46.消えた公爵令嬢
アマーリアが姿を消した。
騎士団の宿舎で知らせを受けたラルフが血相を変えてクレヴィング家に駆け付けると、そこは凄まじい騒ぎになっていた。
公爵家の私兵団の制服をきた兵たちがあたりを忙しく駆け回り、庭ではなぜか真っ昼間にもかかわらず巨大な篝火が焚かれ、その側では完全武装したヴォルトブルク伯フランツが、馬に乗り気勢をあげている。
「良いか、皆の者! 草の根分けてもアマーリアを無事に探し出すのだ! そのためならば手段は選ばん! 王都から出る道は、街道はもちろんどんな狭い小路も見逃さずすべて封鎖せよ! その上で王都中の家屋敷を残らず捜索するのだ!!」
誰よりも動揺し、焦燥感にかられているラルフでさえ、
(いや、それは無理だろう……)
とツッコミたくなるようなことを叫んでいるフランツを尻目に、馬から飛び降り邸内に入る。
すでに顔見知りとなった執事のベルナールが慌てて駆け寄ってくる。
「ラルフさま! 姫さまが……アマーリアお嬢さまが……」
「聞いている。公爵閣下とヴィクトール殿は?」
「シェリルから知らせを聞いてすぐに飛び出して行かれました。旦那さまは王宮に王都の道を封鎖し、検問を行う許可を得るために。ヴィクトールさまはシェリルを連れて、お嬢さまがいなくなられたという屋敷へ行かれました」
「俺もそこへ行く。場所は分かるか?」
「はい。御者のアレフから聞いております」
ベルナールが差し出したメモを受け取ると、ラルフはまた馬に飛び乗り駆けだした。
外では、フランツが兵たちを率いて、
「いざ行け! どんな些細な手がかりも見逃すな!!」
と、敵軍に突撃でもかける勢いで屋敷を出て行くところだった。
ここまでの大騒ぎをして、ちょっとした連絡の行き違いで、アマーリアがひょっこり帰ってきたりしたらいくら公爵家とはいえ問題になるだろうが、それでも構わないから何かの間違いであって欲しいと強く思う。
(アマーリアはカタリーナ嬢と会うと言っていた。相談をもちかけられたから、と。それが、そもそも罠だったのか……!)
もしそうならば、たとえ相手がザイフリート公爵家の令嬢でも、次期王太子の婚約者であっても絶対に許さないとラルフは思った。
住所を頼りに「碧玉通り 12番地」に辿り着くと周辺はすでにヴィクトールに率いられてきたと思われる、クレヴィング公爵家の兵たち周辺を捜索していた。
周囲の何軒かは、門扉が薙ぎ倒されたり、玄関の戸が破られていたりただならぬ光景である。
(いったい何があったんだ。ちょっとした暴動のあとじゃないか……)
その暴動にもしやアマーリアが巻き込まれたのでは、と思うと不安に胸が押し潰されそうだった。
懸命に落ち着こうとつとめながら、あたりを見回すとそのうちの一軒の玄関で座り込んで泣きじゃくっている女性の姿が目に入った。シェリルだ。
ラルフは即座に馬から飛び降りて駆け寄った。
「シェリル!」
名を呼ぶと、シェリルは涙に濡れた顔を上げて、それから顔をくしゃくしゃにして駆け寄ってきた。
「ラルフさま!!」
シェリルは泣きながらラルフにしがみついてきた。
「ラルフさま、お嬢さま、お嬢さまが……」
「落ち着くんだ。シェリル。いったい何があったんだ」
なだめるように背を撫でてやると、シェリルはしゃくり上げながら懸命に話し出した。
それによると、ここに着いてすぐにシェリルは使用人の少年に水をかけられ着替えることになってしまったらしい。
勧められた別室で、用意されていた侍女のお仕着せに着替えたシェリルが応接間に行くと、そこにはすでにアマーリアの姿がなかった。
最初に応対してくれた侍女頭らしい女性に訪ねると、今、カタリーナが到着したので二人で庭で話しているという。
「内密な話なので、しばらく二人きりにして欲しいとのことです」
と言われ、そのまま部屋で待っていたがいつまでたっても戻ってこない。
(そもそも、カタリーナさまが到着されたっていうけど本当なの? 馬車の音も玄関が開く音も聞こえなかったけど……)
