夜は一晩、夜通し愛されているのよ。愛した女が、自分以外の男に好きなようにされているのに為すすべもない、絶望の底でのたうちまわる情けないあなたの顔を見られるなら、何をされようと痛くも痒くもないわ!」
ラルフは反射的に手を上げ、そんな自分に愕然としたように拳をぎゅっと握った。
「あら。殴りなさいよ。それで気がすむのならいくらでも。あなたが今味わっている苦しみに比べたら、そんなもの何でもないわ」
エリザベートがくすくすと笑う。
その時、部屋のドアがばんっと開いた。
立っていたのは、ラルフの父、クルーガー伯爵だった。
「あなた……」
エリザベートは驚いた顔をしたが、すぐにキュッと口の端を持ち上げて夫に歩み寄った。
「あなた。見てくださいな。ラルフさまったらこの間、さんざん私を侮辱したのでは飽き足らず今日もいきなり押しかけてきて悪口雑言。そればかりか今、私に手を上げようとしたのですよ。とても王宮に仕える騎士とは思えな……」
バシンッ!! と平手打ちの音が響いた。
「きゃっ」
エリザベートは悲鳴をあげて床に倒れた。
「な……」
ラルフは絶句した。
エリザベートに手を上げたのはラルフではなく、父だった。
(あの温厚、というより気弱で、争いごとを避けるためならば何でもするような父が……)
茫然と立ち尽くすラルフの前で、先に我に返ったのはエリザベートだった。
先ほどまでラルフに向けていた余裕ぶった笑みとは一転した、鬼のような形相で夫につかみかかる。
「何するのよっ! たかが伯爵風情が私に手を上げるなんて。兄に訴えてやるわ! ザイフリート家の人間に暴力を奮ったらどうなるかあなたにも、ラルフにも思い知らせてやる!!」
「いい加減にしないか!!」
ラルフはその日、はじめて父の怒鳴り声を聞いた。
いつもならエリザベートが少し声を荒げただけで気弱げに俯き、何も言えなくなってしまう父とは思えなかった。
「な……な……っ」
真っ赤になって、何か言おうとしているエリザベートをクルーガー伯爵は黙って立ち上がらせた。
「話は聞いた。エリザベート。君はアマーリア嬢の居場所を知っているのか? ならばすぐに言うんだ。今ならばまだ間に合う」
「知らないわ。どうして私が」
エリザベートは、つんと顔を背けたが、これまで自分の言いなりだった夫に頬を打たれ怒鳴られたことが余程ショックだったのか、その声には先ほどまでの威勢はなかった。
「エリザベート!」
クルーガー伯爵が妻の二の腕をつかんだ。
「君がこのまま沈黙を続けるのなら、私は国王陛下にアマーリア嬢誘拐はすべて君がレイフォードを愛するあまり、ラルフを憎んで、その幸せを壊すために仕組んだことだと申し出る。そのうえで、妻の暴走を止められなかった責任をとって君を殺したうえで自害する」
「な、何を馬鹿な……っ」
エリザベートは目を剥いて叫んだ。
「馬鹿なことをしたのは君だ。だが、一番悪いのはそんな君を放置してきた私だ。ラルフ、許してくれとは言わない。だが、この愚かな父がおまえにしてやれるのはこれくらいだ。この命に免じて、どのようなことになっても、アマーリア嬢を最後まで守れ。愛する人を諦めてはいけない」
クルーガー伯爵は毅然として言った。
「父上……」
クルーガー伯爵は、腰の剣を抜くとその切っ先を迷わずエリザベートの胸へと向けた。
「私なりに君を愛し、幸せにしたいと願ってきた。しかし、私のやり方はよけい君を不幸にしただけだったようだ。許してくれ」
剣が自分の体に迫ってきた途端、エリザベートはけたたましい悲鳴を上げた。
「い、いやっ! 何故、どうして私が殺されなくてはならないのっ! すべてはあの女が企んだことなのに……っ」
エリザベートは床に体を投げ出し、髪を振り乱して叫んだ。
そうして、夫に問い詰められるままにマリエッタにもちかけられた計画のすべてを、堰が切れたように話し始めた。




