35.マリエッタ・イルスの企み
(ああ、もう。何でこうなっちゃうのかしら)
マリエッタ・イルスことリゼットは苛立ちを抑えきれずにいた。
母王妃から王籍を剥奪される可能性を示唆されたあの日以来、部屋に籠りきり鬱々と過ごしていたアドリアンだったが、ようやく少し気持ちが持ち直してきたようだ。
それは良いのだが、王妃から「不穏な動きがあると見なされれば下手したら投獄されるかも」という言葉を真に受けて、すっかり野心をなくし諦めモードに入ってしまった。
つまり「不穏な動き」さえ見せなければ平穏に暮らしていけるというわけだ。
「マリエッタ。僕には君さえいてくれたらいいんだ。君がいたら他には何もいらない」
そう言っては、四六時中、
「小さくても二人だけの屋敷が持てるならそれでいい。庭にはたくさん花を植えて子犬を飼おう」
「子供は男の子と女の子、一人ずつがいいな。名前は男の子だったらウィリアム、女の子だったらキャロラインなんてどうかな?」
「休みの日は家族でバスケットにたくさん、パンやお菓子を詰めてピクニックに行こう」
などと夢みたいなことばかり言っている。
現実逃避なのかもしれないが、仮にも一国の王太子であった男があまりにも情けなくはないか。弟王子にすべて奪われて悔しくはないのだろうか。
マリエッタは悔しい。あの平凡な目鼻立ちで、華のかけらもないカタリーナが王太子妃となり、ゆくゆくは王妃となってこの国の頂点に上り詰めるなんて悔しくてたまらない。
天性の美貌と魅力に恵まれ、男心を掴む努力も怠っていない自分がこんなところで燻ぶっているのに世の中というのは本当に不公平だ。
アドリアンの話は続く。
「そうだ。部屋の暖炉にはルテニアから取り寄せた青い陶器のタイルを貼ろう。その前に籐の揺り椅子をおいて、君はそこに腰かけて、刺繍をしたりレースを編んだりしながら、僕が子供たちと遊ぶのを幸せそうに見ているんだ」
リゼットは刺繍もレース編みも大嫌いだった。
だいたい、揺り椅子に座って刺繍なんかしたら針が指に刺さりそうで危ないではないか。
やっぱりこの王子は筋金入りの馬鹿かもしれない。
こんな馬鹿でも一国の王子で、その寵姫として贅沢な暮らしが出来るというから我慢も出来た。
それが、良くて男爵程度の身分におさまりそうだと言われたら話が違うではないか。そうと知っていたらザイフリート公爵の申し出になんか乗らなかった。
その程度の男なら自分なら実力でいくらでもものにすることが出来た。
学院にいた頃だって、侯爵家や伯爵家の子息で、アドリアンの目を盗んでリゼットに色目をつかってくる男はいくらでもいた。
自分がその気にさえなれば、そういった男たちといくらでも一緒になれたのに、何故自分がこんな貧乏くじを引かされなければならないのか。
世の中絶対に間違っている。
(いっそ今回の件をネタにしてルーカスさまを脅して愛人の座をせしめてやろうかしら?)
一瞬、そう思ったがすぐに打ち消した。
あの甘いボンボンのルーカスはともかくザイフリート公爵は油断のならない相手だ。下手なことをしたらリゼットなど存在ごと消されかねない。
それにルーカスはすでにリゼットの本性を知っている。
自分に夢中にさせて、思い通りに操るのは難しいだろう。
一番いいのは、次期王太子であるエルリック王子に近づいて、彼を夢中にさせてしまうことだがカタリーナが妃となることが決まっている以上、そんなことをしたらルーカスに手を出す以上にザイフリート公爵の怒りを買うだろう。
アドリアンの並べ立てる寝言みたいな未来図の話に、
「素敵。嬉しゅうございますわ、殿下」
と目を潤ませて頷きながら、リゼットは不満でたまらなかった。
(あーあ。つまらない)
世間ではバランド公爵家の子息クレイグと、エイベル侯爵家令嬢アンジェリカの結婚式が華々しく行われたという。
王都にいる貴族は残らず招待されたといってもいい規模の披露宴だったときいて、リゼットはそんなところへ潜り込めれば、いくらでも新しい獲物を物色出来たのにと悔しくなる。
(なんで私が、こんなところで落ちぶれた王子のご機嫌をとってなくちゃいけないのよ。馬鹿馬鹿しい)
いつしかマリエッタはアドリアンと別れて自由になりたいと思うようになっていった。
そうなれば、自分ならこの先いくらでももっといい条件の男を捕まえられると思ったのだ。
(でも、今別れたいと言っても殿下は聞かないわよねえ。殿下の将来のために身を引きたいっていうのも今さらだし……)
それに落ち目になったアドリアンを自分の方から見捨てたと思われたら、次の男を捕まえるのが難しくなる。
あくまで自分──マリエッタ・イルスは、か弱く儚げな被害者で、男たちから見て庇護欲をかきたてられる存在でいなければならない。
ここはやっぱりアドリアンの方から自分を捨てて貰わなければ。
誰から見てもマリエッタは被害者で、非難はアドリアン一人に集まるようなやり方で。
(そうだわ。殿下には『元通り』になって貰えばいいのよ。私のことは一時の気の迷いだったと。自分はようやく真実の愛に気が付いたといって、思いっきり私を捨てて。元の婚約者さんのところへ戻って貰えばいいわ)
マリエッタは、にっこりと微笑み、使用人に吟遊詩人のセオドールに連絡をとるようにと言いつけた。