不思議に思って馬車寄せに行ってみたがそこにあるのは、アマーリアたちが乗ってきたクレヴィング家の馬車が一台だけ。
馬車の側で待機していたアレフも、自分たちが来てからは誰もこの屋敷には来ていないという。
慌てて庭に行ってみるが、誰もいない。
それどころかさっきまでいたはずの侍女頭も、他の侍女もいなくなっている。
アレフを呼んで二人で屋敷じゅう探したけれど誰もいない。
しかし、アレフはずっと玄関脇の馬車寄せにいたけれど、誓って誰も屋敷には入っていないし、出ていってもいないと言う。
しばらく、必死にアマーリアの名を呼びながらあたりを探していたシェリルだったが、アレフから「これは只事ではない。すぐに屋敷に戻って指示を仰いだ方がいい」というので急いで屋敷に戻って報告したとのことだった。
「その侍女頭は確かにカタリーナ嬢の名前を出したんだな?」
ラルフが尋ねると、シェリルは涙ながらにこくこくと頷いた。
「はい。『カタリーナさまからうかがっております』と確かに言っていました。それにこちらを」
シェリルが取り出したのは、アマーリアが受け取ったというカタリーナからの手紙だった。
確かに昼間、アマーリアが言っていた通り、
「自分のようなものに、王太子妃としての重責がつとまるのか悩んでいる。相談に乗って欲しい」
といったような内容が書かれていた。
カタリーナの筆跡までは知るよしもないが、それが書かれている便箋、そして封蝋に押された紋章は間違いなくザイフリート家のものであった。
「申し訳ございません。私がついていながらお嬢さまを……」
「泣くな。シェリル。今はそんなことを言っている時じゃないだろう」
「でも……」
「そんなことより、このまわりの屋敷の惨状はなんだ? ここでいったい何があった!?」
「それは……」
その時、屋敷のなかからガターーン!! という凄まじい音がした。
「きゃっ」
身を竦ませるシェリルに下がっているように言うとラルフは屋敷のなかに飛び込んだ。
物音は奥の部屋からした。
廊下を駆け抜けてドアを開けたラルフは茫然とした。
部屋のなかは、ソファやテーブルが引っ繰り返され、窓は割れ、壁紙はビリビリに剥がされ惨憺たる有様だったからだ。
床の中央には大きな穴が開き、その脇にヴィクトールが座り込んで穴の中を覗き込んでいる。
「リア! リア!! いるのか! いたら返事をしろ。いないならいないって言え!!」
その傍らで疲れた顔で立ち尽くしているのは、バランド公爵家のクレイグだ。
「おい。ヴィクトール。少しは落ち着け。いないものが返事出来るわけないだろうが」
どうやら今の音はヴィクトールがソファをひっくり返し、手にした巨大な戦槌で床に大穴を開けた音らしかった。
「そもそも、そこにアマーリアがいたとしたら今の一撃で死んでるぞ」
クレイグのツッコミも耳に入らない様子のヴィクトールは、
「リア、今、この兄が助けてやるからな」
と言いながら他の部屋へ行こうとしているが、完全に目が据わっている。
「隊長!」
ラルフが声をかけると、ヴィクトールはこちらを振り向き、きっと顔を険しくした。
「遅いぞ、ラルフ! 何をしていた!」
「申し訳ございません! 事情はシェリルから聞きました。ですがこの周りの惨状はいったい……小規模の戦闘でもあったとしか思えませんが」
ラルフが言うと、ヴィクトールに代わってクレイグが答えてくれた。
「外のこの辺の屋敷の門とか扉のことだろう?」
「はい。力まかせに打ち破られたようなあとが……」
「シェリルが戻ってきたとき、ちょうど俺もクレヴィング家にいたんだけどさ。話を聞くなりこいつ、馬に乗って飛び出していって、俺がシェリルを連れて追いついた時にはもう遅くて、勘違いでこの辺の家の家に片っ端から乗り込んだあとで……」
「どいつもこいつも何か隠している。俺の姿をみたら、顔をひきつらせて門を閉ざして出て来ようともしない家ばかりで……。そんなの何か後ろ暗いことがあると思うだろう!?」
