ド・ベスタ
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ヤンが帰った後、邸宅の主人であるゼ・マン候は、側近のド・ベスタと顔を合わせてほくそ笑んだ。
「失敗を取り戻そうと、必死ですなぁ。恐らく、イルナス様にも告げずに来たのでしょう」
「まあ、そう言ってやるな、ド・ベスタ。若気の至りというものだ。若い頃は、誰しもが血気はやって失敗するものだ。私だって、そうだったのだから」
ゼ・マン候は得意げに自身の昔話を話し出す。
「ゼ・マン候の場合は武勇伝でしょう? ゴルト族の根城に単独で乗り込み、全滅させた話。300人でしたっけ?」
「……だったかぁ。もう、少しいたような気もするが。350人……400くらいか」
「もう、さすがの一言です」
ド・ベスタの記憶では、最初は10人だった。しかも、ゼ・マン候が単独で乗り込んだ訳でもなく、5人ほどで対決。奇襲や謀略などを駆使して、なんとか辛勝という感じだった。
しかし、歳月が経つにつれ、記憶が美化されていくものだ。
話をするたびに、増えていくゴルト族の人口。よいしょするたびに、激しく強くなっていくゴルト族の戦士。一介の小部族が、なぜか絶滅後に中部族ほどの規模になったとしたら、殺された族長も少しは浮かばれるのだろうか。一回りどころか、三回りほど脚色された話に相づちをうちながら、ド・ベスタは思う。
もはや、嘘だな、この話と。
しかし、ヤンという少女が失敗をしたという事実は変わりようがない。ゼ・マン候がイルナスに対して影響力を持つためには、必然的にヤンの影響力を下げなければいけない。
「とにかく、ヤン殿には力を貸さないようにしないといけません。あの少女にはなんの力もないことをイルナス様に見せつけなければ、ゼ・マン候を頼ることはないでしょう」
「ううむ……しかし、ヤン殿はイルナス様を救い出した功臣だぞ? そこまで、無下に扱うのもどうかな?」
ゼ・マン候は言葉を濁す。そして、これがこの老人のずるいところであると、ド・ベスタは思う。恐らく、彼もド・ベスタと同意見である。
しかし、鷹揚で人柄の穏やかな彼には言い出すことができない。
だから、家臣の方から提案させたいのだ。
仕方なく、という立ち位置を取れば、自分自身に対する納得がいく。そうやって、自分を騙しながら、鷹揚で穏やかな気性を演じている。大した道化だと、心の中でド・ベスタは吐き捨てる。
「確かに彼女は功臣でしょう。しかし、よく考えてみてください。我らの方が階級も上ですし、貢献度も上です。なぜなら、今後何年もイルナス様の面倒を見るのは我らではないですか」
「……ううむ、確かに」
「こうお考えください。イルナス様の信頼度を本来の形に戻すのです。実際に、今のヤン殿はイルナス様の付き人――言わば召し使いのようなものです。召使いが功臣でしょうか?」
「おいおい……それは言いすぎだぞ」
ゼ・マン候は全然言いすぎじゃない顔をして、ニッコリと笑う。むしろ、もっと言ってくれ。もっと、ちょうだい。ちょうだい、ちょうだい、と言わんばかりの笑顔を浮かべる。
「確かに言いすぎではありますが、事実です。ヤン殿には力がありません。イルナス様を天空宮殿に戻すためには、ゼ・マン候の力添えが必要になるのは間違いありません。どうぞ、この機会に発言力を強められるようになさいませ」
「……どうすればよいのだ?」
ド・ベスタは心の中で舌打ちをする。この程度のこともわからないのか、と。決して悪い主君ではないのだが、正直頭が悪すぎる。策を巡らせるド・ベスタにとっては、ストレスがかかる主君である。
「ヤン殿の提案を無視し続ければ、やがて彼女はイルナス様に頼るでしょう。その時に、ゼ・マン候がお力を貸せばよいのです」
「……それは、結果的にヤン殿に力を貸すということでは?」
「結果はそうでしょう。しかし、彼女には力がなく、ゼ・マン候に力があることを示すいい機会になります」
「……なるほど。わかった」
ゼ・マン候はホクホク顔で、自室に戻っていった。