3.変わってしまった婚約者
騎士団の制服を着た、屈強な体格のラルフに睨まれた男たちは捨てセリフを吐く余裕もなく、あっという間に逃げ散ってしまった。
「お怪我はありませんか?」
ラルフがアマーリアの方を振り返った。
「勇敢なのは結構ですがあまり無茶をしないように。ああいった輩はカッとすると何をしてくるか分からないから」
切れ長の目をわずかに細めて彼がそう言った瞬間だった。
アマーリアが恋に落ちたのは。完全な一目惚れだった。
「一目惚れですって? 物語じゃあるまいし本当にそんなことってあるの?」
アンジェリカが目を丸くして言った。
「あら。アンジェは違ったの。──つまりは、兄さまと」
アンジェリカの婚約者クレイグの妹であるミレディが揶揄うように言う。
「もちろん違うわよ。私とクレイグさまが一緒になることはお父さま同士の間でずっと前から決められていたから、小さな頃から何度もお会いしてたくさんの時間を過ごしたもの。そのうえで愛するようになったのよ。一目惚れなんかよりずっと確かな愛情で結ばれてるの」
「それは失礼いたしました。でもまあ、そう言われてみればそうよね」
バランド公爵家の令嬢であるミレディにも幼い頃から決められた婚約者がいる。シュワルツ大公の長男のエリック公子だ。
そしてアマーリア自身もそうだった。
非公式ながら婚約者として王太子アドリアンに引き合わされたのは、アマーリアが六歳、アドリアンが九歳の時だった。
それから二人は子供なりに、お互いを将来の伴侶と認識して、多くの時間を共にしてきた。
王宮で行事やパーティーが開かれる時などは、大人たちとは別に貴族の子弟、令嬢たちは別の宮殿に集められ、そこで子供たちだけの集まりが開かれる。
お茶会であったり、打毬のゲームだったり、籐籠に軽食やお菓子を詰めて王宮の東に広がる丘に出かけるピクニックであったり。
そういった場でアドリアンの隣りにいたのはいつもアマーリアだった。
アマーリアが来るのを見るとアドリアンは他の誰といても
「待ってたよ。リア。こっちへおいで」
と、優しい笑顔で手招いてくれた。
アマーリアの淡い金髪を「月光のような」
明るい藍色の瞳を「夜明けの空のような」と最初に言ってくれたのはアドリアンだった。
「リア。ぼくの可愛い月の女神。ぼくを心を照らすただ一つの光」
と言ってくれたアドリアン。
プラチナブロンドに鮮やかな青い瞳のアドリアンとアマーリアが並ぶと、その場の光をすべて集めたようだと言われた。
美しくて優しいアドリアンをアマーリアは兄のように慕っていて、将来は彼の王太子妃となり、ゆくゆくはこの国の王妃となるという未来に何の疑問も抱いていなかった。
二人の関係が少しずつ変化していったのはいつ頃からだっただろう。
アマーリアが十三歳になり、王立学院に入学した頃だっただろうか。
その頃、アドリアンにはすでに学院内にたくさんの取り巻きがいて、学院内でいつすれ違っても大勢の生徒に囲まれていた。
アマーリアのことなど目に入っていないようだった。
けれど、ちょうどその頃からアマーリアの方も王宮の女官長から受ける王妃教育の講義やレッスンがとても忙しくなってきていて、以前より一緒に過ごす時間が減ってきても、あまり気にする余裕がなかった。
講義のない休みの日は、正直、気のおける王宮でアドリアンと過ごすよりは、アンジェリカやミレディたちとお喋りをしたり、好きな本をゆっくり読んだりして過ごしたかった。
王妃教育は、時にはアドリアンの母であるクラリス現王妃から直々に受けることもあり、そんな時は講義のあと、王妃とアマーリア、アドリアンの三人でお茶のテーブルを囲むこともあった。
その席でアドリアンは相変わらず礼儀正しく、アマーリアを婚約者として扱ったがお茶がすみ、二人きりになると途端につまらなそうな無表情になり、さっさとアマーリアから離れていった。
「僕のリア」と呼ばれることは絶えてなくなった。
寂しくなかったと言ったら嘘になる。
だが、アマーリアからそれを聞いた母のメリンダは、
「お父様もそうだけれど、国の将来を預かる立場にある方々にはやるべきこと、学ぶべきことがとても沢山あるの。王太子であるアドリアン殿下は、いずれ国王として国の頂点に立たれる方。その日に備えて誰よりも努力していらっしゃるのよ。その為には、家族のことは後回しになってしまうこともあるわ。あなたもいずれ王太子妃となるのなら、立派に殿下をお支え出来るように、今から励まなくてはね。寂しがっている暇はないわよ」
と言って娘を諭した。
「はい。お母さま。殿下にふさわしい女性になれるように努力いたしますわ」
その日から、よりいっそうアマーリアは勉強に打ち込んだ。
国の歴史、地理、宮廷での人間関係、周辺諸国の情勢。
礼儀作法や社交の場での振る舞い方、会話の作法など、学ぶことはいくらでもあった。
幸い、国王シュトラウス二世もクラリス王妃もアマーリアを気に入り、今から実の娘のように可愛がってくれた。
しかし、国王夫妻がアマーリアを褒めれば褒めるほど。宮廷でのアマーリアの評判が高まれば高まるほど、アドリアンの彼女に対する態度は冷淡になっていった。
ともに過ごす時間は減る一方で、国王や王妃のお声がかりの集まりか、王宮での行事の場以外では顔を合わせることもまれになった。
そういった場では、婚約者であるアマーリアの席は当然ながらアドリアンの隣りに作られているのだが、同席している間じゅう、アドリアンは退屈そうな様子を隠そうともしなかった。
気を遣ってアマーリアの方から会話を振っても、「ふうん」「それで?」などの気のない返事で断ち切られた。
そんなある日、アマーリアにとって衝撃的な事件が起こる。
いや。事件というほどではないのだが。
学院の廊下を通りかかったときに、アマーリアがいるのに気づかずに同級生と話していたアドリアンが
「アマーリア? 父上に押し付けられただけの婚約者で愛情なんてないさ。そんなものだろう。政略結婚なんて」
と言っているのを聞いてしまったのだ。