ヴィクトールは壁をドンッと殴りつけながら言ったが、ラルフはそれには素直に頷けなかった。
目を血走らせた完全武装の男がいきなり押しかけてきたら誰だって門を開けたくないし、扉に鍵をかけたくもなる。
まさかその結果、門も玄関も打ち破られることになるとは思わなかっただろうけど……。
「いいから落ち着け。そんな状態じゃ見つかるものも見つからないだろう!」
クレイグが一喝する。
ラルフも、ヴィクトールに歩み寄りその手を強く握った。
「そうですよ。隊長。落ち着いて。少し休んでいて下さい。あとは俺が探します」
ヴィクトールはその手を振り払った。
「隊長じゃなくていい加減兄上って呼べって言ってるだろう! いつまで他人行儀なんだよ!!」
「どのタイミングで何にキレ散らかしてるんだよ……」
クレイグが力なく呟く。
恐らく、先ほどから四六時中ツッコミ続けていて、いい加減疲れてきているのだろう。
クレイグは、ヴィクトールに寄り添うとなだめるようにその背を撫でた。
「いいか。落ち着け、ヴィクトール。落ち着くんだ。ほら、息を吸って、吐いて。もう一回、吸って……」
ヴィクトールは言われるままに深呼吸をした。
「そうだ。いいぞ。その調子」
クレイグの声に合わせて、呼吸を繰り返すうちに少し落ち着いたのかヴィクトールは自分に言い聞かせるように、何かつぶやき始めた。
「そうだ。落ち着け。落ち着くんだ。俺は大丈夫。俺なら出来る。俺は落ち着いてる。リアはきっと無事だ。落ち着け、落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け………」
エンドレスに呟きながら、ドンッ、ドンッと床を叩き始めた。
それはそれで怖かったが、ラルフはそこはクレイグにまかせて自分は屋敷のなかを捜索することにした。
ここにクレイグが同席してくれて助かったと心底思った。
クレイグがヴィクトールを外へ連れ出してくれたので、ラルフはシェリルに立ち会って貰って最後にアマーリアが消えたと思われる応接室を丹念に調べていった。
ヴィクトールのせいで現場の保全もへったくれもなかったが、床の隅から隅まで這うようにして調べていくうちにカーペットが一部、奇妙な具合にずれていることに気が付いた。
そこを調べていくうちに、不自然に置かれた飾り棚の裏側に隠し扉を発見した。
剣の柄でこじ開けるようにして開けてみると扉は難なく開いた。
そこは、狭い部屋だったが、反対側の壁にも引き戸がついていて、それを横にスライドさせると地下への階段が現れ、それを辿っていくと、邸の裏庭に出ることが分かった。
裏庭はすぐ、細い通りに面していてそこにあらかじめ馬車を止めておけばここから脱出した人間が、表にいるアレフに気づかれずに屋敷から出て行くことは可能なはずだった。
「では、お嬢さまもここから?」
シェリルが震える声で言った。
「恐らく。表にはアレフがいた以上他に考えられない」
何者かがここからアマーリアを連れて逃げようとしたとして、彼女がおとなしくそれに従うとは思えない。
それをしなかったということは、その時アマーリアは抵抗出来ない状態にされていたということだ。
眠らされていたか、気絶させられていたか、それとも……。
「ラルフさま!」
シェリルが泣きながらすがりついてきた。
「これを……」
見ると、隠し部屋の床にきらりと光るものが落ちていた。
シェリルが拾い上げたそれを見たラルフはぐっと唇を噛みしめた。
それは、ラルフがアマーリアに贈った珊瑚の腕輪だった。
「お嬢さまがこれをご自分から外されるはずがありません。お休みになられる時以外は、ずっと片時も離さず身につけていらしたのですもの」
そう言ってシェリルは泣き崩れた。
ラルフはシェリルの肩を抱き、立たせながら言った。
「泣くな。シェリル。アマーリアは必ず俺が無事で連れ戻す。……約束したんだ」
この先、何があっても髪一筋でも君を傷つけさせないと。
そう誓ったときのアマーリアの幸せそうな笑顔を思い浮かべて、ラルフは固く拳を握りしめた。




